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1950年代の欧州風架空世界を舞台にしたファンタジー小説です。 ちょいレトロ風味の魔法譚。
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 七月の雨が降る田園の中に、オーリローリ・ガルバイヤンは降り立った。
 刈り入れの終わった大麦の畑に代わって、この季節を彩るのは果樹園の緑だ。青々と葉の茂る葡萄棚の向こうに、古びた黄色い壁の屋敷が見える。
「来たよ、オスカー」
 彼は呟き、瑞々しい草の香を胸に吸い込むと、雨の中を歩き出した。
 長身の背を包む季節はずれな黒いローブに、彼の長い銀白色の髪に、雨は降りかかる。が、少しも濡れている様子はない。

 その日、十歳のステファンは落ち着かない様子で家の中を行ったり来たりしていた。
 今日の午後、大事なお客が来る事は、母親のミレイユから聞かされていた。
 父オスカーの親友であり、画家でもあるという人物だ。
 母がこのお客をあまり歓迎していないであろうことにはうすうす感づいていた。それというのも、かの作家のもう一つの肩書きが「魔法使い」という、世間的にはあまり信用されていない類いのものだからだ。
 ステファン自身は、わくわくして仕方なかった。
 父の親友が「魔法使い」なんて! いったいどんな人だろう?
 目の前で、何か不思議な魔法を見せてくれるだろうか?
「あなたのためなんですからね、ステファン!」
 母は神経質な声をあげた。
「来年は上の学校に上がる年なのに、まったくおかしな癖を止めないから! おかげで魔法使いだなんて怪しげな人間をお客に招かなくちゃいけない。おお、いやだいやだ」 
 玄関先から小間使いが呼ぶ声がした。どうやらお客が到着したらしい。
 ステファンはキッチンに追いやられた。

「まあ、お待たせしてしまって」
 玄関に出迎えたミレイユは、驚いた様子を見せた。
「今お着きでしたの? 失礼しましたわ、車の音がちっともしなかったもので。雨の中、大変でしたでしょう?」
「こんにちは、ペリエリ夫人」
 長身の若い魔法使いは礼儀正しく会釈した。
「ちっとも大変じゃありませんよ。この田園風景を見ていたら、雨もまた楽し、です」
 小間使いがローブを受け取ろうとすると、彼はそれを制して、
「失礼。魔法使いのローブなど触るものではありませんよ。本来なら外さずに居るものですが」
 と、自らコート掛けに向かった。
 魔法使い、と聞いて小間使いは顔色を変えた。が、ミレイユは気にしない振りでわざとらしく咳払いをすると、客間に案内した。

 青いつる草模様のティーカップに自らお茶を注ぎながら、ミレイユは客人を注意深く見た。ゴブラン織りの椅子に深く腰掛け、壁の古い肖像画を見るともなしに見ている表情は、一見穏やかで人が良さそうに見える。
 だが魔法使いなんて輩は信用ならないと聞いている。いつ懐から杖を取り出して妙な術を仕掛けられるかわかったものではない。
 とりあえず無難な話題から始めた方が良さそうだ。
 
「ガルバ……ガルバイヤン先生はオスカーと、骨董コレクション関係でお付き合いいただいてましたわね?」
「そうです。発音しにくい名でしょう? オーリで結構ですよ。皆、そう呼びます」
「ではオーリ先生。お忙しいでしょうにこんな田舎にお呼び立てしてしまって」
「いえ、丁度仕事に区切りがついたところですから。その後オスカーからは、何か連絡でも?」
 カップを手にしながらオーリは尋ねた。
「ちっとも。まあオスカーの行方が分からなくなるのはいつものことですけれど、今回ばかりは弁護士も困っておりますし、どうしたものかと」
「わたしのほうにはこんな物が届いていますが……」
 オーリは半分焼けたような紙片をテーブルに置いた。
「何ですの? 古代文字か何か?」
 ミレイユは細い鼻骨の上で眼鏡をずり上げて紙片を見た。
 青いインクで書かれた、図形とも紋様ともつかない奇妙な文字列が紙の上に並んでいるが、途中で紙が焼けてしまったようだ。
「少し古いものですが、間違いなくオスカーの文字ですよ。あちこちを巡ってわたしの元へ届いたようです。何らかの原因で半分は焼けてしまって、差出人住所どころか消印すら確認できませんでした」
「またいつもの、オスカーの謎ときごっこですかしら。まったく!」
「わたしは職業柄、文字の解読くらいできますよ。お望みなら内容を……」
「いえ結構」
 ミレイユはぴしゃりと言った。
「オスカーの趣味に付き合うつもりはありませんし、興味もありませんわ。事情は知りませんけど、真面目に連絡をとりたいのなら、あたくしか弁護士宛にちゃんとした手紙をよこすなりできたはずです」
 オーリは落胆したようにため息をつき、
「もしかしたらこれが何かの手掛かりになれば、と思ったんですが……いえ、お気になさらずに」
 と紙片を内ポケットにしまった。
「そうだ、彼のコレクションは? どうなってます?」
 話題を変えるようにオーリは身を乗り出した。
「コレクション? ――ああ、あの何とか言う古い道具類ですわね。全然、手付かずで部屋に積み上げたままですわ。あれもどうにかしないと」
 コレクションといっても、彼女の夫の集める物は、怪しげな魔術道具やカビの生えそうな古書ばかりだ。
(それより先に話題にすべきことがあるだろうに、これだからコレクターは!) 
 ミレイユはじろりとオーリを睨んだ。
「もったい無いなぁ。どうです、わたしの保管庫をひとつお貸ししましょうか? なんなら彼が帰ってくるまでに分類くらいしておきますよ」
「それはご親切に」
 いんぎん無礼に答えながら、ミレイユの胸にふと疑念が湧いた。
「あのう、ちなみに。あれらにどんな価値がありますの? 例えば、ですけれど、売り払ったとしていかほどの……」
「二束三文ですね」
 オーリはにべもなく答えた。
「個人のコレクションなんてそんなものですよ。まして古魔術に関しては、真贋の見極めが難しいのでね、市場でもそんなに人気はありません」
「あら……そうでしたの」
 ミレイユはがっかりした表情を隠さなかった。

 オーリは苦笑しながら語りだした。
「まあ、この科学時代、魔法だの魔術だのいってもあまり存在価値はありません。
呪文なんて使わなくても、人は望むものをカネを使って手に入れ、列車や車を使って移動出来るでしょう。飛行手段さえ手に入れたのです、ホウキに乗れなくても。
いずれ遠くない未来、人間は月にさえ向かうでしょうし、やがては自らの発明で、新しいウィザードやウィッチと呼ばれる存在を作り出すのでしょうね……」
「画家さんの想像力にはついていけませんわね」
 ミレイユは話を遮った。ホラ話に付き合うつもりなど無かった。
 が、オーリは淡々と話を続けた。
「想像も夢想も仕事のタネですから。
魔法使いといってもひとつの技能職と思っていただいて結構です。昔はきちんと区別されていた魔法使いと魔術師の境界さえ今はあいまいでしょう? 剣と魔法の時代なんて遠い昔話、現在では一般の社会に溶け込んで仕事をしているのが普通です。
わたしなどはこうしてしがない絵描きをやって食いつないでいるのが現状ですよ」
「ご謙遜を」
 追従笑いを浮かべて、そろそろ本題に入らねば、とミレイユは思った。
「それでその、手紙は読んでいただけまして?」
「ああ、ご子息のことで相談があるとか?」
 オーリは姿勢を正し、にこやかに言った。
「なんなりと。他ならぬオスカーの家族の為ですからね、わたしにできることでしたら、伺いましょう」

 ミレイユはさっきから、さりげなく厳しい目でオーリを観察していた。
 仕立ての良いスーツ、良く手入れのできた靴を身につけた彼は、一見紳士然としているが、どこまで信用して良いものやら。
 目の色こそ水色だが、やや黄色みを帯びた肌色や淡白な顔立ちからすると東洋人との混血のようだ。ガルバイヤンなんてどうせペンネームだろうが、どこの国の出身だろう?。
 それに、白っぽい髪色や落ち着いた言葉遣いから最初は分からなかったが、こうして近くで見ると、まだ二十代半ばくらいの若造ではないか。なにが「なんなりと」だ。
 しかし、息子の「あの問題」に関しては、他に相談できそうな人間もいない。
 ミレイユは思い切って切り出した。
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「実は、息子の教育のことですの。そのう、息子にはいろんな物が‘見えて’しまうというか、妙な癖がございまして」
「というと?」
「有り得ない事ですけど! パイの中身当てから始まって、コートの毛皮になった動物がどんな顔だったとか、まだ読んでもない本が怖いとか、気味の悪いことばかり言いますのよ。そんなことは言っちゃいけません、と何度叱っても、答えはいつも同じ……」
「‘だって見えてしまうんだもの’」
 オーリはまるで自分の事のようにさらりと言葉を継いだ。
「え? ええ、その通りですわ」
 ミレイユは怪訝そうな顔をしたが、構わずオーリは話を促した。
「いつからです?」
「さあ……いつからでしたかしら。最初は空想遊びかと思っていたもので――ほら、子供はよく空想と現実をごちゃまぜにしますでしょ? だからさほど気にもしていなかったんです。それが」
 ミレイユは言葉を区切ると、ゴクリとお茶を飲んで続けた。
「ある日、取引先のお客様が古い剣を持っていらしたんです。なんでも由緒有るお屋敷のものとかで、オスカーの骨董好きを知って、まあご自慢にいらしたんですわね。ところがまだ包装も解かないうちに、ステファンがじっと見て言うのです、‘外は年寄り、中は他所の子’って。実際、オスカーが見てみると剣と鞘は別の時代のものでした――というより、真っ赤な偽物だったのですわ」
「ハッハハハハハ」
 オーリは手に持ったお茶を揺らして、さも愉快そうに笑った。
「笑い事じゃありませんのよ! お客様は恥じ入るやら、気味悪がるやらで、もうどんなに困ったことか」
「で、そういうことが頻繁に?」
「ええ、学校でも気味悪がられて、試験の時など別室に移される程ですの。そのう、カンニングが簡単にできてしまうので」
「是非お会いしたいですね、その才能あるご子息に」
 含み笑いをしながら、オーリはカップを置いた。
「さ、才能ですって?」
「ええ、芸術の才、弁舌の才などよりもっと稀有な才能です」
 ミレイユは疑わしげな眼を向けた。
「何だか知りませんけど。ステファンには、もっとしっかりした子で居てもらいませんと。もっと賢くて、もっと常識的な……そのためには、こんな田舎ではなくて、ちゃんとした処で教育を受けさせることが大事ですわ、そう思いません?」
「オスカーには、ご相談なさらなかったのですか?」
「相談もなにも、ろくに家にいませんものね、あの人は! やはり育ちが違うといいますか――いえ、今でこそこういう田舎暮らしですけどね、もともとあたくしの父方は名家の親戚筋ですのよ。世が世なら……」
「お察ししますよ、ペリエリ夫人」
 オーリは相づちを打ったかに見えるが、明らかにこの話題を中断させたがっている。
「あたくし、この姓が嫌いですの!」
 カチャン、と音を立ててティーカップを皿に置いたミレイユは、咳払いをすると、眼鏡をハンカチで拭き始めた。
「いずれ息子にはあたくしの旧姓‘リーズ’を名乗らせるつもりです。ほら、折角‘ステファン’という響きの良い名に‘ペリエリ’ではあまりにも、ねぇ」
 ミレイユは細い眉を寄せて、拭きあげた眼鏡を透かし見ながら一人でしゃべり続けた。
「ご存知のように、あたくし達は今、裁判で争っている最中でしょう? ああ、離婚はもう決定してますの。あとは財産の分割と、息子の親権のことで。そういう環境が、あの子をおかしくしてしまったのかもしれませんわ……ああ可愛そうなステファン!」
 ハンカチで目を押さえたミレイユの様子には目を向けず、さっきからオーリは客間のドアを注視している。
「大丈夫、おかしくなんてないですよ。なんならわたしも‘当てっこ’をしてみましょうか?」
 オーリはいたずらっっぽい笑みを浮かべて呼びかけた。
「ステファン、そんな所で困ってないで、入っておいで!」

