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1950年代の欧州風架空世界を舞台にしたファンタジー小説です。 ちょいレトロ風味の魔法譚。
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 翌六日、ステファンは十一歳の誕生日を迎えた。
 マーシャは居間のテーブルクロスを変えて花を生け、張り切って特大のケーキを焼き始めた。
「そんな大げさにしなくたっていいのに。なんか恥ずかしいよ」
 テーブルを端に寄せ、いつもとは違う様子に整えられた居間を見て、ステファンは戸惑った。
「大げさじゃないよ。今日はステフにとってもわたし達にとっても大事な日なんだ。ちょっと手伝ってくれ、屋根裏にあとニ脚、椅子があったはずだ」
「本当にお客を呼んじゃったの?」
「そうだよ、これも計画のうちさ。君の誕生日にかこつけて悪いかなとは思ったけど」
 屋根裏への梯子段を昇りながら、オーリは悪戯を企むような顔をしている。

 ステファンはここ数日のめまぐるしいドタバタを思い出していた。
 ヴィエークホールの美術展で評判を呼んだオーリの絵は結局、国内の資産家が良い値で買い取ることとなったのだが、そこからが大変だった。まず、美術展初日に名乗りをあげた例の外国人女性――ジゼル・ミルボーと名乗った――が、絵を諦める代わりにぜひエレインと直接会って話を聞きたいと熱心に言ってきたのだ。やがてこの女性だけでなく、新聞で竜人のことを知ったという多くの人が問い合わせてきた。
 オーリはこの事態を予測していたようで、彼らをステファンの誕生祝いの席に招待し、そこでエレインの話を披露すると言った。ただし条件付きで。
 条件とは、現在の竜人がどういう扱いを受けているかを知ってから来ること、そしてオーリの家の前に設けた“関門”を通り抜けられること、の二つだ。

「招待とか言いながらあの関門はないよ、先生。魔法で作った生垣の迷路でしょう? 無事に通り抜けられる人って居るのかな」
 誇りっぽい屋根裏部屋で椅子を引っ張り出しながら、ステファンは明り取りの小窓から庭を見た。この季節、ほとんどの植物が枯れた姿を晒している中で、力強い常緑樹の緑色を誇っているのがオーリの作った迷路だ。たいした距離でもなく、難しい道でもないはずだが、オーリが言うには、興味本位で竜人を見てやろう、などと思って来た者は間違いなく迷い、カラスに突かれて逃げ帰ることになるらしい。
「ま、難しいとは思うよ。そら、早速入り口でカラスの歓迎を受けてる奴が居る」
 オーリが指差す先に見えるのは、見覚えのある郵便配達夫の帽子だ。ステファンは大急ぎで屋根裏から下り、カラスにつつかれて悲鳴をあげている若者を助けに行った。
「シッシッ! だめだよ、この人は仕事で来たんだから」
 ステファンが杖を振ると、カラスたちは小馬鹿にしたように鳴き騒ぎながらも木の上に飛び去った。
「痛ててて、いい加減、担当を替えてもらいたいよなあ……ほらぼうず、お前さんに小包み。いいなぁお前、杖まで持っちゃってさ。毎日エレインさんの顔も見られるしさ。ちぇっ」
 そばかす顔の若い郵便配達夫はぶっきらぼうに茶色い包みを手渡すと、ため息をついて帰ろうとした。
「あのう!」
 ステファンは声を掛けずにはいられなかった。

*  *  *

「良くお似合いですよ、エレイン様」
 二階の部屋では、大きな鏡の前でエレインが重厚な衣裳をまとっていた。白地の袖の長い服には幾何学模様の縫い取り、同じ模様を織り込んだ前垂れ――竜人フィスス族の語り部が受け継ぐ式服だ。後ろに引きつめた赤い髪には極彩色の羽根飾り、耳に光っているのはいつかの黒い封印石ではなく、紅い石だ。
「またこの衣裳を着る機会があるなんて思わなかったわ」
 エレインは誇らしげに腕を伸ばして、袖口を飾る幾重もの幾何学模様を指差した。
「これは御祖母さまの縫ったところ、これはその前の語り部の。そしてあたしが縫った紋様はこれ。あまり上手じゃないけどね」
「立派ですよ、大事になさいまし。たとえ生まれた地を失ったとしても、失っちゃいけないものがございます。それは人間も竜人も同じこと。オーリ様もきっと力を貸してくださいますよ」
 手を取って祈るように言うマーシャの言葉に、エレインは微笑んだ。
「先のことは分からないけどね。でもありがと、マーシャ。“語り部エレイン”の務めを果たしてくるわ」
 部屋のドアを開けると、十一月の風が窓を揺する音が聞こえる。エレインは背筋を伸ばし、階段を下りていった。

