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1950年代の欧州風架空世界を舞台にしたファンタジー小説です。 ちょいレトロ風味の魔法譚。
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「オーリ様、ちゃんと開封なさらないと」
 子供をたしなめるような口調でマーシャがペーパーナイフを渡した。
「わかってるけどね、マーシャ……ああほら、やっぱりだ」
 手紙を開封した途端、薄青い光があふれ、紙のように薄い映像が立ち上がる。それは彫像のような魔女の姿をしていたが、あまりの威圧感にステファンはひと目ですくみあがってしまった。
 魔女は重々しい口調でオーリに何かを告げると、じろりと周囲を一瞥して消えた。間髪を入れずオーリは封筒を閉じ、できるだけ小さく折りたたんでホーッと息をついた。
「今の何? なんて言ってたの? あたしのこと睨んでたけど」
「ああエレイン、失礼。伯母の虚像伝言だ。しゃべってたのは一族の母国語だよ。来月大叔父の誕生祝いをするから必ず出席しろってさ――予想はしてたけど、気が滅入る」
「行ってらっしゃればればいいじゃありませんか。去年のように仮病はいけませんよ、後でわたくしが叱られます」
「くだらない、どうせ年寄り連中が移民時代や戦争中の苦労話を披露するだけさ。で、伯母たちにつかまったら最後、早く身を固めろだの、もっと魔法使いとして名を上げろだのうるさく説教されどおしだ。誰だって逃げたくもなるよ」
「……いいじゃない、一族がまだ生き残ってるんなら」
 ぽつりとつぶやいたエレインの声に、オーリはハッとして顔を上げた。
「そうだな、ああ後で考えよう、こんな話は。 それよりエレイン、どう? 久しぶりに一緒に散歩しないか?」
「結構よ。散歩なら好きな時にひとりで行けるもの」
 エレインはプイと外に出てしまった。
「まずかった!」
 オーリは手紙の束をステファンの手に押し付けると、急いでエレインの後を追った。

 結局、昼を過ぎても二人が帰らないので、ステファンはマーシャと昼食を食べ、午後からは台所を手伝うはめになった。
「エレイン様もいろいろとお辛いんですよ。いつもは明るく振舞っていらっしゃいますけどね、明日は新月ですから……どうしても思い出してしまうんでしょうねえ」
 マーシャは焼き菓子用の生地をこねながらため息をついた。ステファンはその横で、粘土細工でもするように生地を丸めている。
「新月だと、なにが辛いの?」
「ご存知なかったんですか。エレイン様は竜人でいらっしゃいますから、もともと竜人由来の魔力というものがございます。ちょうど坊ちゃんがここにいらっしゃったのは満月の頃でしたから、一番力が満ちて、輝いておいででした。あれから二週間、新月の日は月の光も、竜人の魔力も失せてしまいます。オーリ様がどんなに魔力を贈ろうとしてもこればかりは……エレイン様のご一族の最後も、ちょうど今頃でしたねえ」
 袖口で眼鏡をずり上げるマーシャを見ながら、涙がお菓子に入らなきゃいいけど、とステファンは心配した。
「先生が前に言っていた、竜人の中でも特に変わってる一族のこと? 最後って?」
「わたくしの口からは申し上げられませんよ。オーリ様がたしか、竜人伝説の絵物語を描いていらっしゃいましたから、いつか読ませてもらいなさいまし」
 竜や竜人のたどった道は、いずれ魔法使いもたどる道、オーリはそう言っていた。だとすれば、オーリの一族もいつかは……ステファンはぶるぶるっと寒気がした。
「でも、坊ちゃんがうちに来てくださって、本当にようございました」
 マーシャは型抜きした生地を並べながら微笑んだ。
「どうして?」
「家の中が本当に明るくなりましたもの。なんだかこのマーシャまで力をいただいたようで。ステファン坊ちゃん、なんという魔法を持っていらっしゃったんです?」

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 オーリ先生もマーシャも、ぼくを買いかぶっている、とステファンは思った。
 父オスカーに魔力があったとしても、それをどの程度受け継いだのか、はなはだ不安だ。まして母ミレイユは魔法なんて毛嫌いしている。オーリのような魔法使いの家系に生まれればよかった。ペリエリの家系のことはよく知らないが、母方の親戚ときたら…… 
 オーリの伯母は怖い魔女だったが、ステファンにも苦手な六人の伯母が居る。母ミレイユはもともと十三人兄妹だったのだが、戦争や病気で生き残ったのは七姉妹だけ、その中でも末っ子のミレイユが一番のチビで不器量だ、とさんざん伯母たちにに聞かされていた。余計なお世話だ、とステファンは思う。確かにミレイユは小柄だし美人でもないが、ステファンにとってはかけがえのない母なのに。ときたま家にやってきては無神経なことを言う伯母たちに、母はいつも苛立っていた。

「集中してないな、ステフ」
 オーリの声に、ステファンは我に帰った。手元のカードがばらばらと落ちる。
「すみません、つい……」
 そうだ、今は修行中だった、なんで母の事を思い出したんだろう、とバツの悪い思いをしながらステファンはカードを拾い集めた。 
 午後のぬるい風が、アトリエじゅうに絵の具の匂いを広げている。 
 オーリが帰ってきたのはお茶の時間になる頃だった。エレインと仲直りできたかどうかは知らない。帰るなり、何事もなかったようにカードを使った魔法修行をステファンに命じただけだ。
「ま、カードの透視なんて簡単すぎてつまらないよな。よし、少し気分転換をしようか」
 机の上を片付けてしまうと、オーリは立ち上がって鍵束を手にした。

「ステフ、そろそろお母さんに会いたくなってきたんじゃないのか?」
 心の中を見透かされたようで、ステファンはどきりとした。オーリは時々こんなことを言うだから油断ができない。まさか、本当に心を読まれているんだろうか?
「べ、べつに。だってまだ、二週間しか経ってないし」
「そう? でもオスカーの荷物が届いたら、受取状は君に書いてもらうよ。お母さんにまだ一度も手紙を書いてないんだろう?」
 オーリの心遣いは嬉しいが、ステファンは複雑な思いだった。母が恋しくないはずはない。でも手紙を書くなら、ちゃんとした魔法をひとつくらい習得してからにしたかった。 