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 ややあって、遠慮がちに部屋に入ってきたのは、小がらで茶色い髪の男の子だった。
「ステファン、ご挨拶なさい」
 母親に促されて、少年は上目遣いに、
「こ、こんにちは……ステファンといいます」
 とほとんど聞き取れないくらいの声で名乗った。
「もっと大きな声で、はきはきと。いつも言っているでしょう? まったく十歳にもなって……こちらはお父様のお友達、画家で……魔法使い……の、オーリローリ・ガルバイヤンさん」
 ややこしい名前よりも「魔法使い」と発音するほうが難かしい事でもあるかのように、ミレイユは紹介した。
「やあステファン、目元がお父さんにそっくりだね」
 ミレイユがピク、と眉を吊り上げたが、オーリは無視してつかつかと少年に近づくと、次の瞬間には力強く右手を握っていた。まるで旧知の友人同士のように握手されて、少年は鳶色の目をまん丸くした。
「君は、目が凄く良いんだって?」
「え……ええと」
 
 言われた言葉の意味がわからず、戸惑いながら、ステファンは目の前の背の高い紳士を見上げた。
 オーリローリ・ガルバイヤンの名なら、父から何度も聞いていた。魔法使いにして画家であり、古魔法道具の蒐集家。あんな面白い男は居ないよ、と父はよく語っていた。
 でも魔法使いというからには、もっと神秘的で威厳が有り、絵本で見るような長い髭の年寄りなのでは、と勝手に想像していた。まさかこんなに若いとは思わなかった。
 確かに、東洋人みたいな顔つきは不思議な雰囲気だし、背中まである長い髪は魔法使いらしいといえばらしいが、それにしても会った途端に、なんと親しげな人か。なにより、この目は? 澄んだ水面を思わせるような目が、まるで子供のように無防備に、まっすぐステファンを見ている。

「火花、スパーク……羽根」
 ステファンは無意識につぶやいた。
「失礼ですよ、ステファン!」
 母の声にびくっとして我に返った少年は、
「ご、ごめんなさいっ」
 と首をすくめて後ずさった。
「素晴らしい!」
 オーリは顔を輝かせた。
「わたしの魔法の基本はスパーク、まさに火花なんだ。それに毎日羽根ペンたちに急かされて仕事をしている。よく見えたね!」

「お茶を入れなおしますわ。ステファン、お座りなさい」
 不機嫌そうなミレイユのことは無視して、オーリは矢継ぎ早に質問してきた。
 いつから「見える」ようになった? どんな風に? 相手が生き物の時は? 他にも「変なこと」は起こっている?
「あ、あのう……」
 さっきから、今にもティーポットを取り落とすのではないかと思うくらいイライラしている様子の母を気にしながら、ステファンは遠慮がちに言った。
「母は、こういう非科学的な話が嫌いで……」
「非科学的? とんでもない!」
 オーリの語気が強まった。
「こういうことが、心霊現象だの、何かオカルティックな現象だと誤解している人間が何て多いんだろう! きっと科学の方が追いついていないだけですよ。
いずれ誰にも納得できるように、ちゃんと解明される時代が来るでしょう。その為に魔法使いと、魔法に依らない人間の協力が必要だというのに!」
 オーリは明らかに、ステファンにではなく母親に熱弁をふるっている。
「お茶をどうぞ、オーリ先生」
 ミレイユは新しいお茶を置いたが、「先生」という呼称に精一杯の嫌味を込めているのがわかる。ステファンは身の縮む思いがした。

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 どうも、と答えてカップを口に運びながら、オーリは考えを巡らせた。
 この母親の元に置いておいたら、せっかく開花しかけたこの子の力をみすみす潰してしまうのは目に見えている。できればすぐ連れ帰りたいくらいだが、どうやってかっさらう?
 他人の心を操作するのは本意ではないが、ひとつやってみるか。

「それで、どこの師匠に?」
「は?」
「弟子入りのことですよ。さっき教育のことをおっしゃっていたでしょう? これだけの才能があるんです、ゆくゆくはリーズ家の名を名乗るのですから、ふさわしい英才教育を受けなくては。ひょっとしてもう何かお考えがあるのでは?」
「あ、いいえ、それはその」
 ミレイユは舞い上がった。英才――なんと魅惑的な響きだろう。密かなプライドが頭をもたげてきた。そうだ、自分達は選ばれた血統のはずなのに、こんな田舎でくすぶっているなんておかしい、何か特別なことがなくてはならない、とずっと思ってきたのだ。今まで息子の変な癖にいらついてきたが、これは本当に、類まれなる才能なのかもしれない―― 何の才能だかは知らないが。
「そ、そうですわね、来年は上の学校に行く年齢ですし、どうしようかと」
 ミレイユは内心慌てながら、当たり障りのない言葉を選んだ。
「学校って普通の中等教育校、ですか? およしなさい、よき師匠を選んで預ける方がよっぽどいい。ちゃんとした所なら、一般教養も身につくはずです」
「はあ、でも、師匠と言われましても……学校の寮に入るのとはまた勝手が違いますわね? なにしろまだ息子は十歳ですし、誰にお任せしてよいやら……」
「まだ、では無いでしょう。十歳といえば、遅いくらいです。もっと幼い頃から、親元を離れて教えを乞う子もいますよ」
「そ、そんなに早くから、ですの?」
「ええ。このわたしも八歳の時に師匠の門を叩きました」
 当たり前のことを言っているようなオーリの話しぶりに、ミレイユは焦った。
 しまった、自分の認識不足だ。息子の才能とやらが何なのかは分からないが、そういう分野の教育があったのか。夫のオスカーが家に居た間に、息子の変な力について何も言ってくれなかったせいだ――
 ミレイユの頭の中に、パチパチと火花が飛んだ。考えがまとまらないままうろたえていると、ふいに目の前の人物の名前が鮮明に浮かんできた。
 ミレイユは身を乗り出した。

「そぉぉですわ、オーリ先生! 先生にお願いできませんこと?」
「は? わたしに、ですか? ステファンを弟子にしろと?」
 オーリはなるべく意外そうに驚いて見せた。
「ええ! ええ! 先生なら安心ですわ! オスカーとも親しくしていただいてますし、ご身分もしっかりしてらっしゃるし」
 ご身分ねぇ……やれやれこの人もか、とオーリは思った。
 ミレイユの父が生活のために爵位を売ったという話は聞いていたが、彼女はまだ納得していないらしい。まったくこの国ときたら、二十世紀半ばになっても身分だ、血統だとくだらないことにプライドの基を置こうとする人の、なんと多いことか。まあそのぶん御しやすい相手ともいえるが。
 オーリは内心笑いながら、さも困った、という顔をしてみせた。
「そんな、わたしのような若輩者に大事なご子息の教育なんて。それにわたしは弟子をとらない主義なんですよ」
「そうおっしゃらずに! ああ、お礼なら、いかほどでも! ステファン、ステファン、あなたも他の魔……お師匠より、オーリ先生のようなちゃんとした方のお弟子にさせていただいたほうがいいでしょう?」
「え? え? あのう、ぼく……」
 
 ステファンは、さっきから大人達が勝手に話を進めていくのをおろおろしながら見ていた。
「ね? それがいいわ、そうしましょう。あなたからもちゃんとお願いするのです!」
 こういう物言いをする時の母には、ステファンの意思を聞くつもりなど塵ほどもないのだ。なにしろ母はこの家のルールであり、自分の意見こそが正論と信じて疑わないのだから。ステファンは消え入りそうな声で「はい」という他なかった。
「さあ困ったな。ステファン、本当にわたしのような師匠でいいのかな?」
 オーリはステファンのほうに向き直った。言葉とは裏腹に、ステファンにだけ見えるようにVサインをしている。水色の瞳が、まるで悪戯をたくらむ子供のようだ。
 あ。あの空だ。
 ステファンはオーリの背後に、父と居る時にいつもイメージした、広々とした青空を感じた――同じだ。この人は、大好きな父と同じ世界を持っている。

「はい、ぜひ!」
 ステファンは、自分でも驚くほどはっきりと答えた。
 これから、何かが始まるのだ。不思議な高揚感があった。
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 それから一時間のうちに、オーリはすべての手はずを整えた。
 ステファンの通う初等教育校への提出書類、役所関係、ウィッチ&ウィザードユニオンへの宣誓書……オーリが指をはじく度に次から次へと書類がテーブルに現れるのを、ミレイユはぼうっとした顔で見守った。
「こちらに最後のサインを……結構。ステファンの教育課程は引き継がれます。来年の七月までうちで真面目に学べば一般の初等教育終了証書が発行されますのでご心配なく。それともステファン、学校の友達と離れるのは残念かな?」
 ステファンは急いで首を横に振った。残念がるどころか、学校と聞いただけで怯えたような表情を見せたのを見て、オーリは苦笑した。
「じゃあ夕方の列車に間に合うように行こう。ステファン、荷物をまとめておいで」
 ミレイユはようやく焦った顔を見せた。
「先生? ステファンをこのままお連れになるんですの? 待って、いろいろと支度が……」
「善は急げ、ですよ。何、特別な支度など要りません」
 オーリは余計な時間をかけるつもりはなかった。今、ステファンの母親はオーリの魔法の影響で舞い上がっている。一気に事を運ばねば。ここで日数をおいて、冷静になる時間など与えてはいけない。
「それにわたしも忙しい身でね。また次いつ来られるかわかりませんので。九月になって学年が変わってからでは、手続きがいろいろと面倒でしょう? ああそれから」
 オーリはミレイユを振り返った。
「オスカーのコレクションのことですが、うちで契約している一番大きな保管庫を無償で提供させていただきますよ。ご連絡いただければいつでも、使いの者に搬出に伺わせます」
「無償」という言葉に反応したミレイユの表情を見て、オーリはやれやれと思った。コレクションなんてものは、そういうものだ。蒐集している本人にとっては宝の山だが、興味の無い家族にとっては邪魔なガラクタの山。まして二束三文と言われたのだから、置いておくスペースすらもったいないと思われてもしょうがないだろう。

 嵐のような勢いで出発の支度を終えると、ステファンが古いトランクを引きずって玄関に下りてきた。
「ま、そんな古いトランクを。もっと他にあるでしょう?」
「お父さんのだよ。ぼく、どうしてもこれを持っていきたいんだ」
「ま……」
 ミレイユは灰色の目を大きく見開き、独り言のようにつぶやいた。
「この子が言い張るのを初めて聞きましたわ……!」
 
 雨はすでに小降りになっている。葡萄畑の向こうから、一台の黒い車がこちらに向かって来る。
「迎えが来たようです。ステファン、お母様にしっかりお別れを。当分会えないのだからね」
 ミレイユは、それこそ「しっかり」と息子を抱きしめてあれこれ言い聞かせたが、ステファンは儀礼的にキスを返しただけで、さっさと車に駆け寄って、嬉しそうに叫んだ。
「じゃ、行ってきます!」

 