「――でね、この黒いローブも今日届いたばかりで、ぼくまだ慣れてないんです。誕生日のお祝いにってお母さんが贈ってくれたんだけど。あれ? でもぼくのお母さんは魔法ぎらいなのに、どこでこれ買ったんだろ」
 ステファンの無邪気な言葉に客人たちはどっと笑った。
 赤々と燃える暖炉のせいばかりでなく、居間の中は暖かだ。子供も含めて十数人が集っている。結局はこれだけの人数がオーリの作った緑の迷路を無事に通り抜けたということだ。
 反面、カラスの手ひどい歓迎を受けた者たちもいた。カメラを持ったゴシップ誌の連中などはまず入り口で弾かれ、冷やかし半分で来た者などは迷路の中で堂々巡りをした挙句、疲れ果てて入り口に戻るはめになるのだ。
 最初に難なく迷路を通り抜けたのは、子供たちだった。続いて彼らの母親。新聞で初めて竜人と人間の過去を知り、心を痛めた人たち。例の外国人女性、ジゼル・ミルボーは本国で「竜人学」を研究しているとかで、子供のように歓声をあげながら迷路を楽しんで通り抜けてきた。
 ほとんどの人は、魔法使いの家ということで最初は緊張した顔をしていたが、オーリの気さくな人柄と薫り高いお茶を前にして、すぐに心がほぐれたようだ。ケーキを切り分けたあとは口々にステファンに向けておめでとうを言い、新米魔法使いのローブ姿に目を細めて談笑を始めた。
 
 ころあいを見て、オーリが立ち上がった。
「皆さん、竜人の話を心待ちにしていることでしょう。そろそろわたしの守護者を呼びます」
 オーリに招き入れられ、居間の戸口に現れた赤毛の娘を見て、客人からどよめき声があがった。
「おお、あの絵に描かれていたのはこの女性ですな?」
「なんて赤い髪……でもあの、こんな綺麗な娘さんが竜人? 信じられない」
 疑うというよりも戸惑っている客人たちに、エレインはニッと笑って長い袖をたくし上げてみせた。
 すんなりとした腕にくっきりと、竜人特有の青い紋様が見える。
「オオ! コレハ」
 ジゼルが立ち上がって近づいた。
「……間違イ無イ。刺青ナドデハアリマセン、竜人ダケガ持ツ紋様デス。アナタハフィスス族、デショウ?」
 感極まった様子のジゼルにエレインは快活に答えた。
「そうよ、あたしは竜人。フィスス族最後の生き残り、語り部のエレインというの。あたしの話を聞いてくれる?」

 
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 人の発する生の音声というものは、どうしてこんなに心を揺するのだろう。 
 
 エレインは穏やかに、けれどよどみの無い口調で竜人の創世譚から語り始めた。ステファンもこんな風にエレインから直接聞くのは初めてだ。彼女の言葉は淡々として、物語りとも歌ともとれる心地よい韻律で部屋を満たした。始めは物珍しさからクスクス笑っていた子どもたちも、やがて真剣な顔で彼女の言葉に聞き入るようになった。
 時折、暖炉の薪が微かな音を立ててはぜる。
 エレインが語り始める前、オーリは“語り部”の力について少し説明を加えた。人間にいろんな言語があるように、かつては竜人にも種族ごとに独自の言葉があったこと。けれど人間との戦いの歴史の中で、しだいにその言葉は薄れ、今は失われてしまったこと。エレインには過去の竜人たちの声を聞く能力があるが、今日はそれをそのまま伝えるのではなく、彼女自身の言葉で語るのだということ。
 それだけ言うと、オーリはエレインの肩に手を置いて、しっかりね、と言ったきりなぜかそのまま居間を出てしまった。
 ステファンは内心、気が気ではなかった。八月の終わりに、花崗岩に封じ込められた竜人の怨念に同調してしまったエレインの恐ろしい姿を覚えていたからだ。オーリが新しい封印の石を着けてあげたとはいえ、またあんな風になりはしないだろうか?
 エレインの語りは淡々としているが、時々声が震えることがある。人間への怒りを懸命に抑えているのだな、ということがステファンにも痛いほど解る。