 二人が向かったのは二階の角、主寝室の南側にある細いドアだった。
「ここは書庫だ。アトリエに納まりきらない本が置いてある。鍵のナンバーを覚えておくんだよ」
 オーリは鍵束の中から「1」の数字が彫りこまれた鍵を出した。
「わあ……!」
 ステファンはドアの内側を見て驚いた。外側からは想像もつかないほど広く、天井の高い部屋に、ずらりと書架が並んでいる。
「魔法で少しばかり内部の空間を広げてある。次はコレクションの保管庫」 
「まだ部屋があるんですか?」
 オーリは答えず、意味ありげに笑った。書架の配置は複雑で、その間を右に左にとオーリは進む。まるで迷路だ、と思いながらステファンは後に続いた。 
 やがて行き止まりになると、オーリは一番奥の棚から分厚い鍵つきの本を取り出した。
「これは‘2’の鍵で開ける。ここの魔道具の中にはまだ魔力が消えてないものもあるから油断は禁物。いい? 開けたらすぐ閉めるからね」
 鍵を回し、深呼吸してから、せえの、と声を掛けてオーリはすばやく表紙を開いた。ステファンは目を疑った。本の中に空間が広がっている。奥には見るからに怪しげな魔道具が並び、表紙が開いた途端、カタカタと動き始めたものも居る。
「おっと!」
 オーリは急いで表紙を閉めようとしたが、何かが挟まり、けたたましい笑い声がした。ステファンは悲鳴をあげそうになった。表紙の隙間から、道化の顔を模した金属の仮面がのぞいてニタァーッと笑っている。
「まだ夏だよファントム。君は待機中のはずだろ」
 脅すように杖を向けると、仮面はぶつくさ言いながら引っ込み、オーリはようやく鍵を閉めた。
「ふう。連中、退屈してるな。十一月の聖花火祭までは出してやれないんだが」
 ステファンはゾーッとしながら棚を見回した。
「こんな本ばっかり置いてあるんですか?」
「ばっかりってことはない。保管庫は危険な順に“2”から“4”まで。最後は、オスカーのために新しく作った部屋だ」
 オーリは一番大きな本と「5」の鍵を出した。
「ステフ、開けてごらん」
 さっきのこともあるのでステファンは戸惑ったが、こわごわ鍵を回して表紙を開けると――何も無い、ただ空っぽの広い部屋が本の中に広がっていた。
「保管庫って、こういうことだったんですか……これも魔法?」
「そういうこと。この部屋は空間を自在に操る魔物と取引して作った。代わりに、わたしは常に新しい“知識”を彼に与える。そういう契約でね。ミレイユさんに言ったことは嘘じゃなかったろう?」
 オーリはニヤッと笑った。確かに“契約している一番大きな保管庫”には違いない。ステファンは改めて、ここが魔法使いの家だということを思い知らされた。
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「ステフ、本は好きか?」
 迷路のような書架の隙間を通り抜けながら出し抜けにオーリが聞いた。
「はい!」
 ステファンは勢い込んで答えた。
「いい返事だ。じゃ、時間がある時はここへ来て、好きなだけ読むといい。君の年齢には難しすぎる本も多いけど、なあに構うもんか。書庫の鍵束は、いつでも持ち出せるように机脇に掛けておくことにしよう」
「本当ですか?」
 ステファンは目を輝かせた。実は書庫のドアを開けた瞬間から、周り中の本が誘いかけているような気がずっとわくわくしていたのだ。
「ただし、君が一人で開けていいのは‘1’の鍵だけ。保管庫、特に‘2’は危険だから、わたしと一緒の時以外は開けないこと。いいね」
 もちろん言われるまでもない。鳶色の目を輝かせながらせわしなくうなずくステファンに、オーリはずい、と顔を近づけて脅かすように言った。
「気をつけろよ。人間ってのは、これはいけません、と禁じられた領域ほど踏み込みたくなるんだ。おとぎ話にもよく居るだろう、タブーに触れてとんでもない結果を招く主人公が」
「ぼく、絶対開けませんから!」
 ステファンは宣誓をするように片手を挙げた。こうして間近で覗き込まれると、オーリの水色の目は結構怖い。心の底まで見透かされそうで、冷や汗が出る。
「わかればよろしい、君の好奇心と探究心に期待してるよ」
 オーリは何やら含みのある言葉を言いながらドアを開けた。
 風と一緒に、庭のハーブの香りが吹き込んでくる。ステファンは振り返り、つくづくと書庫を見た。人一人が通り抜けられるほどの細いドアの横は、すぐ階段になっている。外から見る限り書庫スペースは本当に狭いはずなのに、中のあの広さときたら……オーリが取引したという魔物がどんな奴なのか、ちょっと見てみたい気がした。
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 北向きのアトリエは、夜遅くまで灯りが消えることがない。日中の暑い時間は仕事にならないので、オーリが作品に向かうのは、大抵は陽が落ちてからだ。もっとも、最近はカンバスに向かうより机の上で羽根ペンを操っている時間の方が長いのだが。
 その夜も机に向かってひたすらペンを走らせていたオーリは、ふと気配を感じて席を立ち、窓を大きく開けてじっと闇を見つめた。中庭を挟んだ向こうの木立がざわっと揺れ、真っ赤な影が窓から飛び込む。
「おっと!」
 両腕でしっかりと受け止めたオーリは、赤い影の主に笑みを向けた。
「お帰り。次の新月まで帰らないのかと心配したよ」
「別にそれでもいいんだけど?」
 エレインは緑色の目を上げて窓の外を指差した。
「ステフの忘れ物を持って帰ってあげたわ。ちゃんと自分で洗うように言っといてね」
「忘れ物?」
「長靴よ。森の中に放りっぱなし」
「ああ、そうか……」
 オーリがそう言いながらいつまでも腕を解こうとしないので、エレインは足を思い切り踏みつけた。
「痛ったぁっ! 酷いな、足の甲ってのは骨が折れやすいんだぞ!」
「骨折くらい魔法で治せるくせに。ほら、いつまでも甘えてんじゃないの」
 恨めしげなオーリの腕を押しのけると、エレインは天井の梁の上にピョイと飛び乗った。
「相変わらず高いところが好きだね。いつになったら地上に降りてきてくれるんだろうな、わが守護天使は」
「なに?」
「いいや。人間の愚痴だ、気にしないでくれ」
 オーリは拗ねたように背を向けると、再び机に向かった。

 パタパタと廊下を駆けてくる足音がする。
「ステフ、どうした? こんな遅い時間に」
「あの、さっき窓の外に変な鳥が……ひぇっ、な、なにやってるの、エレイン!」
 梁の上で器用に寝転がるエレインの姿に、ステファンは仰天した。
「いつものことだよ。ああ見えて彼女はすごく軽いんだ、梁がたわむ心配は無いよ」
「そういう問題じゃなくて……まさか、ああやって眠るの?」
「まあね。もともと木の上で眠る種族だからな。で、何が来たって?」
「鳥です。すごく大きいやつ」
「ああ、フクロウでしょ。さっきウロウロしてたからちょっと小突いといたわ」
 眠そうな声でエレインが口をはさんだ。
「なんだって? なんで早く言わなかった、エレイン!」
「だってあんまり害は無さそうだったし」
「害どころか――ああ、ちくしょう!」
 オーリは弾かれたように外へ飛び出した。

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 ステファンとエレインが顔を見合わせて首を傾げていると、オーリは茶色い斑のある鳥を抱えて戻って来た。
「危うく翼を折るところだった。この鳥は魔女出版からの使いなんだよ。ちなみにフクロウじゃなくてトラフズクだ。立派な羽角だろう?」
 ウサギ耳のような羽角をひくつかせたトラフズクは、床に降りるとパン生地のように膨れ上がり、たちまち人間の男の姿になった。
「失礼、ガルバイヤン先生。道に迷って遅くなりましてな」
「こちらこそ失礼したね。うちの守護者は少しばかり手荒なもので――エレイン!」
 オーリにたしなめられて、エレインは梁の上からバツが悪そうに顔だけ出した。
「はぁい、あんた使い魔だったの? こんな時間に来るのが悪いわよ」
 トラフズクはエレインの姿を見るとピェッと叫び、一瞬顔が元に戻りそうになった。
「冗談じゃない、こっちはもう少しで仕事をひとつ失うところだ。ええと、ペン画は三枚仕上がってる。縮小魔法の解除はそちらの魔女に任せていいね?」
「結構で――オホン、わ、私はこれにて!」
 ペン画を入れた通信筒を背負い直すと、トラフズクは一刻も早くここから逃げ出そうとするように窓に駆け寄った。
「しかし今どき使い魔で連絡、ってのもどうかと思うよ。魔法使いだって郵便や電話くらい使ってるのに」
「魔女はこの国の郵便なんて信用しておりませんな。それに全部の魔女が郵便や電話で用事を済ませるようになったら、私の仕事が無くなります、オホン」
「それも一理あるな。じゃ当分君の世話になることにしようか。道中気をつけて」
 パシッという羽音と共に、男は元のトラフズクに戻って夜空に飛び立った。オーリは愛想よく手を振って見送ったが、くるりと振り向くと、難しい顔で言った。
「エレイン、最近の君はちょっと酷くないか? だいたい使い魔の連中なんてすぐ見分けがつくだろう?」
「知らないわよ。使い魔は使い魔の仕事を、あたしは自分の役目をそれぞれきっちり果たすだけ。それでちょっと行き違いがあったからって何?」
 オーリはムッとして言い返そうとしたが、ステファンが不安げな顔で見ているのに気付くと、小さな頭に手を置いて笑ってみせた。
「まったく困った大人ばかりだよな。とんでもない時間に来る使い魔、過激な守護者、そして夏休み返上の魔法使い! さあ、明日から忙しくなるぞ。午後にはオスカーの荷物も来るし、新しい仕事も入ってる。ステフ、しっかり眠っておいてくれよ。君にも大いに働いてもらわなくちゃ」
 ステファンはまだ不安そうに二人を代わる代わる見ていたが、やがてうなずくと、お休みなさいを言って自室に引き上げた。
 梁の上のエレインは、反省しているのか拗ねているのか、膝を抱えて背を向けている。
 オーリはふーっとため息をつくと、議論の続きは諦めて机に向かった。
「明日は新月か――やれやれ、魔の新月だな」