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 葡萄畑を過ぎ、パッチワークのような田園を抜け、黄色い屋敷が見えなくなったところで、オーリは突然笑い出した。
「プッ、ハハハハハ!」
「せ、先生?」
「ああ疲れた! どう? うまくいっただろう? 君の母上には悪いが、暗示に掛かりやすい人って居るもんだね。あとは魔法の効力が消えた時、誘拐罪で訴えられないように祈るのみ!」
 オーリはそう言うとまたふき出した。
「あのう……」
 ステファンは面食らった。ついさっきまで、客間で母と話していたオーリとは別人のようだ。
 なんだろう、この人は。
 さっきまでは、紳士らしくとても落ち着いて見えた。若くとも、大人はこういう話し方をするのだと、ステファンは畏敬の念さえ持って見ていた。けれど今、隣で腹を抱えて笑っている、この姿は?
「先生? あの、もしかして、最初から……」
「そう! オスカーに頼まれてたんだ。息子を外の世界へ連れ出してやってくれってね」
「お父さんに? 先生、お父さんと会ったんですか?」
「いや、手紙で頼まれたんだよ」
 オーリは一瞬表情を曇らせ、内ポケットから半分焼け焦げた紙片を取り出してステファンに渡した。
「読んでごらん」
 

 親愛なるオーリ
  この手紙を読んでいると言う事は、
  僕はまだ帰れないままということだろうか
  自らの心の命ずるままに探求の旅を続け
  ミレイユには随分と叱られてきたが 悔いてはいない
  ただ気掛かりなのは 息子のステファンのことだ
  彼には僕以上の素質がある
  才能といってもいい
  ただミレイユには理解できないだろうと思う
  オーリ もし僕があと二年のうちに帰れなかったら
  君に息子の将来を託したい
  勝手な頼みで申し訳ないが
  外の広い世界で存分に力を発揮させてやってくれないか
  ……

 焼け焦げた手紙はそこまでしか判読できなかった。
「お父さん、どこでこの手紙を書いたんですか……」
 ステファンは懐かしい父の文字を一文字ずつじっと見つめている。
「読めるんだね」
 オーリは信じられないという顔でステファンを見た。
「実はこの文字は、普通の人が見たら意味不明の記号にしか見えない。君にはちゃんとした文字として読める、つまりそういう目を持っているということだ。わたしやオスカーと同じように」
「どういうこと?」
「魔法使いの目、とでも言おうか」
 オーリは怖いほどじいっとステファンを見据えている。
 冗談を言っている目ではなかった。
「魔法使い……まさかお父さんも?」
「職業として、という意味では違う。ただ、力があったのは確かだ。本人はあまり自覚していなかったけどね」
 ステファンはくらくらとした。
 何もかも、初めて聞く話ばかりだ。
「お母さんは知っているんですか?」
「残念ながらミレイユさんは知らないし、理解しようとしない。魔術だの魔法だの、はなから信じてないからね。
オスカーもわたしも、なんとか分かってもらおうと努力はしたんだよ。今日も最後の賭けとしてこの手紙を見せたが、無駄だった」
 あ、あの時か、とステファンは思い出した。
 客間の扉の陰からそっと見ていた時。手紙に興味なさげな母に、それを見せて、と言いたかった。
「間違えないでもらいたい。君の母上を悪く言ってるんじゃないよ。信じるものが違うだけだ。今日わたしを招いてくれたのも、最大限の譲歩だったんじゃないかな。だから、そのチャンスを無駄にするまいと思った」
「それであの、お父さんは?」
「わからないんだ」
 オーリは悔しそうに額に手を当てた。
「この手紙をオスカーから受け取ったのは一昨年だ。いろいろ手を尽くして彼を探して来たんだが……残念ながら、手紙の後半も焼け焦げてて手掛かりが少なすぎる。
でも、親友とも兄とも思っているオスカーの頼みだからね、こうして来た。
今日、君の様子を見てたら、もうこれ以上は待ってはいけない、と思えてきてね、少々強引だが連れ出させてもらったよ……しかし、ここまで上手くいくとはね! ひょっとしてわたしは、画家よりペテン師に向いているのかな?」
 オーリはまた人懐こい笑顔になった。
「ステファン、君は今日からこのオーリローリの元で魔法使いになるべく修行をすることになる。本当にそれでいいね?」
 ステファンは今さらながら不安になった。
「あの、ぼくにそんな力が本当にあるんですか?」
「ある! それだけは保障する。あとは君次第だ。
もしも今からでも断りたい、家に帰りたいというなら、止めはしないよ。さあ、どうする?」
 ステファンは父の手紙を見、窓の外を見た。
 車は二つに分かれた田舎道にさしかかろうとしている。
「ぼく……やってみたいです。魔法の勉強、というか修行」
「よし、よく言った!」
 オーリは嬉しそうに拳でステファンの肩をトン、と突いた。
「実際にやってみればわかる。君のように物の本質が見えてしまうのは、相当な……まあいいや、難しい話はあとあと!」
 オーリは窓の外を見た。

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「ふむ。雨も止んだし、ここらでいいかな。アトラス、止めてくれ」
 運転手に声を掛けて車を止めると、オーリは自らドアを開けて車を降りながら、ステファンを促した。
「ちょっと降りて」
 ステファンは訳が分からないまま、オーリに続いて車を降りた。
「先生、列車の時間に間に合わなくなるんじゃ……」
「列車? まさか。君はせっかく魔法使いと旅をするのに、空くらい飛んでみたくはないの?」
「空?」
 オーリは杖を取り出すと、車を軽く叩いた。
「もういいよ、アトラス」
 鼓膜に沁みるような音を立てて空気が震えた。と、たちまち黒い車は盛り上がり、形を変え、黒い翼竜の姿になった。
「うそ……!」
 ステファンは自分の目を疑った。紛れも無い、本物の翼竜だ。全身が、金属を思わせるような黒光りする鱗に覆われ、尻尾の内側にはステファンのトランクがしっかり結わえ付けられている。
 翼竜は背伸びするように翼を拡げると、ぬうっと首を突き出して金色の眼でステファンを見た。
「オーリ先生、今日はまたえらいチビのお客で」
「わぁ、しゃべった!」
「そりゃあしゃべるよ、竜だもの」
 オーリは当たり前だという顔をした。
「アトラス、この子はステファン。今日からわたしの弟子になる」
「ほう、よろしくな」
「あ、え、ええと、ステファンです。よろしく……お願いします」
 頭を下げながら、ステファンは竜にお辞儀をしている自分が信じられなかった。
「じゃ、行こうか。ステファン、前にお乗り」
 オーリはまるで馬にでも跨るように、ひらりと竜に乗った。
「乗るって……これで、飛ぶんですか?」
「“これ”?“これ”で悪かったな、ちびすけ!」
 翼竜が首を曲げて睨みつける。
「ごめんなさい! お、お願いします!」
「そうだよ、ステファン。竜は誇り高い。お行儀よくね」
 あたふたとステファンが乗り込んだのを確認すると、オーリはトントン、とアトラスの首を叩いた。
 翼竜の翼が大きく羽ばたき、風が巻き起こる。
「うわわわわ……」
 生まれて初めての浮遊感。ステファンは目眩しそうになった。
「ステファン、つかまって!」
 竜の首には、手綱ならぬごついロープが掛かっている。慌ててロープにしがみつくのと同時に、翼竜は空高く飛翔した。
 パッチワークの田園が、みるみる遠くなる。
 ステファンは恐る恐る下を見た。葡萄畑のはずれに黄色い屋敷が見える。
 自分の生まれ育った家を上空から見るのは、奇妙な感じだ。
 小さい。古ぼけた模型でも置いてあるかのように小さい。 
 あんな小さな世界が、全てだと思ってきたのだ、今まで。
 遠ざかる景色を見ながら、ステファンは少しだけ母が可哀想になった。

「いいねアトラス! 翔ぶには絶好の風だ!」
 ステファンの頭越しに、背後からオーリが叫んだ。
「でしょう先生! もうすぐ虹が出ますぜ!」
 オーリはいつのまにか、ステファンの両手の外側で、同じロープをがっしり掴んでいる。
 強い風を受けながら、ステファンはふと、前にも同じような事があったような気がした。
 そうだ、思い出だした。父のオスカーと、初めてスクーターに乗った時だ。
 小さかったステファンは、父の両膝の間でステップに立って、ハンドルを握らせてもらったのだ。その手の外側で、大きな父の手がハンドルを握った。実際に運転しているのは父なのに、まるで自分がスクーターを運転しているような気分になれた。あの時の爽快感。
 もちろん、そんな危険な乗り方をしちゃいけないことは知っていたけど。後で母にこっぴどく叱られたけど。

「ステファン、虹だ、虹!」
 オーリが指差した先に、大きな二重の虹がかかっていた。
「うわああ先生! ぼく、虹を追っかけて翔んでる!」
「翔んでるのは俺だがな! しっかり楽しめよ!」
 アトラスはご機嫌のようだった。

 

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「おっと、風が変わった」
 アトラスは首をひねり、いきなり斜めに旋回した。
「ひややぁぁぁ!」
「こんくらいでわめくなチビ、見せ場はこれからだ!」
 いきなり身体が宙に浮く感じがしたかと思うと、アトラスが急降下を始めていた。
「わああ墜ちる! 墜ちるーっ!」
恐慌パニックを起こす、とはこういうことか。ステファンはロープを離してしまい、慌ててオーリの腕を掴んだ。
「だらしないぞステファン! ひゃーっほほうー!」
 オーリはと言えばむしろ楽しそうに頭の上で叫んでいる。
「とめてとめてとめてーっ!」
 叫んだところで止まるわけがない。怖さに耐え切れず思わず目を閉じる。何度か母を呼ぶ言葉を叫びそうになったが、かろうじて我慢した。いつまで続くのだろう、と思い始めた頃、急に胃の底に重力を感じて、ステファンは再びアトラスが上昇を始めたのを知った。
「よーし、風に乗った! アトラス、さすがだ」
「へへっ、造作もないさ」
「ステファン、いつまでしがみついている? しっかり目を開けて見ておかないと損だよ」
 頭を小突かれて恐る恐る目を開けると、いつのまにか虹は消え、夕空の中をアトラスは飛んでいた。
「すごい……」
 ステファンはひととき、怖さを忘れた。
 周り中が黄金色と紫の陰影で染め上げられた織物のようだ。刻々と姿を変える雲はさながらプラチナ繊維の縫い取り。このうえなく贅沢なローブを羽織り、自然という名の偉大な魔法使いが天空を駆けてゆく。
「ああ、悔しいな、とても表現できないな……」
 言葉とは裏腹に、むしろ嬉しそうなオーリのつぶやきが聞こえてきた。
 夕空の中を縫うように、アトラスは巧みに風を読み、上昇気流に乗り、そしてまた降下、それを繰り返す。
 怖い。怖いが、だんだん背骨の芯がかゆくなる。ステファンは笑いだした。
「ハハ……ハハハハハ」
「そうだステファン、笑え笑え、大声で笑え!」
「ハーッハハハハハ!」
 最初はなんで自分が笑っているのかわからなかった。が、だんだん本当に愉快になって、いつの間にかステファンは大声で笑っていた。
 楽しい。なんだか笑い声につられて身体中から余計なものが吹き飛んでいく。
「アトラス、家まであと一息だ、そのまま西へ!」
「おうよ!」
「わぁおおうー!」
 拳を振り上げ、ステファンも叫ぶ。
 強い風を受けながら、アトラスの翼は力強く羽ばたいた。