 ―――エレインの一族が守ってきた美しく肥沃な大地。“新月の祝い”は、普段離れて暮らしている父親たちと母親たちが顔を合わせる唯一の日であると共に、魔力を忘れて“人”としての姿を取り戻す厳かで神聖な日のはずだった。けれど人間たちはその日を狙って攻め込んで来た。エレインが初めての伴侶を選ぶはずだった美しい日は、こうして一族最期の日となってしまった。父親たちは皆、その場で戦い果てた。エレインも共に戦うつもりでいたが、一番年若いエレインを逃すことで母たちは希望を繋ごうとした――

 やがて話がエレインの母たちの最期に及ぶと、それまで水の流れるようだった彼女の言葉が途切れはじめた。長い袖に隠れた拳がぎゅっと固められている。
 いたたまれなくなって、ステファンは思わずエレインの傍に行った。
 どうしよう。こんな時に何と言ってあげればいいのだろう?
 言葉が見つからずステファンはただ、固まった拳を両手で包んだ。と、もうひとつの小さな手が伸びて、エレインの手に重なった。一番最初に迷路を抜けて来た八歳くらいの女の子だ。
「だいじょうぶ? 竜人のおねえさん」
 女の子に続いて、もう一人。そしてまた一人。その場に居た子どもたち皆が集まってきて、心配そうにエレインの手を取ったり顔を覗き込んだりし始めた。
「……ありがとう。あたしは大丈夫。さ、話を続けるから座って」
 エレインは少し青ざめた顔で、それでも微笑みを浮かべて子どもたちを見回した。
「少し休憩を挟んではいかがです? ほら、この人もお茶を出すタイミングに困ってる」
 客人の紳士が立ち上がって居間のドアを開けた。
 ドアの向こうでは、マーシャがお茶をワゴンに乗せたまま、ハンカチで鼻を押さえて号泣しているところだった。

 それにしても、オーリは何をしているのだろう。こんな時にこそエレインの傍に居なくちゃ駄目じゃないか、とステファンは腹を立てながら、エレインが落ち着いたのを見計らって、二階へ上がってみた。
 案の定、アトリエに灯りが点っている。
「もう先生、何やって……!」
 言いかけた言葉を呑み込んで、ステファンは目を見開いた。
 部屋じゅうに紙が飛び交っている。オーリはその中で、じっと目を閉じて立ち尽くしていた。杖を自分の額に向けているのは、かつて迷子になったアガーシャを探した時に見せた、魔力を強めて集中するやり方だ。
 机の上の羽根ペンが十本とも、ものすごい勢いで走っている。ペン画を描いている者だけではない。普段は無い金属のペン先が付けられている数本が書いているのは、文字だ。インクをつける時間も惜しむように、交代でおびただしい文字を書き付けている。
 インク壷の隣には、蓄音機のホーンのような形の金属の花が震えている。そこから聞こえるのは居間で語っているエレインの声だ。
「……そうだ、語り続けるんだエレイン……怒りに負けるな……」
 オーリは目を閉じたまま、エレインがすぐ近くに居るようにつぶやいている。
 足元に落ちてきた一枚を手に取って、ステファンはオーリが何をしているのかを知った。エレインの語る言葉と記憶の光景をそのまま書き残しているのだ。しかも同時に、いつにも増して強い魔力を彼女に送りながら。オーリは時折足元をふらつかせ、それでも一心に集中していた。
 ステファンは急いで椅子を寄せ、オーリを座らせた。
「先生、何やってるんだよ、もう。いくら先生でも、こんな同時にいろんな魔法を使うなんて、無茶だ!」
「ステフか。時間が無いんだよ。竜人をこれ以上苦しめるような悪法が動き出す前に、エレインの言葉を世の中に伝えなきゃ。それには正確な記録が必要なんだ」
 オーリは目を開けないままでうめくように答えた。 
「それならいっそエレインの隣に居て、手を繋いであげてよ。エレイン、独りで可哀想だよ。力を送ってあげられるのは先生しかいないんでしょう」
「そんなことをすればお客たちは、わたしが魔法でエレインを操って語らせているように思うかも知れないよ。それに羽根ペンたちはこのアトリエ出ては仕事ができなくなるんだ。さあ、分かったら邪魔をしないでくれ!」
 額に汗を浮かべながら祈りにも似た姿でいるオーリと、さっき居間で懸命に怒りを抑えていたエレインの姿がダブって見える。何を言ってもオーリはこの魔法を止めそうにない。ステファンは黙って床に散らばった紙を拾い集め、微動だにしないオーリを残してそっとアトリエを出た。