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 真夏だというのに、書庫の中は案外快適だ。これも魔法の一つなのかな、と思いながら、ステファンはじっと待った。一冊の分厚い本が床に置かれている。オーリもまた緊張した面持ちで本を見つめ、息をつめて待っている。
「……来た!」
 オーリがつぶやくと同時に、ドタドタッ、と音がして本が揺れた。
「ステフ、もう開けていいだろう」
 促されて、ステファンは急いで“5”の鍵を使い、本の扉を開いた。
「よーう先生、また会ったな」
「足をどけてくれよ、アトラス!」
 本の中で大小の箱に囲まれてこんがらがっているのは、翼竜のアトラスと褐色の肌をした魔法使いだった。
「この中が狭すぎるんだよう。俺ぁ先に出るぜ」
 アトラスは大きな顔を歪めてしゃにむに出ようとした。重厚な作りの本がミシッと鳴るのを聞いて、オーリは慌てて杖を向けた。
「ま、待てアトラス、そのままじゃ本が壊れる。縮め!」
 パチーンと大きな火花が散ったかと思うと、アトラスはハトくらいのサイズに縮み、パタパタと羽ばたいて床に降り立つと、偉そうにステファンを見上げた。
「おう、ちびすけ。ちっとは背が伸びたようだな」

 褐色の魔法使いのほうは、アトラスの頭より細身だ。両手を本のふちに掛けると、器用に肩をすぼめながらするりと抜け出してきた。
「やれやれ、身の丈を知れってんだ、このドタ足竜め」
 悪態をつきながらローブの埃を払っている魔法使いを尻目に、アトラスは舞い上がるとオーリの肩にとまった。
「ありがとう、ユーリアン。休暇だってのに悪いな」 
「なあに、オスカーのためだ。それにしてもこの翼竜め、トラックに変身させてたのに、突然しゃべりだしたりするから困ったよ」
「あんたの使い魔がヘボだからだ。人間に化けてるくせにシッポを出しやがる奴がいたんで、ちょいと叱ってやったまでよ」
 小さくなったアトラスの声は、毒舌に似合わず甲高くて妙に可愛い。ステファンは思わず吹き出した。
「あ、この子だね?」
 ユーリアンと呼ばれた魔法使いは、ステファンを見て黒い瞳を輝かせた。
「そう。オスカーの息子だ」
「ステファン・ペリエリです、はじめまして」
 アトラスのおかげで緊張がほぐれたのか、ステファンは珍しくつっかえずに挨拶をした。褐色の力強い手と握手をかわすと、一瞬赤い火の山のイメージが頭をよぎる。
「会えて嬉しいよ、ステファン。なるほど、オスカーの面影があるな……」
 黒々とした大きな目を向けられて、ステファンは圧倒された。オーリの目も時として怖いほどの力を感じるが、この黒い目は、オーリとはまた違った強い光を宿している。魔法使いというものは皆、彼らのように強い目をしているのだろうか。
「彼はユーリアン、オスカーとの共通の友人だ。ステフ、このおじさんの背景には何が見える?」
「おい、おじさんって! そりゃ僕は二人の子持ちだけどさ。オーリより若く見える自信はあるぞ」
 冗談を言い合う二人を前に、ステファンはつぶやいた。
「岩と……炎。それとも火山?」
 ユーリアンが真顔になった。
「驚いたな! 確かに祖先は火山島出身だが、そこまで言い当てたやつは初めてだぞ。この子の目はオスカー譲りか?」
「たぶんね。いや、彼以上かも知れない」
 誇らしそうに弟子を見つめるオーリの肩先で、アトラスが大あくびをした。
「おーい先生方よ。いつまでおしゃべりするんだ? いいかげん、外へでようぜ」
 やたら可愛らしい声に急かされて、オーリは笑いながらステファンの肩を叩いた。
「そうだな、ここじゃお茶も出せない。荷解きは後だ。ステフ、客間にご案内しなさい」

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「冷たい物のほうがよろしかったでしょうかねえ」
 マーシャはお茶を勧めながら、遠来の客を気遣った。
「とんでもない、マーシャさんのお茶は最高ですよ。最近派手に宣伝してる外国産の黒い炭酸飲料ね、あれなんていけません。折角のお菓子がまずくなる」
 ユーリアンは薫り高いマーシャのお茶と焼き菓子を楽しみながら、客間の天井を見上げた。
「いいねえ、僕もいつかはこんな古い屋敷に住みたいもんだ。特にあのレリーフ。素晴らしいね」
 白い天井はいくつもの正方形に区切られ、その一つ一つに美しい紋様が浮き彫りになっている。
「だろ? あれが気に入ってるから、改装のときも気を使ったんだ」
「お前はこだわりが多いんだよ。アトリエの天窓だって、ステンドグラス用の無色ガラスがいい、なんて言い張るから探すのに苦労したんだぜ」
 ステファンは不思議な話を聞く思いだった。天井の模様もアトリエの天窓も、言われるまで気が付かなかった。あんな高い場所にある物なんて普段は視界にすら入らないのだから。
「ユーリアンは建築士なんだ。北側の増築部分は彼の設計だよ」
「じゃあ、あの書庫も?」
「外側だけは、ね。妙ちきりんな魔物と契約して勝手に内部を広げたのはオーリだ。まったく、建築基準法もなにもあったもんじゃない」
「何をいう。きちんと法に則ってるだろう、魔“法”ってやつに」
 大人達は爆笑した。
 が、ステファンは何が可笑しいのかさっぱりわからなかった。
「よう、エレイン姐は? 今日は留守かい?」
 まだ小さい姿のまま、アトラスが行ったり来たりしている。どうやらオーリ達の話に入っていけないのは、彼も同じのようだ。ステファンは玩具のような翼竜をそっと自分の肩に乗せて、庭に出た。

「ねえアトラス、知ってる? 新月にはエレインの魔力が無くなるんだって」
「なんだよ、小さくなった途端に呼び捨てかい? まあいいけどよ。――そうさな、竜人にもいろいろあるからな。エレイン姐の力は、月の満ち欠けに影響されてるってこった」
「魔力が無くなると、どうなるの? まさか、死んじゃったりしないよね?」
 ステファンは、最近エレインの様子がおかしいことが心配だった。
「死んだりはしねぇやな。普通の人間と同じになるだけだ。でもそりゃあ闘いで不利になるってことでもあるからな」
「闘いって、悪い妖精をやっつけたりすること?」
 アトラスは肩の上から舞い上がると、ステファンを睨んだ。
「いいか、ちびすけ。妖精にいいも悪いもねえ。人間が勝手に区別してるだけだ。むしろ本当に怖いのは……おっエレイン姐、帰ったか!」
 嬉しそうなアトラスの声に振り向くと、庭木の陰からエレインが入ってくるところだった。
「よう、どうだいこの格好。男っぷりが上がったと思わねえか?」
 アトラスはエレインの目の前で小さい翼を広げてみせた。が、エレインはちらと見ただけで、投げやりに答えた。
「ハイ、アトラス。人間に使われて、そんなに楽しい?」
 ステファンは氷に触れたような思いがした。いつものエレインじゃない。
「エレイン!」
 いつの間にかオーリが庭に来て、厳しい目を向けていた。
「君は友達にまでそんな態度を……」
「うるさい!」
 オーリを押しのけて、エレインは二階に駆け上がってしまった。

「そっとしといてやんなよ、先生。新月、特にこの八月は、竜人フィスス族にとっちゃ思い出したくない魔の月だろうよ。俺だって、消えた仲間のことを思い出す日には、どうにも気が立ってやたら火を吹きたくなるもんだぜ」
「ああ、わかってる。だからこそ君たちを呼んで、少しでも楽しく過ごせたら、と思ったんだがな。ごめんよアトラス」
 オーリはアトラスの頭をなで、杖を向けて元の大きさに戻してやった。

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「もう二年になるのになぁ」
 客間からユーリアンも出てきて、ため息をついた。
「まだ二年、だよ。エレインは普段、快活な守護者として振舞っているけど、竜人を迫害した人間を決して許しちゃいない。だから新月が来る度に、フィスス族最後の日を思い出して、ああして荒れるんだろう」
「馬鹿か。お前の事を言ってるんだよ。エレインさんがここに来て二年になるのに、何もわかっていないな」
 褐色の手がオーリの顔を指差した。
「その水色の目は、ふし穴か? オーリローリ、お前は余計な物は見えるくせに、一番近くが見えないんだな。竜人は人間みたいにヤワじゃない。荒れている原因は過去にじゃなく現在にあるんじゃないか? だいたい“守護者”なんて中途半端な立場のままで放っておくのが悪い。さっさと告……」
「おおそうだ! 荷物の開封をしないと!」
 オーリは二階を気にしながらわざとらしい大声を出した。
「そうやってはぐらかすんだよな。まったくこの男は、魔法じゃ優秀なくせに……」
 呆れたように顔をしかめて、ユーリアンはステファンに向き直った。
「扱いにくい師匠だろ? 嫌になったらうちに来な、いつでも歓迎するから」
 ステファンはどう答えてよいかわからず、曖昧に笑ってすませた。