 やがて眼下に、森に囲まれた一軒の白い家が見えてきた。
 アトラスはその庭に向かって降下し、風を巻き上げながら降り立った。重量感のある音と共に振動で庭木の枝が揺れる。
「ご苦労さん、アトラス。いい飛行だったよ」
「なかなかどうして、先生もやるもんだな」
「今日はエレインも居るからゆっくりしてってくれ。中庭に酒樽を用意させてる」
「エレインねえが? そりゃいいや。久しぶりに飲むか」
 ふたりの会話を聞きながら、ステファンは苦労して地面に降りた。
 脚がまだ震えて力が入らない。でもそれは、怖さからだけではなかった。
「ありがとう、アトラスさん」
 ステファンは黒い翼竜の顔を、尊敬を込めて見上げた。
 その表情を見てオーリは満足そうに頷くと、腰をかがめ、ステファンの目を見て言った。
「ウォームアップ終わり!」
「え?」
「修行の準備だよ。なかなかいい声で笑えるじゃないか。赤ん坊が言葉を覚える時も、まず笑う事から始めるんだ。魔法も同じこと。口先で呪文を唱えるんじゃない、腹の底から声が出せるくらいでなくちゃ。君は、ここしばらく大声で笑った事がなかったんじゃないか?」
 なんでそんなことがわかるんだろう、とステファンは目を見開いた。
「チビ、うまく操ってくれた先生に感謝しろよ。俺ひとりじゃとっくに振り落としてたぜ」
 からかうようなアトラスの言葉に改めてオーリの顔をよく見ると、額に玉の汗が浮かんでいる。アトラスに自由に飛びまわらせているように見せて、実は相当な力を使って操っていたのかもしれなかった。
「あ、ありがとうございました!」
 ステファンはぴょこんと頭を下げた。

 オーリはおかしそうに声を立てて笑い、ステファンの背中を押して、後ろの白い家を指し示した。
「そら、あれが魔法使いの家ってやつだ」
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 これが?
 ステファンは拍子抜けした。魔法使いなんてどんな場所に住んでいるんだろう、と好奇心をもっていたが、思ったより質素な建物だ。
 夕陽に染まる二階建ての屋敷は、おびただしい植物に囲まれていた。玄関ドアの上部には半円形の飾り窓が光っている。黒々とした木組みに白い漆喰を塗り重ねた外壁は、アイビーが我が物顔でびっしりとはりつき、あちこち傷んで修復の跡が見える。 こじんまりとしていて古く、ステファンの田舎の家といい勝負だ。
「もっと奇妙な、おとぎ話みたいなのを想像してた?」
 ステファンの表情を見てオーリがニヤニヤ笑っている。
「あ、いいえ、そんなんじゃ……」

 突然、庭の茂みがガサッと動き、真っ赤な影が飛び出した。
 影の主は赤い髪の娘だった。驚くステファンの前で剣を構え、立ちはだかる。
「何者か! この庭に踏み込むとはそれなりの覚悟があるんだろうね!」
 ステファンはヒャッ、と叫んでオーリの後ろに隠れた。
「エレイン、酒臭いよ」
 オーリは鼻先に剣を突きつけられて涼しい顔をしている。
 赤毛の娘はすぐに白い歯を見せて剣を下げた。
「ふふん、お先にいただいてまーす」
「お客より先に飲む奴がいるかい? アトラスが来ると言ってあるのに」
「平気よぉ、あいつ、あたしの弟分だもん」
 エレインと呼ばれた娘は、そこで初めて、呆気に取られているステファンを覗き込んだ。
「ね、かわいい……誰?」
「今日からわたしの弟子になる子だよ。使い魔が知らせて来なかった?」
「あ、あの、ステファンといいます、よろしく」
 さきの翼竜とのこともあったので、ステファンはこわごわ挨拶した。
「ステファン、この人はエレイン、わたしを守護している竜人だ」
 守護? 竜人? それにアトラスが弟分って? 意味が分からずステファンは当惑して、エレインと呼ばれた娘を見上げた。
 
 赤毛といってもここまで真っ赤な髪があろうか。頭の斜め上で一つ結びにした巻き毛は、さながら花房が垂れているかのようだ。緑色の大きな瞳が輝く精悍な顔は、化粧っ気がなく日焼けしているが、なにか人を惹きつけずにはいられないものがある。しかし気配は、人間の若い女性というよりはむしろ、さっきの翼竜に近い。
 だいいち、なんて格好をしているのだろう?
 真夏とはいえ、短い胴着と短いズボンだけなんて。ヘソまで出ているじゃないか。すらりと伸びた腕や脚の外側には、刺青のような装飾模様が、長く指先まで続いている。足元は古代人のような編み上げサンダル。ステファンの母が見たら卒倒しそうな格好だ。
「ステファンか、ふうん……」
 緑の瞳に、光が走った。ステファンはとっさに後ずさりしようとしたが、頭をガシッと捕らえられてしまい、
「かーわいい、かーわいい、かわいーい!」
 と、さんざん頬ずりされて、悲鳴をあげた。外見に似合わずものすごい力に、頭が潰されそうだ。
「こらこらエレイン、いきなり失礼だよ」
「だって、人間の子供なんて久しぶりだもーん」
「エレイン様! いいかげんになさいまし、泣いてるじゃありませんか!」
 誰かの声にエレインが腕を放してくれたので、ステファンはやっと呼吸ができた。情けないが、本当に涙が出ている。
「エレイン様は手加減を知らないんですよ、まったく。坊ちゃん大丈夫?」
「マーシャ、その子を頼むよ。わたしはこの酔っ払いを中庭に連れて行くから」
 酔っ払い、という言葉に抗議したそうなエレインの腕を取って、オーリは家の中へ消えた。
 
 ステファンはマーシャと呼ばれた白髪の老婦人を見た。さっき助けてくれたのは、この人だ。
「あの、ぼく……」
「ステファン坊ちゃん、でしょ?」
 マーシャはにっこりと柔和な笑顔を向けた。鼻先の小さな眼鏡が上品だ。
「オーリ様からうかがっておりますよ。まあまあ遠い所から……疲れたでしょう?」
 そう言いながら長いエプロンをつけた腰をかがめ、トランクをよいしょ、と持ち上げようとする。
「あ、ぼく自分で持ちます、重いから」
 ステファンは慌ててトランクを持った。
「まぁま、坊ちゃんはお優しいんですねぇ」
 なんだか、この人の声は独特の訛りがあって心地いい。ステファンは気分が和んだ。
「申し遅れました、わたくしマーシャと申します。オーリ様がお小さい頃、お世話させていただいた者です。このお屋敷に住まわれるようになってから、家政婦としてまた雇っていただいておりますが。坊ちゃんを見ていると昔を思い出しますわねぇ」
 マーシャは実に嬉しそうだった。

「ここが坊ちゃんに使っていただくお部屋ですよ。急いで用意しましたから手入れは行き届いておりませんが……」
 マーシャに案内された二階の部屋には、涼しい夕風が流れ込んでいた。
 古い木づくりのベッドと、チェストと、折りたたみ式の机。そのどれもが長年使い込まれたようにつつましく光っている。決して広くはないが、清潔に整えられた部屋だ。
「ここ、だれか子供が住んでたんですね……」
 思わずステファンはつぶやいて、しまったと思った。
「そうかもしれませんねぇ、お屋敷も家具も、古うございますから」
 マーシャは少しも気味悪がるふうもなく、にこにこと頷いている。
「荷物の片付けはほどほどにして、早く下に降りてきてくださいな。お腹が空いているでしょう?」
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 ステファンが一階に下りて行くと、美味しそうな料理の匂いが漂っていた。
 キッチンから中庭に続く扉が開け放たれ、軒下には古い木のテーブルが置かれている。芝生では竜人エレインと翼竜のアトラス、そしてオーリが酒樽を囲んで談笑していた。
「お、ステファン、やっと来たね」
 オーリは素朴な木綿のシャツに着替え、長い銀髪は後ろに束ねていた。
 黒いローブを着ていた時とは随分雰囲気が違う。
「ねえマーシャ、やっぱり鳥を獲っといて正解だったろう。ステファンの歓迎のご馳走が一品増えた!」
 オーリは子供のようにはしゃいでいる。
「エレインも味見くらいしてみれば? マーシャの料理は絶品だよ」
「やなこった、火を通した肉なんて」
「人間は料理して楽しむものなんだってば。僕は好物なんだけどな」
 あれ、とステファンは思った。オーリは昼間、確かに自分のことをを「わたし」と言っていたのに。「僕」口調で他愛ないおしゃべりをするオーリはいたって普通の青年に見える。あんなに長髪でなければ、そして同席しているのが竜人や翼竜でなければ、誰も魔法使いとは思わないだろう。
 
 庭のテーブルに料理が運ばれ、賑やかな夕げが始まった。
 オーリの言っていた鳥料理や平べったいパン、赤い野菜煮込み、それからステファンが見たことも無い料理も並んでいる。
 こんなにくつろいだ雰囲気の食事もあるのか、とステファンは思った。食事中のおしゃべりがこれほど食欲を増すものだなんて初めて知った。
 ステファンの家でもお客を招いて会食をすることはあったが、食事の作法がどうとか、会話をふられたらどう答えなさいとか、母にこと細かく言われていたので、いざテーブルについても少しも食欲が湧かなかった。
 ここの家では、細かい作法は誰も気にしないらしい。唯一マーシャが気にするのは、会話が弾みすぎて料理が冷めてしまわないかということぐらいだ。
「ステファン、こうして食べればいいんだよ」
 半月型の包み焼きにオーリは豪快にかぶりついてみせた。ステファンも真似してみると、口の中いっぱいに旨い肉汁が広がる。香辛料をたっぷり使っているのに、不思議に優しい味がした。
 夏の日暮れはいつまでも明るく、風は涼しい。
「オーリに!」
「未来の魔法使い、ステファンに!」
 何度目かの乾杯をして――といっても杯を持てないアトラスはもっぱら酒樽に首を突っ込んでいるのだが――アトラスとエレインは上機嫌で酒を酌み交わしている。オーリは付き合い程度に時々小さなグラスを口元に運んだ。
「エレインさんは、食べないんですか?」
「ああ。彼女は人間の食べ物は、一切受け付けない。甘いお茶と酒類はいくらでも飲むけどね」
 オーリは、エレインにまつわる話をしてくれた。
「アトラスは見ての通りの竜だが、エレインは竜人、つまり竜と人との両方の特性を持つ人だ。彼女の種族は竜人の中でも特に変わっている」
「オーリ、誰が変わってるって? なぁに悪口いってんのよ」
 エレインが笑いながら振り返った。真っ赤な巻き毛が、日焼けした顔を縁取る装飾のようだ。
「君が変わった美人だって話」
 オーリはしゃらっと答え、続きを語り始めた。
「でね。僕はエレインと契約して護ってもらっている。魔法使いは結構狙われやすいからね。その、邪気というか、禍々しいモノに。代わりに僕は、魔力を供給している。こうしている間にも、エレインに必要なだけの魔力が流れて行ってるわけだ。おかげで僕は魔力を維持するために、大食漢でなきゃいけない」
 ステファンは空になった皿の山を見た。オーリはしゃべりながら何人分もの料理を平らげている。
「魔法使いって、大変なんですね」
「こんなのまだ大したこと無いさ。複数の竜だの幻獣だのと契約してる魔法使いはどうやって魔力を維持してるのか見当も付かないよ。それに大変なのは、むしろエレインのほうかな。人間と生きるために幾つもの力を封印しなきゃいけなかったんだから」
「封印したって……それでまだあの力ですか?」
「そう。だからエレインを怒らせないほうがいいぞ。本気で爆発したら、どこまで凶暴になるやら……」
 オーリは内緒話の仕草をして、横目でエレインを見た。
「こらーっ、オーリ! やっぱり悪口いってるー!」
「そうだ、ひでえぞ先生、エレイン姐さんみたいな美人に。お詫びにもうひと樽開けさせろい!」
「わかったわかった、そこにあるだけ飲んでいいから」
 オーリは笑って手を振ると、ステファンと自分の皿に骨付き肉を乗せた。
「お肉もいいけど、このサラダはいかが? 庭でとれたてのハーブを使ったんですよ。坊ちゃんも、たくさん召し上がれ」
「マーシャ、こっちよりアトラスが大変そうだ」
 オーリはフォークでアトラスのほうを指し示した。
 アトラスは、軟骨パイを丸呑みしたものの、喉につかえて目を白黒させている。
「あらまあ坊や、だめですよう、ちゃんと噛まなきゃ」
 アトラスが「坊や」だって? ステファンは呆れた。
「マーシャにあったら、大抵‘坊や’か‘坊ちゃん’だ。つい最近まで僕のことも‘坊ちゃん’呼ばわりだったしね」
 オーリは肩をすくめ、食べずに済んだハーブサラダを脇へ押しやった。。
「マーシャさんて、あの、もしかして魔女?」
「まさか。彼女は普通の人間だ。魔力は無いよ。でもこうして、魔法使いの家で淡々と勤められる人なんだ。竜だろうが竜人だろうが、分け隔てなく受け入れてくれる。ある意味、魔女よりすごいね」
 アトラスはエレインに蹴りを入れられて、ようやく喉のつかえが取れたようだ。
「バカね、人間の食べ物なんかに手を出すからよ」
「旨そうに見えたんだよう。ああ、やっぱり生肉のほうがいいや」
「ごめんなさいねえ、生のお肉はさっきのでおしまい。あとはみんなお料理に使ってしまって。こんど遊びに来たときは、いっぱい用意してあげましょうねぇ」
 生肉をいっぱい……ステファンはあまり想像したくない光景だ、と思ったが、マーシャはまるで子供にお菓子を用意するような口調だ。