 夜になると、エレインはさすがに疲れたのか早々と天井の梁に上り、日没後の小鳥のように眠りについてしまった。けれどオーリにはまだしなければいけない仕事があった。机の隅で埃を被っていた古いタイプライターを持ち出し、エレインを起こさないように“無音”の魔法を掛けると、昼間羽根ペンたちが書き取ったエレインの物語を清書しはじめたのだ。
 けれどオーリはどうやらタイピングが苦手のようだった。金属のアームが何度も絡まり、焦る割りには一向に進まない。見かねたステファンはオーリをタイプライターの前から押し出した。
「だめだよ先生、時間が無いんでしょう。ぼくにやらせて」
「何だって? 君、できるの?」
「結構得意なんだ。お父さんの仕事の手伝いで覚えたから」
 ステファンは紙を二重にして挟み直すと、猛烈な勢いでキーを打ち始めた。ピュウ、と口笛を吹いて、オーリは目を見張った。
「驚いた、ガーリャが目覚めて働いてる!」
「ガーリャって、これに棲みついてるやつ? アガーシャみたいに」
 キーを打つ手を止めないまま、ステファンは問うた。
「そうだよ、これをトーニャから譲り受けた時からまともに働いたことが無かったんだが。ありがたい、その調子で頑張ってくれ、ステフ。わたしは挿絵を仕上げるよ」
  こんなに急ぎの仕事なんてどうしたんだろう、と思いながらもステファンは自分の力が初めてオーリの役に立っているとおもうと誇らしさでいっぱいになった。
 結局、使い魔のトラフズクが窓に降り立つ頃には、全ての清書が終わり、オーリは拳を宙に突き上げて快哉を叫んだ。
「オスカー、感謝だ! わたしに弟子ばかりでなく有能な助手まで遣わしてくれた!」
「しーっ、先生、エレインが起きちゃうってば!」
 魔法使いたちの騒ぎを尻目に、トラフズクは冷静な顔で通信筒を背負い、
「滅び行く者、声をあげよ、ってことですな……」
 とつぶやくと一礼して飛び立っていった。

 エレインの話は評判を呼んだようだ。もっと話を聞かせて欲しい、という声が引きもきらず、オーリは次の週からも何度か客を招いた。エレインの語りにはますます熱がこもったが、最初の日のように怒りで声を詰まらせるようなことは無くなった。話を聞き終えた人びとは彼女の手を取って、今まで竜人のことを誤解していた、済まなかった、と涙を浮かべながらしばらく時を忘れて話し込むのが常だった。中にはジゼル・ミラボーのように何度も訪れる人も居り、いつのまにかエレインには人間の友人が何人もできていた。
 相変わらず“関門”の迷路で弾かれるゴシップ記者たちが腹立ち紛れに酷い記事を書きたてたが、果たしてそれを真に受ける者が居たかどうか。“竜人とのお茶会”に感動した人の話は耳から耳へと伝わり、迷路を通り抜けられることがひとつの名誉のようにさえ語られるようになっていった。