「おい、風が湿ってきたぜ。雨に降られたくなけりゃ、もうそろそろ発たねえと」
 アトラスが空を見上げて大きな鼻をひくつかせている。
「ユーリアン、開封に立ち合わないのか?」
「そうしたいけどね、夕食までに帰るってトーニャと娘に約束してるんだ。魔女の機嫌を損ねると大変なんだよ」
「そりゃ怖いね、たしかに」
 笑ってオーリが差し出すローブを受け取りながら、ユーリアンは小声で耳打ちした。
「気をつけろよ。近々“竜人管理法”が改正されて規制が厳しくなる。守護者って肩書きだけじゃエレインの立場は苦しくなるぞ」
 オーリは目を見開いて相手を見返した。
「確かか?」
「ああ。だから、よく考えろ。人間界で彼女を守るために、どうするのが最善か」
「わかった、忠告ありがとう」
 お互いに肩を軽く叩いて、オーリは後ろに下がった。
 アトラスの羽ばたきが中庭の木々を揺らし、その背中でユーリアンが手を振る。
「美味しいお茶をどうも、マーシャさん。ステファン、次に会うときは――!」
 最後まで聞き取れないうちに、アトラスは飛び立ってしまった。
「エレイン様ったら、お見送りに間に合いませんでしたわねえ」
 マーシャが残念そうに頭を振った。が、オーリは二階からエレインがそっと手を振っているのに気付いていた。
「どうするのが最善かって? それがわかるような魔法があれば……!」
 二階の窓に揺れる赤い巻き毛を見つめながら、オーリは苦い表情でつぶやいた。

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 ユーリアンの言葉は的を射ていたかもしれない。
新月を過ぎてもエレインの機嫌は良くなるどころか、ますます頻繁にオーリとぶつかるようになった。何かがエレインを怒らせ、悲しませている。それが何なのか、ステファンにはわからない。オーリはオーリで新しい仕事が忙しいらしく、楽しみにしていたオスカーのコレクション整理はなかなか進まないでいた。

「あたしにどうしろっての! オーリの言ってる事なんてわかんないよ!」
 書庫から出てきたステファンの耳に、エレインの声が突き刺さった。さんざん大声で怒鳴り散らした挙句森に消えていくエレインを見て、ステファンはとうとうオーリに抗議した。
「先生、エレインとケンカしないで!」
「どうしたステフ、泣きそうな顔して……エレインなら大丈夫だよ。あんなのケンカでもなんでもない」
「うちのお父さんも前はそういってたよ」
 ステファンの目は怒りを含んだまま、涙を浮かべている。
「“ステファン大丈夫だよ、お母さんとはケンカしてるわけじゃない、意見が合わないだけだよ”って。でも結局、リコンになっちゃったじゃないか」
 オーリはマーシャと顔を見合わせた。
「まあま坊ちゃん、オーリ様たちは心配ないですよ、いつもすぐ仲直りなさってます。それに魔法使いと守護者の契約は絶対ですから」
「そういう問題じゃなくて!」
 ステファンはこぶしを固めてぷるぷると震わせている。
 オーリはその表情をじっと見ていたが、やがて冷ややかに言った。
「余計な心配させて悪かったね、ステフ。でも君の両親の問題と一緒くたにされては困るな」
「オーリ様!」
「黙って、マーシャ。わたしはステフが子供だからって気休めを言うつもりはない。いいかいステフ、君が両親のことで傷ついているのはわかる。でもそれとこれとははまったく別の問題だ。誰だって辛い事のひとつやふたつは抱えている。でもそれは各々で向き合うしかないんだ。今のエレインの問題は、わたしとエレインで解決するしかないんだよ」
「大人の話だから、子供は口をはさむなってこと?」
 ステファンは鳶色の目に涙を溜めてオーリを睨んだ。
「意見するのは君の勝手だ。でもわたしたちは議論を止めるつもりはない、と言っているんだ」
 ステファンは弾かれたように階段を駆け上った。
 
 あんな冷たい言い方はない、と思った。ポケットの中で鍵束ががちゃがちゃ鳴っている。ステファンはそれを取り出すと、砦に立てこもるように書庫に飛び込み、鍵を閉めた。
 しんとした書庫の中でドアを背にすると、悔しくて涙が溢れてきた。
 どうして大人達は、いさかいばかりするのだろう。オーリは別の問題だ、と言ったが、そうは思えない。目の前に、迷路のような書架が並んでいる。ステファンは腹立ち紛れに、書架の奥へ、奥へとやみくもに進んでいった。
 父オスカーが母を愛していたように、オーリがエレインを愛していることくらい、十歳のステファンにだってわかる。――だったら、ずっと仲良くしていればいいんだ。大声で怒鳴ったり言い争ったりするのを聞くのは、もう嫌だ。オーリの顔も、エレインの顔も見たくない。あんな突き放した言い方をするなら、もう心配なんかしてやらない。オーリは父と同じ世界を持っている人だと思っていたけど、やっぱり違う――
 無性に父に会いたい、と思った。父オスカーなら、こんな時、何と言ってくれるだろう? ステファンは書庫の一番奥にあるNo.5の“保管庫”を探した。
 
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 書庫の中は、ぼうっと明るい。照明があるわけではなく、天井自体が発光しているのだ。
 何度も来ているので、書架の並びはだいたい覚えている。一番奥まで行けば、No.5の本は簡単に見つかるはずだ。
 ところが今日に限って、ステファンはなかなか奥まで辿り着けなかった。角ごとに、「原色妖精一覧」や「近代魔法陣デザイン」といった派手な背表紙の本を目印にしていたはずだが、同じ本をもう三度は目にした。
(あれれ、堂々めぐりだ。書庫の中で迷子になっちゃった)
 ステファンは周りの本を見上げ、クスリと笑った。この感じは、“王者の樹”の森で迷った時によく似ている。ただ、あの時のような恐怖感はない。むしろ何時間でもここに居たいような心地よさを感じる。
(よーし、お父さんの本は後からゆっくり探そう。どうせ外へ出ても先生と顔を合わせると気まずいだけだし、しばらく遊んじゃうか!)
 涙の跡がひりひりする顔を手の甲でぬぐうと、ステファンは深呼吸した。

「そうだな、まず……“妖精”!」
 言葉に反応するように、あっちこっちで微かな光が生まれた。
(まだぼんやりしてるな。もっと絞り込まなくちゃ)
 目を細くして一番近い光に神経を集中する。光はしだいに範囲を狭め、一冊の本を照らした。手に取り、ぱらぱらとページをめくったステファンは、嬉しそうに指をさした。
「みーつけた!」
 ステファンが指し示した先に“fairy”の文字が光っている。
 これは父が教えてくれた遊びだ。ステファンは小さい頃、こうして文字や単語を覚えた。ただし、母の前でやってみせると血相を変えて叱られたが。
“妖精”の言葉に反応した本は何冊もある。ステファンはそれを片っ端から取り出しては読み、飽きればまた別の言葉で本を探した。
 ステファンにとって、本を読むという行為は遊びと同じだ。こんな本の森のような書庫にいつまで居るのだろうとか、お腹がすいたらどうするのだろうとか、今は一切頭にない。ただ言葉を追いかけ、つかまえ、運が良ければ面白い文章に出会って、そのまま読みふける。こんな楽しい遊びをどうして止められるだろうか?
 