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 ほとんどの皿を片付け、デザートも済んだ頃、オーリは古い木製の箱を中庭に出してきた。
「わぁお、なに?」
エレインが珍しそうに覗き込む。
「音楽を楽しむ機械だよ、エレイン」
 オーリは大切そうに箱の蓋を持ち上げた。
 ステファンには見覚えがあった。典雅な装飾をほどこした箱の中に、ラシャを貼ったターンテーブルがあり、水道の蛇口と蓮の実を組み合わせたような金属が見える。側面にはハンドルが付いている――祖父の家で同じ物を見たことがあった。手動タイプの蓄音機だ。
「ステファン、魔法使いなんて便利そうで不便なんだよ。僕の場合電気系統に影響を与えやすくて、意識して魔力を抑えていないと流行の機械なんてすぐぶっ壊してしまう。だからこういう手動式のが重宝するんだ。ま、古道具屋で探すのも楽しいからいいけど」
「あ、なんだ、そのせいだったんだ」
「君も覚えがあるの?」
「ぼく、ラジオに近づけないんです。ノイズがひどくなって、しまいには真空管が割れるから」
「そりゃすごいね」
 オーリは笑いながらとクランク(ハンドル)を回したが、針を調整する時には妙に真剣な顔になった。
「懐かしい! 昔はこれでよく踊ったもんですよ」
 マーシャが眼鏡を外して黒いレコード盤の文字に見入った。
 オーリが息をつめて、盤の上にそうっと針を下ろすと、雑音と共に古い恋の歌が流れ出す。

「アトラス、踊ろ」
 エレインがアトラスの短い前足をとった。
 後ろ足で立ち上がると、アトラスは随分大きい。エレインも背が高いほうだが、ほとんどぶら下がるようにしないと手が届かない。
 アトラスは踊るというより、ただ飛び跳ねている。その度にズシンズシンと地面が揺れて、何度もレコード盤から針が飛び出すので、オーリは蓄音機を宙に浮かせなければならなかった。
「いいね、アトラス。そんな美人とダンスできて」
 オーリは冗談とも本気ともつかない羨ましそうな顔をした。
「妬けるかい?先生」
 アトラスはエレインを振り回しながらニタッと白い牙を見せた。
「オーリも踊ればいいのに!」
「エレインとじゃ、足を踏み潰されるのがオチだからね」
 オーリは立ち上がると、うやうやしくマーシャに手を差し出した。
「あらまあ、こんなお婆さんと。エレイン様をお誘いなさいましよ」
 そう笑いながら、マーシャはまんざらでもない顔をした。
 上手い。ステファンは目を見張った。オーリもだが、マーシャはまるで乙女に戻ったみたいに、優雅にステップを踏んでいる。
「悪いね、ステファン。レディーを二人ともとっちゃって」
「ううん、ぼく、こっちが面白い」
 ステファンは宙に浮いた蓄音機を興味深く見ている。
「先生、これが止まったら、次はぼくがハンドル回していい?」
 オーリは慌てて声をかけた。
「頼むからゼンマイを切らないでくれよ!」



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 やがてステファンが眠気を感じ始めたのを見て取って、オーリは杖を取り出し、全ての片付けを一気に終わらせた。
「片付けなんて面白くないしね」
 オーリは言い訳したが、本当はマーシャを気遣ったのだろう、とステファンは思った。
 マーシャは古い恋歌を口ずさみながら、お茶の準備をしている。
 
 中庭の芝生の上では、アトラスが空の酒樽を枕にして地鳴りのようないびきをかいていた。
「あーらら、あのくらいで酔っちゃって」
 エレインはといえば、相当飲んだのに素面しらふのように平然としている。
「このまま寝かせといてやろう。仕事の契約は今日一日だが、明日起きたい時に起きて、帰りたい時に帰ってくれればいい」
「え、アトラスさんはここに住んでるんじゃないんですか?」
「うん、帰る所があるんだよ。本来、竜は自由な生き物だが、現行法では野生種は特別保護区の中でしか生きることを許されない。保護区の外で魔法使いに使われるのはほとんど、従順になるよう管理された種だよ」
「アトラスさんは?」
「彼は野生種。ただ、人語を操れるものであちこちで重宝されて、特例として単発で依頼された仕事をする時のみ保護区の外に出られる。どっちにしろ彼にとっては屈辱的だろうにね」
「この子は寂しいのよ」
 まるで母親のような顔でアトラスの頭を撫でながら、エレインは呟いた。
「翼竜は他にも居るけど、人語がしゃべれる種は、この子が最後の生き残りだもの。同じ言葉で語り合う仲間は居ない。だから人間に近づきたがるのかもね……」
 エレインは何かを思い出すような哀しい目をしている。その傍らに寄り添うように立ってオーリはアトラスを見つめた。
「竜や竜人のたどった道は、いずれ魔法使いもたどる道さ。時代によって利用されたり否定されたり、都合のいい存在だ。今は科学万能とか言って魔法そのものが忘れられようとしてる。昔、魔法と科学は共存してたはずなのにね。そのうち、僕らなんて物語の中にしか存在しなかった、ってことにされるんだろうな」
 ステファンは冷たい水が胸に流れ込んだような感覚がした。聞きたくないことを聞いてしまった。
 いつの間にか空は暗くなり始め、冴え冴えと白い月が顔をみせている。

「あらまあ坊や、いくら夏でも風邪をひきますよう」
 マーシャは毛布を取りにいこうとしたが、オーリは笑ってそれを制した。
「竜はいつだってああして眠る。毛布なんていらないんだよ」
 そして灯りの下に戻ると、すぐに厳しい表情に変わった。
「ステファン、君は明日から早速修行だ、今日は早く休みなさい。わたしは仕事にかかるよ。マーシャ、濃いお茶を頼む」
 
 あ。そうか。ステファンは気付いた。
 先生が「わたし」という時は、魔法使いとして振舞う時なんだ。
 今、仕事の顔に変わったんだな、と。

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 翌日は朝から雨が降っていた。
「ステファン、修行はじめだ。森へ行こう」
 オーリは散歩にでも誘うような口調で言った。
「え? でも雨が降っているのに?」
「雨だからいいんだよ。マーシャに長靴を出してもらっておいで」

 霧のような雨が降る中を、オーリは黒いローブだけで傘もささずに歩いていく。
「やあ男爵。やあ皇帝陛下どの」
 庭に咲き誇る花々の間を歩きながら、オーリは時々挨拶の声を掛けた。
 大きすぎるレインコートのフードを目の上に引っ張り上げて、ステファンはきょろきょろと辺りを見回した。オーリとステファン以外、人影は見えない。
「先生、この庭に誰か居るんですか?」
「居るさ、もちろん。そのうちわかるよ、君にも」
 オーリはいたずらっぽい微笑を浮かべて庭の奥に続く森に向かった。

 森の中はうす暗く、不思議な匂いに満ちていた。
 大きな歩幅で歩くオーリに置いていかれないように気をつけながら、ステファンは昨夜から気になっていたことを思い切って聞いた。
「先生、アトラスさんは? 帰ったんですか?」
「ああ、そうらしいな」
「あの、昨日言ってたことだけど、竜や竜人がたどった道は……って、どういうことですか?」
 幾重にも折り重なった木の葉から、オーリの肩に雫がパラパラと落ちてきた。
「ステファン、ここに来るまでに君は竜を見たことがあったかい?」
「いいえ。お話の中にしか居ない、想像上の生き物だと思ってました」
「じゃ、魔法使いは?」
「そういう人が居るとは聞いてたけど、実際先生に会うまでは、まさかと思ってました」
「正直だな」
 広い背中が笑い声とともに揺れた。
「つまり、そういうことだ。竜や、竜人や、魔法使いなんて人々から忘れられつつある。忘れられるということは、存在しなくなることに等しい」
 ステファンは改めてショックを受けた。
「じゃ、じゃあぼく、魔法の修行なんてしても誰にも認められない?」
 オーリは歩みを止めて振り返った。
「認められなかったとして、じゃあ君は、見えないはずのものが見えたりラジオを壊してしまったりする力を、無かった事になんてできるかい?」
 ステファンは首を振った。そんなことができるなら、家でも学校でも苦労はしなかった。
「だろう?わたしにもできないよ」
 オーリは誰も居ない空間に手を伸ばした。
「この世界は、目に見えない曖昧な力に満ちている。わたしはその力を集めて、何かの形として表現せずにはいられない。雨は天から大地に向けて降る。木々は大地から天を目指して伸びる。それは誰にも止められない。魔法も同じことだ。やむにやまれない力、それを意識的に操ることに長けた者が、魔法使いと呼ばれるんだ」
 宙に向けたオーリの指先を見つめていると、今にも眩いスパークが飛び出すのではないかという気がして、ステファンは息をつめた。
「安心しなさい、こんな湿気の多い日にスパークなんて出せないよ」
 オーリは何かを掴むような仕草をして、その手でステファンの胸をドン、と突いた。
「じゃ、健闘を祈る」
 そう声が聞こえたかと思うと、オーリの姿はかき消えていた。
「せ、先生?」
 ステファンは慌てて周りを見た。
「オーリ先生!どこ?」
 声が木々の間に吸い込まれていく。辺りにはオーリの姿どころか、気配すら感じない。
「どういうこと……?」
 
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 誰も居ない森の中で、ステファンはしばらく茫然としていた。どこか遠く、森のずっと奥からなにやら不気味な音がしたような気がする。ステファンはぶるぶるっと震えた。これは悪い冗談だ。オーリは自分をからかっているに違いない。
(帰ろう。まだそんなに遠くまで来てないはずだから……)
 長靴はステファンには大きすぎ、歩きづらいが、ともかくこんな所に独りで居るのは御免だった。
 が、歩き出してすぐにステファンは立ち止まった。
(おかしい。さっき通ってきた道はこんなのじゃなかった)
 ついさっきまでオーリと歩いていた時には、少なくとも地面が見えていた。が、今ステファンが立ち尽くしている足元は、びっしりと苔むしてケモノ道すら見えない。こんなバカな。迷ったりするほど長くは歩いていないはずだ。ステファンは息苦しいほど鼓動が早くなるのを感じながら辺りを見回し、自分に言い聞かせた。
(落ち着け、落ち着け、きっと少しだけ、道から外れたんだ)
 だが「道」などどこにも見えない。それどころか、さっきよりも周りの木が大きくなり、見通しがきかなくなったような気がする。ステファンは木々を見上げ、急にぞくりとした。
――見られている。
 幾層にも重なる広葉樹の葉、そしてまた葉。枝、また枝、そして圧力すら感じる苔むした木々。その全てから、はっきりと‘何か’の視線を感じる……
「いやだ!」
 ステファンは駆け出した。ブカブカの長靴を放り出し、泣きそうになりながら、裸足で駆けた。
「先生! オーリ先生! どこ!」
 何度も苔で滑り、倒木につまづき、それでもやみくもに走って、もうどこを走っているのやらわからなくなった。 
 まずい。知らない場所で迷子になったら、やたら動き回るのが一番いけない、と以前父から聞いていたのに。それでもじっとしているのが怖くてたまらず、ステファンはひたすら足を動かした。
 なんだか同じ所ばかり走り回っているような気がする。悪い妖精かなにかに目くらましをかけられたに違いない。きっとここは、人間が入ってはいけない森なのだ。
 ステファンはぎゅっと目をつぶり、オーリの家を思い浮かべた。
(帰るんだ、絶対、帰れるはずだ……)
 深呼吸して再び目を開くと、急に目の前にぽっかりと開けた空間が見えた。