 そんなある日、ステファンは話を聞き終えた客の中でひときわ派手に号泣する人を見た。制服を着ていなかったので最初は分からなかったが、そばかすだらけの童顔には見覚えがある。いつも来る郵便配達の若者だ。ステファンに声を掛けられてから何度か迷路に挑んだが、結局今日まで来られなかった、と鼻を真っ赤にしながら言った。
「おれ、知らなかった。エレインさんがあんな辛い思いしてきたなんて。竜人なんか自分には関係ないって思ってたもんなあ。お前やオーリ先生は知ってたんだよな、敵わないよなあ……」
 若者はすっかりしおれてしまった花束をテーブルに置くと、帰ったら郵便局長にもこの話をする、と約束して鼻をすすりながら帰っていった。
 
 客が全て帰っても、迷路の入り口でカラスが騒いでいる。オーリは庭に出て指を弾き、カラスを遠ざけてから呆れたように声をかけた。
「あんたも懲りないね。いいかげん、仕事を離れて一人の人間として来たらどうです? そうすれば通り抜けられるかも知れないのに」
「ああ、長年染み付いたひねくれ根性が邪魔してね。いや、今日はそんなことで来たんじゃないんだ」
 帽子をさんざんに破られた雑誌記者は冷や汗をぬぐいながらオーリに向き直った。
「いいニュースだよ、ガルバイヤンさん。例の髭男、カニス卿が失脚したらしい」
「カニスがどうしたって?」
 不愉快な人物の名を聞いてオーリは眉を寄せた。
「あの髭男、前からうさん臭い奴だと思って調べてたんだけどね。カニスってのは偽名だ。あいつは魔法で他人の記憶を奪って、貴族に成りすましていたらしい。とんだペテン野郎さ。最近になって記憶を取り戻したっていう貴族から訴えられて、今大変なんだと。傑作だろう?」
「あの犬男爵め、そんなさもしい事やってたのか……で、それをわたしに言ってどうしようっていうんです」
「どうもしないさ。ただ、あんたに言われてから俺も改めて竜人の話を聞いてみることにしてね。とある少年からカニスとあんたの因縁を聞いたんで、伝えておきたくなったのさ。仕事抜きでね」
 記者は照れ隠しのように、破れたハンチング帽子を深く被った。
「その少年って、カニスに売られたという竜人の? あの子は今どこに?」
「船に乗ってるよ。港の人足として働いていたところを外国船の船長に気に入られてね。ちゃんとした契約の元だから管理区に送られる心配はないよ。今頃はきっと、東回りで外洋に向かっているだろう。銀髪の魔法使いに会ったらよろしく伝えてくれって頼まれたんだ。竜人の味方をする人間も居ると知って、生きる希望が湧いたってね」
 そこまで言うと、記者は腕時計を見て慌てて道端の車にカメラを放り込んだ。
「ちぇ、時間切れだ。今日も記事にならなかった。せめて赤毛美人の写真でも撮れたらなあ」
 冗談まじりに言う記者に、オーリは真顔で答えた。
「あんたは竜人の話を聞く耳を持っているんじゃないか。もうくだらないゴシップ記事なんて止めたらどうです? お宅の雑誌が事実を曲げずに書くようになったら、いつでも喜んで招待しますよ」
 記者は答えず、苦笑いを残して走り去った。

 
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 変化は、静かに、確実に起こりつつあった。
 エレインの話が評判を呼ぶにつれ、新聞や雑誌に竜人の登場する記事が多くなってきた。これまで語る言葉を持たなかった竜人たちが声をあげるようになったのか。それとも人間のほうが耳を傾けるようになってきたのか。
 どちらにせよエレインは、語り部として言葉が尽きることを知らないように何度も語り続け、その記録を残すためにオーリとステファンの作業は黙々と続けられていった。
 
 そして十二月の声を聞く頃。
 今にも雪が舞いそうな重い雲の下を飛んで、一羽の黒鷲が森の家に近づいてきた。その姿を見るや、オーリは肝を潰したように庭に飛び出した。
「トーニャ! そんなお腹で飛んでくるなよ!」
 冬の庭に降り立った黒鷲は、こぼれそうな大きなお腹をローブに包んだ魔女の姿に変わる。
「あーらご心配なく。私じゃなくてベビーが飛びたがってるんだから。それにこんな面白い仕事、他の魔女になんて任せてたまるもんですか」
 古風な黒い帽子を外しながら、魔女は思惑ありげな笑顔を見せた。