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 本の世界にどっぷりつかっている頭の上で、突然けたたましい笑い声が響いた。ちょうどモンスターの話を読んでいた最中だったので、ステファンは心臓が止まりそうになった。
「な、な、何? だれっ?」
 笑い声の主は、道化の仮面だった。書架の最上段からニタァと笑いかけると、そのまま向こう側へ姿を消した。
(あいつは……!)
 見覚えのある仮面だ。たしか、オーリの保管庫No.2から覗いていたやつだ。ケタケタと笑う声が、書庫の中で遠くなったり近くなったりしている。どうやら独りで勝手に飛び回っているらしい。
(ファントムとかいったっけ。なんであいつが外に?)
 いやな予感がして、ステファンは急いで本をしまうと後を追いかけた。仮面は天井からの光を反射しながらひらひらと宙を舞い、時折書架の端っこに止まってステファンの様子をうかがっている。けれどステファンが手を伸ばすと、あと少しのところで逃げてしまう。
 何度も追いかけては逃げられ、さんざん走り回って、ステファンはだんだん腹が立ってきた。
(あいつめ、ぼくをからかってる! よーし見てろ)
 ステファンは目を閉じると、出来るだけ長く息を吐き出して気持ちを落ち着かせた。そのまま息を止めて意識を集中し、こらえられなくなったところで目を開くと、一気にまわりの光景が変わった。本も書架も全てが透明になり、二列向こうでゆらゆらしている仮面だけが、くっきりと見える。ステファンは大きく息を吸い、腹に力を込めて叫んだ。
「ファントム、つかまえた!」
 途端に仮面は天井に叩きつけられ、そのまま床に落ちた。
 ステファンは息を切らしながら仮面に近づき、拾い上げた。カタカタと玩具のように揺れてはいるが、仮面のファントムはもう逃げる気はないようだ。
「ごめん、力加減がわかんなかった。いじめっ子にノート盗られた時なんかに使った手なんだ」
「ケケケ、コリャ、オーリヨリ酷イ。オマエ、気ニイッタ」
 ファントムは楽しそうにつぶやいた。
「ど、どうも。ねえ、なんで外にでてるの? 君は待機中、って先生に言われてなかった?」
「ノン、ノン、ファントム、答エナイ。ファントム、知識ハ与エナイ」
 外国語なまりの妙なしゃべり方だ。ステファンは言い方を変えた。
「外に出ちゃいけないんだよ。保管庫に帰ろう」
「ウィ」
 案外素直なんだな、と思いながらステファンは奥へ向かった。さっき周りが透明になった時に壁が見えたから方向はわかっている。ほどなく“保管庫”の場所に辿り着いてから、ステファンは重大なことに気付いた。
「ファントム! 君が外に出てるってことは、No.2の鍵が開いてたってこと?」
 保管庫は危険な順に2から4まで……オーリの言葉を思い出して、ステファンはぞっとした。No.2は一番危険なんじゃないか!

 
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 恐る恐る、No.2の本を取り出してみた。が、表紙はしっかりと閉じている。鍵が開けられていないのを知って安堵する間もなく、ステファンは再びぞぉっとしなければならなかった。
(どのみち、ファントムを戻すには鍵を開けなけりゃいけないんじゃないか!)
 再びけたたましい笑い声が響いた。
「ファントム、鍵イラナイ。ファントム、自由」
 そういうが早いか、ステファンの手をすり抜けて書架に向かう。
「あ、こら!」
 捕まえようとしたステファンの目の前に、No.5の本がどさりと棚から落ちてきた。ファントムはその表紙に降り立つと、ニタニタ笑いを浮かべたまま吸い込まれるように消えていった。
(うそだろ?)
 ステファンは信じられない思いで「No.5」の金文字を見ていたが、しばらくすると猛然と腹が立ってきた。
「出てけよファントム! そこはお父さんの保管庫だ、君の部屋じゃない!」
 迷わずNo.5の鍵を開け、表紙を開いたステファンは息を呑んだ。
 眩い空。陽の光を反射する湖と、風に揺れる広葉樹の森――
 明らかに、父のコレクション部屋とは違う。目を閉じて頭を振り、もう一度中を覗き込んだステファンは、急にめまいを起こした。
(しまった、さっきあんな力を使ったせいだ――)
 忘れていた。学校に通っていた頃、いじめっ子に盗られた物を取り返せたとしても、その後ステファンは必ず気分が悪くなってしばらく歩けなかったのだ。
 頭の中を冷たい手で絞られるような感覚が走り、目の前が緑色になる。慌てて何かに摑まろうとしたが、伸ばした手は空を掻いて、ステファンはそのまま本の中へ落ちていった。  

 
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 風の音。
 木々の揺れる音。
 
 恐る恐る片方ずつ目を開けたステファンは、自分がまだ空中に居ることを知った。

(ここは?)
 不安定な姿勢のまま首を曲げて周囲を見回すと、空の一部が窓のように四角く切り取られ、そこからさっきまで居た書庫が見える。そうだ、「保管庫」の中に落ちたのだ、とステファンは思い出した。
 あの四角い窓は本の入り口だ。なぜここが別世界のようになってしまったのかは知らないが、あの入り口に辿り着けば書庫に帰れるはずだ。
 そう思って手を伸ばすのだが、身体はまるで風に煽られる木の葉のようにくるくるとして、思うように動けない。もがいているうちに、入り口は次第に遠ざかってしまった。
 
 風が吹く。ステファンは上下の感覚もなく吹き飛ばされ、気が付けば森も湖も飛び越して、岩だらけの荒れ野の上を飛んでいた。
 ふと下を見ると、岩陰に人が居る。黒髪で彫りの深い顔立ち――見覚えのある顔だった。
(お父さん!)
 ステファンは目を疑った。家に居た頃より随分若く見えるが、間違いない。オスカーは岩から岩の距離をメジャーで測り、目を輝かせて手帳に何かを書き込んでいる。
(お父さん、お父さん!)
 懸命に大声で呼びかけるのだが、遠すぎるせいか、強い風のせいか、耳には届いていないようだ。
 
 どう、と風が吹く。再び吹き飛ばされたステファンを強い太陽光が照らした。風がいやな臭いを運び、皮膚がひりひりとする。明らかにさっきとは違う場所だ。赤茶けた土の上を、銃を背負った人影が通り過ぎる――オスカーだ。ここにも父が居たことを不思議に思う暇もなく、ステファンは必死に人影を追った。
「ようオスカー、そっちは?」
 誰かに呼びかけられ、振り向いた顔を見てステファンは驚いた。さっき見た時のオスカーとは違う。顔中に髭が伸びていて、頬がこけている。
「ひどいもんだ。遺跡を銃座にしてる連中まで居たよ」
「どのみち、こんな戦争もうすぐ終わりさ。早く本国に帰って赤ん坊に会いたいだろう?」
「もちろん。もう名前も決めてある。ステファンというんだ」

 
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(どういうことだろう……)
 再び風に飛ばされながら、ステファンはさっきオスカーが言った言葉を思い出していた。
(ぼくが赤ん坊って? それに戦争って? 大きな戦争なら、もう七年も前に終わったはずだ)
 何度も違う場所に飛ばされ、その度に違うオスカーを見た。ステファンはもう父に呼びかけようとはしなかった。
(そうか、ここはお父さんの思い出の中なんだ。ぼくの声は届かない。木の葉みたいに飛びながら見ていることしかできないんだ……)

 ふと風が止んだ。ステファンは見覚えのある場所に立っていた。
「ステファンこっちへいらっしゃい、いいお天気よ」
 髪の長い小柄な女性が、芝生の上で呼びかけている。その灰色の目を見て、ステファンは驚いた。
(お……お母さん?)
 輝くような笑顔をした、若い母がそこに居た。母がこんな風に髪を下ろした姿など、しばらく見ていない。ステファンの知っている母ミレイユは、常にぴっちりと髪を結い上げ、凛とした眼差しで家を取り仕切る厳格なイメージしかなかった。
「おや、日光浴かい? そうだ、フィルムがまだ残っていたから写してあげよう」
 カメラを手に現れたのは、ステファンの記憶に残る通りの父だ。
 それを見て、好奇心いっぱいの顔でちょこちょこと走ってくる幼子がいる。
(あれは……ぼく?)
 確か三歳か四歳の頃だ。ここは黄色い屋敷の中庭に違いない。この日のことは覚えていないが、柔らかな陽射しの中でカメラを向ける父の姿だけは、妙に覚えている。
「ステファンだめだよ、そんなにカメラに近づいちゃ写せないよ」
 オスカーは笑いながらシャッターを切る。その隣で屈託無く声をあげて笑うミレイユ。
 こんな日もあったのだ。
 こんな明るい母も居たのだ。
 見ているステファンの目に涙が浮かんできた。
「お父さん!お母さん!」
 聞こえないとわかっているのに、ステファンは叫びながら思わず駆け寄ろうとした。