(なんだ? これは……)
 空間の中央に、異様な形の巨大な樹が立ちはだかっている。
ゴツゴツとした巨大樹は半分から縦に裂け、はっきりと落雷の跡が見て取れる。だが途中から枝分かれしている幹からは力強く新芽が吹き、若い枝が幾筋も伸びている。さらにその上の枝は長く長く伸び、その先は地面に垂れてそこからまた新たな根を伸ばし、独立した若木になっているものすらある。――つまり、この巨大樹を中心にドーム天井のような形に枝が張り巡らされているのだ。
 この巨大樹は怖くない、ステファンは直感した。そして夢中で樹の根元に駆け寄ると、助けを求めるように見上げた。樹は何も語らない。語らないが、いつの間にか呼吸が楽になっていく。ステファンは樹の幹に背中をぴったりと付けて、さっきまで自分を脅かしていた「何者か」をにらんだ。
(怖くなんかない。きっと、帰り道は見つけてみせる)

 しばらくそうしていると、不思議に心が落ち着いてきた。心なしか、あの恐ろしい「視線」は遠ざかっていくように思えた。ステファンはホーッと息をつくと、ありがとう、という風にもう一度巨大樹を見上げた。
 しんとした空気の中で、何かが静かに動く音がする。それは自分の鼓動かも知れないし、この巨大樹の鼓動かも知れない。ステファンは、樹の幹に耳を押し当ててみた。
(よく聞こえないな……)
 当たり前だ、ステファンは自分のしていることが可笑しかった。人間とは勝手が違うのだ、樹皮の奥を流れる音を聞こうと思ったら、何か道具が必要に違いない。それでもステファンは目を閉じて、じっと耳に神経を集中した。ゴツゴツした幹の内側では、今この瞬間にも、樹の根っこから吸い上げられた水分が力強く走っているに違いない。そのイメージを思い浮かべた。
 と、ステファンは意識が上へ上へと引っ張られる感じがした。それは樹の水分や養分が運ばれるより早く、どんどん加速して上へ上へと向かう。
 何だろう? 何だろうこの感覚は?
 
 どのくらいそうしていたのか、いつの間にかステファンは自分がはるか上空に居て森を見下ろしているのを知った。
 (何? 何が起こったんだろう?)
 ふいにステファンの視界が走り始めた。いや、ステファン自身が動いているのだ。アトラスの背で運ばれるより早く、軽く――ステファンは風になって森の上を自在に飛んでいた。
「遅い遅い! 雨雲に追いつかれるよ!」
 聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。振り返ると、赤い影が木々の間を駆けていく姿が見える。エレインだろうか?
「待って、エレイン、待ってよ」
 ステファンは追いていかれまいとしたが、急に身体がくるんと丸まってしまい、それ以上飛べなくなった。その間にも赤い影は疾風のように駆け抜け、どこかへ行ってしまった。
 丸く。まあるく。ステファンはどんどん変化し、やがて自分が微小な水滴になってしまったのを感じた。
 水滴となったステファンは空気中の水分を取り込んで膨らみ、やがて重さに耐えられなくなって森の上に降った。降って、葉の上を転がり、さらに幾重にも重なった葉の上で跳ね、そして地面へ。
 地面の上は柔らかい苔でおおわれている。落ちたステファンは、今度は自分が木の葉よりも平べったく、薄く、どこまでもどこまでも広がっていくのを感じた。広がりながら、苔の上に、腐葉土の下に、大地を走る樹の根に、幹に、そして枝にも葉の一枚一枚にも、目に見えぬ小さな存在が動いているのを、まるで自分の身の内で起こっていることのようにはっきりと感じ取った。 
――生きている。いっぱい、いろんな者達が生きている。ああそうか、さっきの鼓動は巨大樹だけのものじゃない。この森全体の鼓動だったんだ――
 ステファンの胸の内が温かくなってきた。と同時に、再び樹に引き寄せられる感覚を覚えた。

 突然頭の中がしんと冴え渡って、ステファンは目を開けた。頬っぺたにごつごつとした樹皮の感触――さっき樹の鼓動を聞き取ろうとしたのと同じ姿勢のままだ。ステファンは巨大樹を見上げ、ほうっと息を吐いた。今のはなんだったのだろう? 風や水滴になった時の感覚がまだ鮮明に残っている。
 折り重なった緑の葉の隙間から、木漏れ日がさし始めた。もう雨は止んだに違いない。
「ええと……ありがとう!」
 今度は声に出して礼を言うと、両手でしっかりと巨大樹を抱きしめた。

 ステファンは振り向いた。背後の森が、さっきとは違って見える。
 誰も居ないどころではない。いたるところに、何かの鼓動が満ちている。あれほど怖いと思った「何者か」に、ステファンは急に呼びかけたくなった。
「――おおい!」
 ステファンは歩み出した。五本の指と足裏全体で、ビロードのようにふかふかとした苔をしっかりと踏みしめた。
「やあ、クモ。やあ、カタツムリ」
 オーリの口調を真似しながら、ステファンは目に触れる者に片っ端から声をかけた。
 頭上で、アカゲラが甲高い声をあげた。陽がさすのを待っていたかのように、木の洞から茶色いリスが顔を出している。
「やあキツツキ。やあ茶色リス。羽虫に、カブトムシに、ええと」
 両手を広げ、森の匂いをいっぱいに吸い込む。ここに居る全ての者達の名前が知りたい。
「おおい! おおおーい!」
 何と呼びかけていいのかわからないまま、ステファンは駆け出した。さっきのように逃げるのではない、むしろ近づきたかった。あの「何者か」たちに触れたかった。ステファンは体中を声にして力いっぱい叫び、走り、ジャンプした。時折木の根に足をとられて転んだが、構わず起き上がっては走り、大地を蹴ってジャンプ、またジャンプした。さっき風になった時のように。水滴となって葉の上を跳ねたように。そして……

 いきなり何かにドンと突き当たって、ステファンは息を切らしながら目を見開いた。
「お帰り。案外早かったな」
 オーリが笑みを浮かべてそこに立っていた。
「先生……!」
 ステファンはさっきの不思議な出来事をオーリに告げようとした。が、口の端から飛び出したのは、全く別の言葉だった。
「先生、ぼく知りたい! もっといっぱい知りたいんだ! 教えてください、ぼくの力って何? 魔法って何!」
「よし、合格!」
 オーリの水色の瞳が力強く頷いた。

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「え、合格? て?」
「知りたい、と言ったね? そうはっきり意識できたのなら、今日の修行の成果としては充分だ。君がもし、迷子になってただメソメソしてるだけの奴だったら、家に追い返してやるところだ」
 ステファンはドキリとした。もう少しでそうなっていたかも知れない。
「冗談だよ。君ならきっと、‘王者の樹’の所まで辿り着けると信じてた」
 心配そうにしているステファンの頭をオーリはくしゃくしゃとした。
「王者の樹……あの樹、そういう名があったんですか」
「ああ、昔からそう呼ばれてる。何百年も生きて、落雷を受けてもなお堂々としているんだ。わたしはむしろ、この森の成り立ちから言って‘母者の樹’だと思うけどね。ま、それはいい。ただひとつだけ、はっきり言っておこう。ステファン、君が王者の樹の下で見聞きしたことは、神秘体験でもなんでもない。子供なら本来だれでも持っていたはずの力を、思い出したに過ぎないんだ」
「思い出した?」
「そうだよ。ただ、最近は思い出せる子が少なくなったと聞いてるけどね。その点、君は優秀だってこと。あの樹から学んだ事は、決して忘れちゃいけない。感性を鋭く持つことが魔法を学ぶ第一条件だからね」
 ステファンは巨大樹を思い出し、振り返ろうとした。
「振り向くんじゃない」
 大きな手が目隠しするように視界を遮った。
「今日はもう充分に教わった。 あの樹に感謝してるなら、このまま静かに引き上げるのが礼儀だよ」
 オーリが手を下ろすと、ステファンはさっきよりも明るい森の中に居た。足元の落ち葉の下からは、黒々とした地面が見える――森に入ったとき、最初に居た場所だ。
「こっちの森は安全だ。うちの庭と一続きだから、遊びたくなったら、いつでも来ればいい。ベリーも獲れるし、秋になればドングリも実る。この森からだって、学ぶ事はいくらでもあるしね」
「先生、王者の樹の森と、この森って繋がってるんですか?」
「まあね。でも植生が違うだろう。あんな巨大な樹はもうこの国では数えるほどしか残っていないってのに、金儲けに利用しようとする連中がいるから、エレインとわたしとでうまく隠して守ってるんだ。それに普段は彼らと棲み分けて干渉しないことにしてる。人間の近所づきあいと一緒さ」
 オーリは意味ありげに笑って見せた。
「彼らってあの、森に居た姿のないやつですか? もしかして……妖精とか?」
 シ、と オーリは人差し指を立てた。
「そんなにあからさまに言うもんじゃない。‘森のよき人’とか‘先住者’とか気の利いた表現をしてやらないと、機嫌を損ねて悪さするかも知れないよ。なにせ我々は後から来た身だ。彼らとはうまく折り合っていかなきゃ」
 ステファンは不思議な思いでオーリの顔を見上げた。どこまでが本気でどこまでが冗談で言ってるのかわからない。迷信めいたことを言うなら、いっそマーシャのほうが適役だ。 
 ステファンの考えを読み取ったように、オーリは無言で笑っている。
「あの、さっきのはなんていう魔法なんですか?」
「魔法?そんなの使ったっけ」
「さっき、僕の胸をドンと突いて、すぐ消えたでしょう?あの後、道がわからなくなったんだ」
「ああ、あれね。時々森の機嫌を損ねて喰われちまう奴がいるから、ちょっとした予防策だ。熊除けのベルみたいなもんかな」
 ステファンはぎょっとした。
「クマ? あの森に熊なんて居たんですか?」
「さあてね、どうだろ」
 オーリはとぼけた表情を見せた。
「忘れないで、ステフ。魔法は神秘じゃない。君がさっき言った‘魔法って何?’の問いは、この先もずっと持ち続けるんだよ。いつか、答えが見つかるまでね」
「先生は、答えがわかっているんですか?」
 じれったそうなステファンに、オーリは首を振った。
「わかったような気にはなってるけど、本当はどうだろうね。‘魔力’なんていうのも、本当は説明がつかないんだ。ただ――どんな力にも言えることだが――ひとりよがりだと暴走しやすい。何らかの秩序をもって使えたほうがいいだろう? だから師弟制度が残ってるんだと思うよ。魔法使いっていうのは翻訳者、あるいは我が身そのものが絵筆、あるいは楽器。この世界に満ちた曖昧な力を、判りやすい形に変えて使ってみせる技能者。うーん、どれも的確じゃないな……」
 オーリは次第に独り言のようにつぶやき始めた。
 二人はいつの間にか森を抜け、花の咲き乱れる庭に戻っている。明るい陽射しに目を射られて、ステファンはくしゃみをした。
「うわぁ、明るい所で見ると、泥んこになったのがわかるな! 森の中を跳ね回るってのは、いいもんだろ?」
 バツの悪そうなステファンを見て、オーリは楽しそうに笑った。
「マーシャが見たら、言い訳するヒマもなく‘坊ちゃんお風呂に入んなさい!’だな。君は修行中の身だから、その服も本来は自分で洗うべきだが……今日は無理だろう。あとできっと、熱を出すから」