 パタン。
 本が閉じるような音がして、目の前の全てが消えた。
「フウ、危ナイ危ナイ」
 茫然としているステファンのすぐ隣に、鈍く光る仮面が浮いていた。


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「ファントム!」
 ステファンの息はあがり、頭はガンガンしていた。見回すと、ここはNo.5の保管庫の中だ。
 目の前の床には一冊の分厚いノートが落ちている。ファントムはその上に降りた。
「弱虫、泣キ虫、過ギタ時間ハ戻ラナイ」
「なんだよ!」
 ノートの上からはたき落とそうとするステファンの手を、ファントムはたやすくすり抜けた。カンに障るような笑い声が響く。ステファンは構わずに、ノートを手に取った。見覚えのある文字と写真が並んでいる。
「これ、お父さんの字だ……」
 各地の遺跡を研究していたオスカーは、その記録を克明に残していた。さっきステファンが飛んでいたのはまさに、このノートに記録されている場面だ。だが最後のページに貼り付けられていたのは、遺跡ではなく、無邪気な笑顔を向ける幼いステファンの写真だった。
「他には? この続きはないの?」
 薄暗い保管庫の中には、まだ整理のついていない魔道具と共に古文書やノート類が積み上げられている。ステファンはその中にオスカーの筆跡を探した。
「探サナイホウガイイ」
 ファントムの声など無視してステファンは探し回ったが、ふと思いついて、本の山に呼びかけた。
「ステファン!」
 すぐに、何冊かが反応して光り始めた。ステファンはその光を頼りに、片っ端から本を開いてみた。
 おおかたは古い聖人の名であったり、外国の作家名であったりしたが、やがて一冊の日記帳らしい本を手にして、ステファンの動きが止まった。
「ヤメロ!」
 ファントムの声が遠ざかる。ステファンは再び、本の中に自分の意識が落ちていくのを感じた。

 
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 ここは、どこだろう。

 古いゴブラン織りの椅子と、猫足のテーブル。そうだ、ここはステファンの家の中だ。
 窓の外は激しい雨が降っている。部屋の中では、退屈した顔で幼いステファンがむずがっている。
「ほうら、できたよ、ステファン」
 居間の入り口に現れたのは父オスカーだ。紙を切り抜いて作ったハトをテーブルに乗せて微笑んだ。
「やってみてごらん」
 幼いステファンは嬉しそうに目を輝かせ、テーブルに向かって叫んだ。
「ククゥ、つかまえた!」 
 その声に応じるかのように、テーブルにあった紙のハトがひらひらと舞って、小さな掌に落ちてくる。 ああそうだ、と見ているステファンは思い出した。「ククゥ」は父がよく作ってくれたハトだ。こんな小さな頃から遊んでいたっけ。
 ところがそんな感慨も、聞き覚えのある声に吹き飛んだ。
「オスカー! なんて遊びをさせてるの!」
 ステファンは緊張した。家でよく聞いた、母のヒステリックな声だ。
 母はひきつった顔で幼いステファンを抱き寄せると、「ククゥ」をむしり取るようにして言った。
「こんな遊び、しちゃいけません!」
「ミレイユ、別にいいじゃないか。この子は才能があるんだよ」
 呑気な口調で言うオスカーを、ミレイユはキッと睨んだ。
「そんな才能、要りません。あたくしの息子は、兄たちのような目には遭わせないから!」
 幼いステファンは母の剣幕に驚いてか、泣き出した。ミレイユは構わず、ステファンの手を引っ張って居間から出て行ってしまった。床の上に残されたクシャクシャの「ククゥ」を拾い上げた父オスカーが、やれやれという風に首を振る――
 
 風が吹く。本のページをめくるように、目の前でいくつもの場面がせわしなく入れ替わる。
 その中のいくつかの場面は、ステファンの記憶にもあるものだった。
 オスカーが教えてくれた言葉探し。初めて乗せてもらったスクーター。不思議な魔術道具のコレクション。銀髪のオーリの姿もかいま見えた。そして――
「何度言ってもムダですわ。魔法なんて、この世には存在しないんです。ステファンは普通の子供で充分。オスカー、どうしてもこの子の変な力を認めさせたいというのなら、あたくしにも考えがあります」
 凛とした母の声が聞こえた。暖炉に火が焚かれているところをみると、ここは秋か冬だろうか。
 暖かいはずの居間の中は、凍りつくような空気になっている。険しい眼差しを向けるミレイユの次の言葉を、ステファンは覚えていた。
「夢見たいなことばかり言って。あなたは遺跡やコレクションと結婚すれば良かったんですわ。あたくしは決めました。オスカー、あなたとは離……」

「やめてーっ!」
 ステファンは耳を押さえ、目を閉じた。途端に何かに引っ張られて、次の瞬間、どさりと本の落ちる音がした。
 目を開けると、元の保管庫の中だ。ステファンは崩れるように座り、そのまま仰向けに倒れた。
「ぼくだったんだ……」
 仰向いたまま、ステファンは苦しい呼吸をした。頭が割れそうに痛み、目の端に涙がこぼれた。
「お母さんが機嫌悪かったのも……お父さんが出て行ったのも……ぼくが変な力を持ったせいなんじゃないか! こんな力のせいで……」
「ダカラヤメロト言ッタンダ」
 ステファンを覗き込むようにして、ファントムが宙を漂っている。泣き顔を見られるのが嫌でステファンは腕で顔を隠したが、こらえられない泣き声が喉の奥から込み上げてくる。
 もういいや。どうせファントムなんて仮面じゃないか。他には誰にも聞かれないからいいや。そう思うと、ステファンは小さい子供のように大声をあげ、床に突っ伏して泣きだした。

 どのくらいそうしていたろうか。
 さんざん泣くだけ泣いて、ステファンは気が抜けたようにのろのろと起き上がった。
「……ファントム、君はお父さんのこと知ってたの?」
「ノン、ファントム、答エナイ」
 いちいちカンに障る言い方だ、と思ったが、ステファンにはもうファントムをつかまえる気力はなかった。
「いいや、もう。変な力なんていらない。魔法なんて勉強したって、意味ないよ……」
「ケーッケケケ!」
 ファントムが再び笑いだした。
「ヤッパリ弱虫ダ。弱虫、泣キ虫、イジケ虫ー」
「なん……だと?」
 ステファンは痛む頭を押さえて立ち上がった。
「いいかげんにしてよ! ぼくは、そりゃ、ちょっとは泣き虫だけど、弱虫でもイジケ虫でもないぞ!」
「ソウコナクチャ」
 ファントムはひらりと舞い上がると、急に重々しく言った。
「愚カナ迷子メ。スネテ済ムノナラバ、ソウシテイレバイイ。ダガソレデハ、イツマデモココカラ出ラレナイゾ」
 さっきまでとの口調とは違う。仮面の表情までが厳しくなっている。
「ファントム? ぼくに、どうしろって?」
「ファントムハ注告シタ。ファントムハ止メタ。ダガオマエハ既ニ踏ミ出シタ。ナラバ知ルコトヲ恐レルナ。オマエニ勇気ガアルナラバ、マダ知ルベキ事ガ有ルダロウ」
 知るべきこと――ステファンは誰の名を口にするべきか、わかる気がした。
 ただし、今度は意識ごと引っ張られることのないように気をつけよう。そう冷静に考えながら本の山に呼びかけた。
「――ミレイユ!」
 
  
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 考えてみれば、母ミレイユがなぜ魔法ぎらいなのか、ステファンはその理由を一度も聞いた事がなかった。ただ「叱られるから」という理由だけで、母の前では自分の力を使うことも魔法の話をすることもタブーにしてきたのだ。
 
「ミレイユ」という言葉に反応した光のうち、本ではなく箱の中から発せられたものがあった。
 開けてみると、中身は古い手紙の束だ。どれも開封済みだが、その差出人の細い文字は、確かに母ミレイユのものだった。
「ミレイユ・リーズ?」
 ステファンはサインを見て首をひねった。リーズといえば母の旧姓だ。封筒をひっくり返して消印の日付を確かめると、どれも十二、三年前の古い日付になっている。つまり、まだ両親が結婚する前のものだ。。
 ステファンは手紙の束を手にして戸惑った。
 両親の若い頃の話など聞いた事もないし、今まで気にした事もなかったが、娘時代の母ミレイユがオスカーに宛てた手紙だと思うと、急に眩しく思えた。
 きっとそこにちりばめられた文字は、父と母だけの大切な言葉だ。いくら息子でも、ステファンが勝手に読んでいいとは思えない。
 けれどその中に、一枚だけ葉書があった。細かい文字でびっしりと書かれている。
 葉書なら――そう思ったステファンは、心の中で母にごめんなさいを言いながら文字を目で追った。
 