 オーリの言った通り、午後になってステファンは熱を出し、ベッドから起きられなくなった。マーシャは心配してくれたが、風邪をひいたのではないことはステファン自身がわかっていた。
 体中の骨や筋がギシギシと音を立てて痛み、何かが変わろうとしている。けれどそれは害の有る痛みではなく、例えて言うなら乳歯が生え変わる時の感覚に似ていた。
 夢の中で、ステファンは再び森を駆け巡った。今度は独りではない。森の中でステファンを興味深く見ていた、姿のない「あの者たち」が、昼間よりもずっと近くに居て、一緒に駆け回る夢だった。

 森での一件以来、ステファンは裸足で遊ぶことが多くなった。芝生のある中庭はもちろん、一見生え放題のように見える裏庭や菜園、はては森の中まで。自分の足裏で地面を蹴り、土の力強さを受け止めて走ると、不思議に力が満ちてくる。わずか数日でステファンはすっかり日焼けし、足裏の皮膚は丈夫になった。
 そうして遊ぶうちに、森の中だけでなく、この家の庭にもいろんな住人が居るのに気付くようになった。姿のある者、無い者、生物なのかそうでないのか分からない者……それらを「妖精」と呼ぶべきかは知らないが。
 オーリが「男爵」と呼んでいた者はガーゴイルの、「皇帝陛下」はヒキガエルの姿をして時々現れた。住人たちは悪戯をするわけでもなく、時々はマーシャを手伝って菜園の世話をする者さえ居るが、ステファンが声を掛けると慌てて走り去るのがおかしかった。
 
「ステフ、ちょっと上がってきてくれないか」
 裏庭で尺取虫とにらめっこをしていたステファンに、二階の窓からオーリが声を掛けてきた。最近、オーリやエレインはこの呼び方が気に入っているようだ。女の子みたいで嫌なんだけどなあ、と思いながらステファンは急いで足の泥をぬぐい、階段を駆け上った。
 南北に長いL字型をしているこの家は、北側、つまり「L」の短い部分が後から増築されたようだ。二階の角はオーリの寝室、その隣から端までがアトリエ兼書斎になっている。
 部屋に近づくと、廊下にまで絵の具の匂いが漂ってくる。と共に、不機嫌そうなエレインの声が聞こえてきた。
「――あたしまで巻き込まないでよね。だいたいオーリが甘やかすから……」
 ステファンは遠慮がちに、開け放したままのドアをノックした。
「や、ステフ。良かった、力を借りたいんだ」
 オーリがほっとしたような顔で振り向いた。
「力って、ぼくの?」
「ああ、君の得意分野だ。エレイン、もうドアを閉めてもいいぞ」
「偉そうに言わないでよ」
 ムスッとした顔でエレインがドアを閉め、同時にオーリが杖を振って窓とよろい戸を全て閉めた。こうなると、部屋の明かりは、天窓から差し込むわずかな光だけになってしまう。
「な、何が始まるんですか?」
「迷子を捜すんだよ」
 オーリが神妙な顔をした。
「なーにが迷子よ、勝手に脱走したんでしょ。オーリがインク壷のフタをちゃんと閉めないから」
「はいはい悪かったよ。確かにアガーシャの力を甘く見てた」
「あのう、話がわかんないんだけど……」
 ステファンはまごついて二人の顔をかわるがわる見た。
「アガーシャってのは、オーリのインク壷に棲んでる妖精よ。それとも使い魔だっけ?」
「そういう言い方をすると、余計にヘソを曲げるぞ……ステフ、姿の無いやつらの気配が、君にはわかるね?」
「あ、はい、なんとなくだけど」
「それで充分だ。とにかく、逃げ出したアガーシャを早く探したい。物体にくっつくのが好きだから、この部屋の中で何かに潜んでると思うんだ。微かだが青く発光してるはずだ、それを見つけ出してくれ」

 奇妙な捜し物――オーリに言わせれば迷子捜し――が始まった。
 アトリエと書斎を兼ねる長方形の部屋は、さして広くはないが、なにしろ色んな物が置いてある。窓の近くには大小のイーゼルに描きかけの絵、絵の具に筆に油類。窓の無い側の壁は棚にキャンバスの数々、丸めたままの画布、額縁、おびただしい数の本、雑多な紙類。意味不明のオブジェ、もしくは魔道具。加えて入り口正面には重厚な木の机があり、幾つかのインク瓶やペン類の横にはタイプライターが置かれている。
 ステファンはその机に目を留めた。
 変だ。羽根ペンが十本ばかり、上質の皮製ホルダーにきちんと収まっているが、そこだけ生き物のような気配が漂っている。それにタイプライターも。
 机に近づこうとするステファンに、オーリが声を掛けた。
「ああ、言い忘れていたけど、その羽根ペンはもともと生きている。そういう魔道具なんだ。それにタイプライターにはガーリャってやつが棲みついてるから、そこは違うだろうな」
 ステファンは驚いた。
「いったいここには、何種類の“住人”が居るんですか?」
「さあて何種類だっけ、数えたことないなあ」
 屈託なく笑うオーリの顔を、ステファンは呆れながら見上げた。
「いいから早く捜しましょ、この暑いのに閉め切った部屋に長居するなんて、まっぴらだからね!」
 エレインはますます不機嫌になりつつある。

「ステフ、いいか、視覚だけに頼らず自分の直感を信じるんだ。何か少しでも光る物が見えたら教えなさい」
 オーリは棚の魔道具をひとつひとつ点検しながら言った。
 直感と言われてもよくわからない。これがリスか砂ネズミが逃げたというのなら、餌で誘い出すこともできるのにと思いながら、ステファンは床の上に身をかがめ、懸命に目を凝らして青い光を捜した。
 時間と共に部屋の温度は上がり、絵の具と油の臭いが鼻につく。エレインでなくても、この状況は充分に不愉快だ。ステファンは気分が悪くなってきた。

「出てきなさいアガーシャ! インク壷壊すよ!」
 エレインがついに怒り始めた。
「待った、エレイン。そうまで言うなら最後の手段を使うよ」
 オーリは杖を自分の額に向け、意識を集中するように目を閉じた。
 ステファンはぎょっとした。オーリの周囲に、微細な白い火花が舞っている。真冬に衣服の静電気が起きる時に見える、あの火花と同じだ。部屋が明るければ気が付かなかっただろう。
「火花なんて出さないでよ、揮発油も置いてあるんでしょ?」
 エレインが慌てて飛び退いた。
「だから魔法は使いたくなかったんだ。引火しても責任は取れないよ」
 目を閉じたままのオーリは口元だけ笑い、冗談めかして言ったが、急に顔を上げて告げた。
「ステフ、天井だ!」
 
 ステファンは目を凝らし、天井をくまなく見回した。すると微かだが、壁際から天井に向けた照明の上に青い光の帯が踊っているのを見つけた。
「見えた。電球に乗っかってます、先生」
「どこだ? エレイン、見えるか?」
「見えない。ステフ、どの電球?」
 ステファンは戸惑った。自分に見えるものは、オーリにも見えて当然だと思っていたのに、なぜ見えないんだろう。
「あのう、壁際のやつ、です」
「よーし、あたしに任せて」
 エレインはジャンプするため助走をつけようとしている。慌ててオーリが押しとどめた。
「待て、君じゃ壊してしまう。ステフ、まだ見えてるか? じゃ捕まえてごらん」
「ええ? ぼくが? どうやって?」
 エレインはオーリを睨んだが、ステファンにはニッと笑いながら近づいてきた。
「ステフ、高いところが怖い、とか言わないわよね?」
 え? と聞き返す暇も身構える暇も無く、ステファンはいきなり抱えられ、天井へと放り上げられた。
 視界が反転する。
 天井の梁に背中がぶつかる。
 落ちながら目の端で青い光を捉え、ステファンは夢中で手を伸ばした。
 指先が照明に触れた――と思った瞬間、電球はフィラメントが切れる直前のように眩く発光した。ステファンは目がくらんだまま、何か強い力に押されてくるりと回転しながら背中から落ちた。
「大丈夫か!」
 オーリの声が聞こえ、ステファンは目をしばたいた。電球はすでに消え、アガーシャの青い光が力なく落ちてくるのが見える。背中の痛みをこらえて手を伸ばし、ステファンはそれを受け止めた。
「は……はい先生、捕まえました」 
 ステファンは顔をしかめながら掌を差し出した。ところがオーリはすぐには受け取ろうとせず、信じがたいといった表情でしばらく見つめている。
「先生?」
「ああ、ありがとう――ステファン、よくやった。思った以上だな」
 オーリは無理をするように笑い、机の上から青いガラス製のインク壷を持ってきた。
「アガーシャ、もう懲りたろ?」
 声に促されて、青い光が生き物のようにステファンの指の隙間から滑り出し、大人しくインク壷の中に納まった。

「まーったく、魔法使いって!」
 エレインは勢い良くドアを開け、窓も開けにかかった。
 太陽の光と共に新鮮な空気が流れ込み、部屋の空気を押し流す。

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 ステファンは一瞬眩しさに顔をしかめた。いつもは柔らかい北側の窓からの光が、こんなにも明るかったかと思う。その窓を背に立つエレインの髪は、いっそう赤く輝いて見える。
「だいたいオーリがいけないのよ。実体のない連中にガーリャだのアガーシャだの、名前までつけて特別扱いしてさ」
「ほうエレイン、妬いてる? 大人げないな」
「だれが! 使い魔に甘すぎると今日みたいな騒動になるって忠告してるの!」
「いやその表現は正しくないな。‘使い魔’ではなくむしろ‘仕事のパートナー’と言うべきだろう、うん」
「ばっからしい! もういい、オーリなんてそのうち、妖精の親玉にでも喰われちまえ!」
 エレインは巻き毛を跳ね上げると、窓の手すりを飛び越えた。
「エレイン、ここは二階……!」
 だがステファンが慌てて見た時には、もう赤い影は庭の木立の中に走り去るところだった。
「ははっ、これで一勝一敗だな」
 オーリは椅子に座ったままのんきに笑っている。
「あの、大丈夫なんですか?」
「エレインなら心配ない、いつもあんな調子だから。ステフ、君こそ大丈夫か?」
 さっき背中を打ったことを言われているのだと思ったが、オーリは別のことを言い始めた。
「アガーシャを直接手に乗せられる人間なんて初めて見たよ」
「え? 先生もそうじゃないんですか?」
「まさか。実体もない、質量もない、あえて言うならエネルギーの塊が‘そこにあるらしい’としか表現しようがないやつだよ。下手するとこっちの魔力に干渉して手が弾かれる」
 ステファンは改めて自分の手を見た。
「だって、先生は捕まえてみろ、って」
「うん、アガーシャの動きを封じるくらいはできるかな、と思ったんだ。でも君の力はそれどころじゃなかった。そうだ、こいつらで検証してみよう」
 オーリは机の上のペンホルダーに右手を向けた。色とりどりの羽根ペンが一斉に震え始める。
「ああみんなじゃない、一本でいいんだ。ワタリガラス、おいで」
 言い終わらないうちに黒い羽根ペンがオーリの手元に飛んでくる。
「ステフ、やってごらん。そうだな、ヤマバトくらいがいいかな」
 半信半疑でステファンも左手を向けてみた。
「あ、そうか。君は左利きなんだ。――さあ、呼んでみて」
「ヤ、ヤマバト、おいで」
 ぎこちなく声を掛けると、一番小さな灰色の羽根が垂直に舞い上がり、真っ直ぐステファンのほうに飛んできた。が、手の中には納まらず、鋭いペン先でいきなり指を刺した。
「あいたっ!」
「こら、失礼だよヤマバト!」
 小さな灰色の羽根ペンは、ぷいと向きを変えると、自分でホルダーの中に帰ってしまった。
「ああごめん、ステフ。どうも相性が悪かったようだ。金属のペン先を着けてなくてよかった」
「これって、ぼくの魔力が弱いから、ですか?」
 ステファンは刺された手を気にしながら、こわごわペン達を見た。
「違う違う。弱いどころか、君の力が強すぎて反発したんだ。魔法っていうのは対象との関係性で意味が変わるからね」
「……よくわかりません」
「小難しいこと言っちゃったかな。例えばね、さっきわたしが発した火花だ。指先に集めると‘スパーク’という魔法になるが、単独では何の意味もない。だけどエレインが心配してたみたいに揮発油――気化しやすくて燃えやすい油だ――に向けて使ったら、途端に意味を持つね」
「引火して、火事になっちゃいます」
「そうだ。一方こうしてろうそくの上で放てば」
 オーリは棚の上から燭台を引き寄せ、指を鳴らした。ポッ、と勢い良く灯がともる。
「ほら、こうして灯りを得る事ができる。まあ、マッチの代用程度の意味しかないが、平和なもんだ。どちらも同じ力なんだがね。これをもし人に向ければ?」
 スッ、と額に指を向けられてステファンは肝を冷やした。
「冗談だよ。君が寝ぼけた時にパチッとやれば目覚ましくらいの意味はあるかな。だけど杖を使って増幅すれば!」
 オーリは素早く杖を取り、窓の外に向けた。稲妻のような光が走り、何か鼠色のものが吹き飛んだ。
「こういう野蛮な力にもなり得る――何の用だ、ファンギ?」
 ステファンは急いで窓に駆け寄った。奇妙な声をあげながら、触手だらけの丸っこいものがあたふたと屋根伝いに逃げるのが見えた。
「カビを運ぶ妖精だよ。森の中で仕事をしていればいいのに、エレインの留守を狙ってきたな。マーシャに気をつける様言わなくちゃ」