 意外にもそれは、母の兄姉について書かれたものだった。
 「“兄や姉は昔から、物を浮かせたり、見えないはずのものが見えたりできるというのです……
  私は信じません。そんなものは自然に反する、不道徳な力です。
  その証拠に兄たちは皆、不幸な亡くなり方をし……
  十三人のうち……私だけでも正しい人間として生きていこうと……”」
 ところどころインクが消えかかって読みにくい文字を拾い読んでいたステファンは、信じられないという表情で顔を上げた。
「変だよ! お母さんのきょうだいって、魔女や魔法使いだったの? ぼく、聞いた事ないよ」
「魔力ヲ持ッテイルダケデハ、魔女ヤ魔法使イトハ言エナイ」
 ファントムは落ち着いた声で言った。
「あ、そうだね。お父さんだって魔力を持ってたらしいけど、魔法使いってわけじゃないってオーリ先生が言ってた。
ねえファントム、さっきお父さんの日記の中で、“兄たちのような目には遭わせない”ってお母さんが言ってたよね。それって、伯父さんたちが魔力をうまく使えなくて不幸な死に方をしたってこと? この手紙に書いてあるのも、そういうこと?」
 ファントムが質問に答えないことを知っていたので、ステファンはぶつぶつと独り言を言った。
「だとしたら、ぼくの力はお父さん譲りってわけでもないのかな。あれ? でもお母さんには魔力は無いんだ。それじゃ……」

「へへーん、みそっかすのミレイユ!」
 突然、子どもの声がして、ステファンはびくっと顔を上げた。
 薄暗がりの中にぽっかりと明るい空間があり、そこに何人かの子どもが立っている。
 子どもたちの輪の中に、ひときわ痩せて小さい女の子が見えた。
 女の子はぎゅっと口を引き結んで、目の前の大きな男の子を睨んでいる。
「おいミレイユ、こーんなこと、できるか?」
 男の子は手の上で棒つきキャンディーを浮かせてみせた。
「俺たちはみんなできるぜ。お前にもできるんなら、キャンディー分けてやるよ」
 女の子は懸命に手を伸ばしている。その小さな指先をかすめて、からかうようにキャンディーが踊る。
「ほら、ほーらあ、捕まえてみろって。できないのか?」
「無理よ、ミレイユったら変わり者なんだから。みそっかすのミレーイユ!」
 大きな子どもたちがゲラゲラと笑う中で、小さいミレイユは灰色の目にいっぱい涙を浮かべている。
 ステファンは見ていてむかむかとしてきた。まるっきり、ステファンが学校でいじめられていた時と同じ光景だ。
「やめろよ!」
 ステファンは思わず手近にあった本を男の子に投げつけた。
 が、本は男の子の体をすり抜け、向こう側の壁に当たって落ちた。と同時に目の前の光景もかき消えてしまった。

「ヤレヤレ。マタ意識ヲ引ッ張ラレタナ。オマエ、イマニ壊レルゾ」
 肩で息をするステファンの頭上で、ファントムが呆れたようにつぶやいた。
「だい……じょうぶ、三度目だもの、慣れちゃったよ……」
 ふらつきながら、ステファンは無理して笑ってみせた。
「それよりさ、なぜお母さんがあんなに魔法を嫌うのか、少しわかった気がする」
 ステファンは葉書の文字をもう一度見つめてから、丁寧に箱の中に戻した。
 十三人ものきょうだいの中で、「ひとりだけ違う」と言われ続けたミレイユは、どんな気持ちだっただろう。
 集団の中で異端視される悲しさや怖さは、ステファンには痛いほどわかっていた。
 母は、魔力を持たなかったために。
 自分は、魔力を持ってしまったために。変わり者と言われ、普通ではないと言われるなんて。
 それじゃ、異端って何だろう? 普通ってなんだろう?
「ばかみたいだ」
 ステファンの目に再び涙が浮かんだ。けれど今度は自分の為ではない。母と、その兄姉の為の涙だった。
「ねえファントム。もし伯父さんたちにオーリ先生みたいな師匠が居たら、魔力のために不幸な死に方なんてしなかったよね? 伯母さんたちだって、あんな意地悪にはならなかったよね?」
「答エナイ」
 ファントムはいつもの調子で言いながら、なんだか嬉しそうな表情になっていた。

 ステファンは保管庫の天井を見上げた。いつの間にか四角い窓のような出口が戻って来ている。
「ココカラ出タイカ?」
「うん。外に出て、先生に会いたい。会って、ここで見たこと全部、話したい」
「ウィ、ウィ。ソレナライイ」 
 出口の光がみるみる近づいてきた。ステファンは手を伸ばし、保管庫の縁にぶらさがった。

「ステファン!」
「ああ、やっと帰ってきた!」
 出口からオーリとエレインの顔が覗き込んでいた。二人は両側からステファンの手をつかみ、そのまま保管庫から引っ張り出してくれた。
「先生……エレイン……」
「いつまでたっても書庫から出てこないから心配したぞ。まったくなんて子だ!」
 言葉とは裏腹に、オーリの目は嬉しそうに輝いている。
 二人の顔を代わる代わるを見るうちに、ステファンはホッとすると同時に猛烈な眠気に襲われた。
「先生……ごめんなさ……」
 言い切らないうちに、ステファンはオーリの肩に頭をぶつけて、いびきをかき始めた。
 
 
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 いい匂いがする。
 
 午後のお茶のために、お母さんがスコーンを焼いているのかもしれない。
 いつのまにうたた寝してしまったのだろう。
 起きなきゃ。
「ステフ、ステファン」
 懐かしい声が、すぐ傍で聞こえる。
 大きなあたたかい手が、額に触れている。
 お父さん、帰っていたんだ――

 パチパチッ、と金色の火花が頭の中に飛んで、ステファンは目を開けた。
「や、おはよう。それともお帰り、というべきか」
 水色の目がのぞきこんでいる。
 そうだ、ここは黄色い田舎屋敷ではない。額に手を触れているのは、父ではなくオーリだ。
 途端に意識が鮮明になって、ステファンは慌てて起き上がろうとした。
「ああ、急に起きないほうがいい。頭痛がするだろう」
 確かに。頭の中で調子っぱずれの音叉が鳴り響いているようだ。再び枕に沈み込むしかない。
 オーリはクッションをいくつか抱えてきてステファンの枕の下や背中に押し込み、上体が起こせるようにしてからコップを差し出した。
「とりあえずは水だ。それから食事、と言いたいが三日ぶりじゃ胃にこたえるな。マーシャが今スープを用意してるよ」
「み、三日も寝てたんですか?」 
 コップの水を一気に飲み干してむせながら、ステファンはバツが悪そうな顔をした。
「正確に言うと、書庫に立てこもってから一日半、出てくるなり眠り込んで一日半。ファントムから聞いたよ。書庫でとんでもない透視をしてみせたって?」
「ええっと……」
 ステファンは思い出そうと試みたが、一度にいろいろな事柄が頭に浮かび、どれから話していいかわからなくなってしまった。
「……ぼく、謝らなきゃ。先生、約束破ってごめんなさい。No.5の鍵をひとりで勝手に開けちゃったんだ」
「そうだ、想定内の約束違反だ」
 オーリはニヤリとした。
「けど、保管庫に入ってからのことは思いもよらなかった。無茶というか、無謀というか、途方もないな――悪いけど、寝てる間に記憶を見せてもらったよ――教えてもないのにあんな危険な魔法なんてやっちゃダメだ!」
「あれって魔法、だったんですか?」
「やれやれ、無自覚にあんな力を出したってのか。いいかい、あれは同調魔法といってね、対象になるモノに刻み込まれた記憶に入り込んで追体験するやり方だ。訓練を積んだ大人の魔法使いだって、気をつけないと意識を引っ張られたまま戻れなくなることがあるんだよ。現にそれで廃人になった奴もいる。ファントムが道案内になってくれなかったら、君は今頃どうなってたか」
 ステファンはぞっとした。仮面のファントムに“今に壊れるぞ”と言われた意味が、初めてわかった。
「オスカーが居なくなったうえに君までどうかなってしまったら、残されたお母さんはどうなる? ――あんまり突っ走るなよステフ。何のために“師匠”がいるんだい」
 ベッド脇に腰掛けたオーリは、なぜか顔を向けずに、手だけ伸ばしてステファンの頭をがし、と捉えた。父と同じにおいがする。
「ごめんなさい」
 謝りながらもステファンは不思議な安心感を覚えた。

「ステーフ! 起きた?」
 赤いつむじ風のように、エレインが飛び込んできた。返事をする間もなく、オーリからステファンをひったくると、
「生きてる! 生きてる! 良かったぁ!」
 と、骨も折れんばかりに頬ずりしてきた。最初に会ったときと同じだ。ステファンは必死で突っ張った。
「痛い、痛い、頭が割れるっ」
「そのくらいは我慢しろステフ、みんなを死ぬほど心配させた罰だ」
 オーリは笑いながら両腕を広げ、エレインもろともステファンを抱きしめた。
「坊ちゃん、スープを……おやまあ」
 スープの盆を持ったマーシャが、子供部屋で大騒ぎする三人を見て呆れ、それから袖口でスン、と鼻をすすった。
 両親以外にも、自分をこんなにも思ってくれる人たちがいる。――ステファンはもみくしゃにされながら、今さらのように帰ってこられて良かった、という思いをかみしめた。
  
 
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 マーシャは魔女ではないというが、不思議な力を持っているとしか思えない。あんなに酷かった頭痛も、彼女の作ったスープやお茶を飲むうちに嘘のように消えてしまった。
 
 翌日にはもう外に出たくてしょうがなかったのに、ステファンはベッドでおとなしくしているよう厳命された。
「なんで? ぼくもう平気なのに。前に熱を出したときだって、すぐ治ったでしょう?」」
 ふくれっ面のステファンに、オーリは苦笑いをした。
「あれだけ消耗したっていうのに自覚してないとはすごいな。この前のは知恵熱みたいなもんだったけど、今回は話が違う。体力も魔力も限界まで使っちゃったんだから。うそだと思うなら、ちょっと起きて片足立ちしてごらん」
 そんなことくらい、とステファンは飛び起きて、片足で立ってみせた。が、途端に世界が九十度回転して、気が付けば床にひっくり返っていた。
「あ、あれっ」
「ほらね。しばらく平衡感覚がおかしくなってるはずだ」
 オーリは軽々とステファンを引き起こして、ホイ、とベッドに戻した。
「少なくともニ、三日は外出禁止。書庫の出入りも遠慮してもらうかな」
「そんなぁ!」
 ステファンは不服そうな声をあげたが、すぐにしゅんとして目を落とした。
「そうだよね、ぼく、約束を破ったんだもの。罰は受けなくちゃ……先生、これ返します」
 ベッド脇に掛けてあった服のポケットから鍵束を取り出そうとするのを、オーリが制した。
「持っていなさい。そもそもわたしに鍵なんて必要だと思うかい? “開錠”なんて初歩の魔法だよ」
「ええ? じゃ、なんのためにこれを……」
「君のために決まってるじゃないか」
 オーリはニヤッとして答えた。
「ステフならきっと、旺盛な好奇心で保管庫の探検に出かけると思っていたんだ。ファントムも居るし、まさかあんな高度な魔法を使うとは思っていなかったから、油断してた。あとでエレインにさんざん叱られたよ」
 自分の首を絞める仕草をしておどけるオーリに、ステファンは笑いながら同情した。エレインに昨日みたいな“ハグ攻撃”をされるのだって恐いのに、叱られたらいったい……
「だから次からはあんな事にならないように保管庫を整理したいんだ。でもちょっと時間をくれないか」
「あ、なんだそういうこと」
 ステファンは胸をなでおろした
「それにしても、あの保管庫ってすごいや。いったいどんな魔物が作ったんですか? 会ってみたいな」
「もう会ったじゃないか」
「え、どこで?」
「書庫の中だよ。君は、いったい誰に道案内してもらったんだ」
 あ、とステファンは目を見開いた。
「ファントム! あのファントムが、魔物だったの?」
「その通り。ファントムという名前は、わたしが勝手につけたんだ。彼は古い時代から生きてるらしい。あの仮面に封じ込められて長い間古魔道具屋で埃を被ってたんだが、わたしが取引をもちかけると喜んで書庫の主になってくれたよ」
 書庫の主。確かに、そういう感じかもしれない。自由きままに飛び回る仮面の姿を思い出して、ステファンは可笑しくなった。
「でも彼は今眠ってるよ。本来は人間に知識を与える存在じゃないのに、何度か君に助言を与えたりしただろう。だから疲れたって」
「そうなんだ。お礼を言いたかったのにな」
「十一月の花火祭にはまた会えるさ。それよりわたしも質問していいかな」
 ステファンは緊張して姿勢を正した。
「君はそうしようと思えば他のNo.の保管庫の扉だって開けられたのに、開けなかったね。なぜ?」
「え、だって。お父さんの保管庫を見て、ぼくわかったんです。あれってコレクションと一緒に思い出をしまっておく部屋でしょう。だったら、鍵を持ってるからってぼくが勝手に踏み込んじゃいけない。あの部屋は、先生のものだ」
 オーリはまじまじとステファンの顔を見ていたが、やがて笑い出した。
「すごい! 教えてもないのによくわかってる。 お母さんの手紙の件といい、君は小さくても紳士だな!」
 お母さんの手紙? 首をひねっていたステファンはみるみる真っ赤になった。
「あーっ先生、ぼくが泣いてたとこの記憶まで見たんでしょう! ひどいや!」
「ごめんごめん。だって手当てしようにも何があったか知らなくちゃいけないだろう。それにしても生真面目なやつだな、誰に似たんだろう。オスカーはいい意味で“適当な”ところもあったんだが」
 オーリはまだ笑っている。
「どうせぼくはお母さん似ですよだ」
 口を尖らせたステファンの頭を、オーリの手がポンポンと叩いた。
「不満そうな顔するんじゃないよ。男の子が母親似なのは悪いことじゃない。そして君は幸運なことに、オスカーにもよく似てる」
 なんだかうまく丸め込まれちゃったな、そう思いながらも、ステファンはちょっと誇らしい気持ちになっていた。

 
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 ステファンが起きて歩き回れるようになった頃、一通の手紙が届いた。
「お母さんからだ!」
 明るい出窓のそばに陣取り、ステファンは食い入るようにして手紙を読み始めた。ミレイユの文字は相変わらず几帳面で細かい。文面を目で追ううちにステファンの顔つきは真剣になり、けれどやがて笑い出した。
「先生、みてよこれ」
 ステファンは笑いながら、居間でお茶を飲むオーリに手紙を差し出した。
「“わたしの大切なステファンへ どうしても言っておかなければならないことがあります、驚くとは思いますが冷静に読むように”……これ、わたしが読んでもいいのかな?」
 ステファンはまだ笑いながらうなずいている。手紙の続きを読み進めたオーリは、うーん、とうなった。
 そこにはミレイユの兄姉の“妙な力”のことが、まるで重大な秘密を告白するかのように綴られてあった。しかもミレイユ自身はなぜかそのことをしばらく忘れていたというのだ。
「これによると、お母さんは君が保管庫で見たのとそっくり同じ光景を夢で見て、昔を思い出した、ってことだね。しかも日付は三日前……ステフが書庫から出てきた日じゃないか」
「ね。おかしいよね。でも、伯父さんたちのことならぼくもう知ってるよ、って言ったらお母さんどんな顔をするかな?」
 おかしそうに笑うステファンの顔を見ながら、オーリは感嘆するように言った。
「不思議なものだね。ステフ、君のお母さんは魔力なんてなくても、ちゃんと君と心がつながってるんじゃないか」
「でもさ、お母さんたら、自分からリコンを言い出したくせにお父さんに言った言葉まで忘れてたっていうんだから呆れるよね。ぼく、あんなに泣いて損しちゃった」
「忘れた、か。ああもしかしたら!」
 オーリはパシッと手紙を指で弾いた。
「ステフ、これはもしかしたらオスカーとつながるかもしれないぞ」
「どういうこと?」
「これは多分、忘却魔法のひとつだ。相手が眠っているあいだに掛ければ、特定の言葉や出来事に関する記憶を忘れさせることができる。オスカーは独力で魔法を使えたわけじゃないけど、魔道具を使いこなすのは上手かったから、不可能ではないはずだ」
「お父さんがお母さんに魔法を掛けたってこと? そんな道具があるの?」
「だめだよ、保管庫に探しにいこう、なんて思ったら。それにあくまでこれは憶測なんだから」
 オーリはステファンの心を見透かしたようにたしなめた。
「でも確かにおかしいとは思っていたんだ。君の話によれば、昔ミレイユさんはオスカーに向かって“兄たちのようにはさせない”と言ってたそうじゃないか。つまりその頃は、ステフの力をはっきり“魔力”だと認めて恐れてたってことだ。けど、思い出してごらん。君の弟子入りの話をした時はそんな態度じゃなかった。漠然と不愉快には思ってても、君の力がなんなのか、わかってない様子だったろう」
「じゃあ、ええと」
 ステファンはこんがらがりながら、懸命に思い出そうとした。

 
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