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「先生、で、そのカンケイセイってわからないんだけど……」
「ああそうだ、話の途中だったね」
「なぜアガーシャは手に乗せても平気なのに、羽根ペンはダメなんですか? 先生はぼくの力が強い、っていうけど、とてもそんなふうに思えない」
 不満そうなステファンの表情に、オーリはちょっと苦笑いをした。
「わたしも質問していいかな。なぜさっき、君にだけアガーシャの光が見えたのか? あの光はとても弱いんだ。わたしより夜目がきくエレインでさえ、さっきは見えなかった」
「……わかりません」
「そうだろうな、わたしも君の質問には答えられない。ただ、君は何かアガーシャと共鳴する力があるんだろうな。個性と言ってもいい。それが何なのか、をこれから時間をかけて探らなくちゃ。学ぶっていうのはそういうことだ」
 オーリは杖を壁際の照明に向け、たぐり寄せるような仕草をした。雫型をした電球が弧を描いて飛んでくる。それを掌の中に受け止めて、オーリはあちこちの角度から透かし見た。
「それにもうひとつ。さっき君がちょっと触れただけでこいつが光った。もちろん誰もスイッチなんて入れてないのに、だ。ごらん、フィラメントが切れている――うちの照明器具は、魔力の影響を受けない仕様になってるはずなんだが――面白いね、アガーシャに、ラジオの真空管に、電球か。杖の申請書に書く項目がまた増えた」
「杖? 魔法の杖、ですか?」
「嬉しそうに言うなよ。まだ仮の杖だ。新しい弟子を迎えたら一ヶ月以内にその子の適性を見極めて、ふさわしい杖を貸与してもらえるよう、ユニオンに申請しなくちゃいけないんだ。で、その後師匠に認められればやっと本杖を自分で買えるようになる。結構面倒なんだよ」
 オーリは心底面倒くさそうな表情をした。
「ユニオンって?」
「ウィッチ&ウィザードユニオン、要するに魔法をなりわいとする者の同業者組合だ。ほんの数十年前までは‘ギルド’が機能していたらしいけど。いまだに師弟制度が続いているのはその名残だね。わたしはこういう縛りが嫌いなんだ、もっと自由にやらせてくれればいいのに」

「お茶がはいりましたよう」
 階下からマーシャの声が響いた。
「さ、難しい話は終わりだ。ただ覚えていてくれ、君はわたしにも無い力を持っている。自信を持つんだよ」

           *             *             *

 その夜、遅くまでアトリエの灯が消えることはなかった。
「……参ったなあ」
 オーリはひとり、描きかけのカンバスの前に座っていた。さっきから少しも筆は進んでいない。
「オスカーの息子だもの、才能があるのはわかってたけど……こうもはっきり目の前で力を見せ付けられると……いくら童心を持ち続けようとしても、本物の子供の感性には敵わないよな……」
 諦めて筆を置き、オーリは壁の写真を見つめた。
「もう取り戻せないんだろうか、アガーシャ」
 インク壷に問いかけているのではなかった。壁の古びた写真の中では、オーリに良く似た顔だちの魔女、東洋人の男、二人の間には白っぽい髪色の痩せた男の子、そして、天使のような笑顔を向ける赤ん坊が映っている。
「こういう時こそエレインが居てくれればいいのに。帰ってきやしないんだから」
 オーリは立ち上がると部屋の灯りを落とし、開け放した窓から外を見つめた。木立を涼しい風が渡っていくが、そこには誰の気配も無い。オーリはいつまでもそうして闇を見つめていた。

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 翌日はよく晴れた。
 オーリの言うところの‘力’とか‘個性’とか、ステファンには正直よくわからない。ここに来てから魔法らしきものが使えたのは、アガーシャの一件だけだ。杖が早く欲しい、と痛切に思った。むろん杖を持ったからといって急にオーリのような魔法を使えるようになるとは思わないが。
 ステファンは日課の洗濯――といっても自分の物だけだが――と、オーリに命じられた書き取りの勉強を簡単に済ませると、庭と森の境にある“半分屋敷”に向かった。屋敷といってもステファンが勝手にそう呼んでいるだけで、実際は小さなテーブルと椅子だけでいっぱいになってしまう、ようするに“小屋”にすぎないのだが。
 古い石を積み上げただけの壁は半分崩れているが、幸い屋根は残っていたので、ステファンは要らなくなったテーブルクロスをマーシャにもらい、屋根から地面まで斜めに張って日除けにした。オーリに頼めば壁くらい魔法で簡単に修繕してくれるかもしれないが、自分で苦労して張ったこの日除けが気に入っているので、夏中はこれでいいや、思っている。
 ステファンはここで過ごすのが好きだ。好きな本を読もうが、木の枝を削ってでたらめな“杖と呪文”を作って遊ぼううが自由だ。もともと空想遊びの好きなステファンにとって、ここは誰にも邪魔されない秘密基地でもあった。

 お昼近くになってさすがに空腹を感じ、家に戻ってみると、珍しく不機嫌なオーリの声が聞こえてきた。
「だから、帰ってたんなら、ひと言いってくれればいいだろう! こっちは一晩中心配してたのに」
 台所では、エレインがマーシャの隣に座って皮肉っぽく笑っている。
「あーらそう。マーシャの部屋で酒盛りしてたのよ。使い魔と遊んでる契約主よりよっぽど良く話を聞いてくれたわ」
「ほほほ、面白うございましたねえ」
 マーシャは乾燥ハーブの葉を手際よく選別しながらうなづいている。
「ああそうだ、オーリが隠してたナントカって古いお酒ね、全部空けちゃったから」
「嘘だろ! あれは客用なんだぞ」
「どうせお客なんて来ないじゃない?」
 エレインはステファンに気付くと目配せした。どうやらオーリの反応を楽しんでいるようだ。
「エレイン様は賓客以上に大切なお方ですとも。ええ、ご遠慮なさるこたないです。それに女心のわからない方にはこのくらいの‘苦い薬’は必要ですよ」 
 しゃっくり止めに使う赤い葉を光に透かしながら、マーシャは横目でオーリを見た。
「なんてこった、マーシャまで感化されて」
 オーリは手で顔を覆い、不機嫌なまま席を立った。
「……ああそうだマーシャ、昨日ファンギが家を覗いてたぞ。気をつけないと家中カビだらけにされちまうからな」
「おやまあ、ファンギが?」
 マ-シャが目をキラッと光らせた。
「オーリ様、次に見つけたら森に帰す前に言ってくださいまし。今年の青カビチーズは発酵がうまくいかないってお隣の農場で言ってましたもの。ファンギをとっちめて仕事させてやらなくちゃ」
 唖然。そうとしかいいようのない顔でオーリがつぶやいた。
「ステフ、どうする? うちの家には魔女より怖い女性がふたりもいるぞ……ああ、頭痛くなってきた」

 門の外で、けたたましくカラスの騒ぐ声がする。
「エレイン、君の崇拝者が来たようだ」
 むっつりした顔のまま、オーリは親指で背後を指差した。
「見もしないでよくわかるわね、背中に目でも付いてるの?」
 エレインは外に向かいながらステファンの腕を引っ張った。
「なに?」
「一緒に来てよ。あたし、あいつ苦手なの」
 カラスを気にしながら立っていたのは郵便配達の若者だった。
「や、やあエレインさん、いい天気になったね」
 手紙の束を渡しながら、若者は思い切り愛想のいい笑顔を浮かべた。年の頃は十八、九だろうが、そばかすだらけの童顔にだぶだぶの制服がなんとも不釣合いだ。
「はいどうも」
 エレインがぶっきらぼうに手紙を受け取った後も、若者はまだ何か言いたそうだったが、ふと隣に居るステファンに気付いていぶかしげな目をした。
「ええと、オーリ先生のお弟子さんで?」
「そうよ、名前はステファン、そのうちオーリなんかより有名になるから覚えておいて」
 ステファンは驚いてエレインを見上げた。
「ふーん……こんなチビがねえ。いいな、俺も郵便配達なんて辞めて弟子入りしようかな」
「毎回カラスにつつかれてるようじゃダメね、あんたには魔力の‘ま’の字もなさそうだし。それより配達物に自分の手紙を紛れ込ませるのはやめなさい、あんた先週もそうしたでしょ」
 若者は真っ赤になった。
「ステフ、どれかわかるよね? 返してあげて」
 ステファンは束になったままの手紙の中から宛名も見ずに一通の封筒を選び出し、すまなさそうに若者の手に返した。
「わかる? 弟子になれるのは、こういう子だけなの。あんたには立派な仕事があるんだから真面目にすることね。さあ、わかったら帰りな。それともカラスにそのバッジを取り上げさせようか?」
 若者は真新しい郵便配達夫のバッジを押さえると、一目散に配達車へ駆け込んだ。

「やれやれ可哀想に。恋する相手を間違えたな、彼は」
 いつのまに来たのか、オーリがクスクス笑いながら背後に立っていた。
「ステフ、君の力が早速役にたったじゃないか……えっ」
 一通の封書の差出人を見て、オーリの顔色が変わった。
「どうしたの? 悪い知らせ?」
「いや、良い知らせと悪い知らせ、両方かな。まずステフ、喜んでくれ。オスカーのコレクションがいよいようちに送られてくることになった。君にも整理を手伝ってもらうからね。それと、悪い方、というかあまり歓迎したくないほう」
 オーリは赤い封蝋の押された手紙をひらひらさせて、ふーっとため息をついた。
「うちの伯母からだよ。中を読まなくたっておおよその見当はつく。嫌だなぁ……」
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