 マーシャが暖炉に足した薪が勢い良く燃える。トーニャは母国流にジャムを添えたお茶を楽しみつつ、ふう、とお腹をさすった。
「面白いかどうか知らないけどね、 仕事好きもほどほどにしろよ。この寒いのに飛んだりしてベビーに何かあったらユーリアンに何て言えばいいんだ」
 オーリは困り顔で勝気な従姉に苦言を言った。
「それよりまずお礼を言わせて、オーリ。あなたが送ってよこしたエレインの話は好評よ。魔女出版としても初めて一般向けに出した隔週誌の看板記事だから、力を入れてるわ。ただ……」
 トーニャはすまなそうに細い眉を寄せた。
「竜人の話を本にするのはやっぱり無理。それでなくても大戦後の紙不足が尾を引いてるから、今はどこの社も大変なの。有名な作品だって一巻分を何巻にも分割して出さなきゃいけないくらいよ」
「わかってるよ。記事にしてくれただけでもありがたいと思ってる。無理言って済まなかった、トーニャ」
 頭を下げるオーリを見ながら、じゃあここまでなのか、とステファンは無念な思いでうつむいた。
 エレインの話を記録して挿絵をつけ、竜人の思いを世に訴える―――オーリの考えた次の作戦だ。それが果たしてどれほどの効果があるのか知らないが、記事が評判を呼べばもっと多くの人が竜人の問題に目を向けてくれるかもしれない。竜人に対する扱いが厳しくなるのは年が明けてからだから、時間との競争になるが、やってみる価値はある。そんな話をここ最近ずっと三人でしてきた。そして魔女出版の協力のもと、エレインの話を記事にするところまでは漕ぎ着けたのだ。だが読み捨ての雑誌に載っただけではすぐに人びとから忘れ去られるだろう。他に打つ手は無いだろうか?

 無念そうな魔法使いたちを尻目に、トーニャがキラッと目を輝かせてエレインに向き直った。
「それより面白い話があるの。エレイン、“お茶会”で話した内容を、もっと多くの人間に聞かせてみない?」
 オーリは眉をしかめてカップを置いた。
「トーニャ、何を考えてる。興味本位の連中の中に我が守護者を引っ張り出すのは御免だぞ」
「ばかね、ラジオの話よ」
「ラジオだって!」
 とんでもない、という風に首を振るオーリには構わず、トーニャは隣に座るエレインの肩に手を乗せた。
「ラジオは知ってるわね? あんな風に、遠く離れた大勢の人間たちに話を聞かせるのよ。あなたならできるわ」
「馬鹿なことを言わないでくれ。何のためにわざわざ迷路まで作ってこの家で話すことにこだわってると思うんだ」
 オーリは身を乗り出して険しい目をした。負けじとトーニャが睨み返す。
「あなたは甘いの、オーリ。本当に訴えたいことがあるなら、安全な場所に篭って相手を選んでたんじゃ駄目。相手が聞く耳を持とうが持つまいがなるべく多くの人に訴えなきゃ」
「だからって、エレインを都会のラジオ局まで連れて行けっていうのか。ああ、邪(よこしま)な連中がさぞ喜ぶだろうさ」
 たまりかねたようにオーリは立ち上がってエレインを引き寄せた。
「人の話は最後まで聞きなさい! それに私はエレインと仕事の話をしてるの、ヘボ画伯とじゃないわ!」
 ヘボ画伯、と言われたオーリは顔を赤くして、言葉もなく口をパクパクとした。その腕をすり抜けてエレインがトーニャの顔をのぞきこむ。
「本当に、大勢の人間相手に語ることができるの?」
「そうよ。ただし、あなたが出向くのはリスクが大きすぎるわ。誰かさんの絵のおかげで顔が知られちゃったし、最近の“竜人ブーム”を面白く思わない連中も居るから。でも聞いて。何人かの魔女の力を借りればここから“声送り”という魔法を使うことができるの」
 トーニャの話はこうだ。
 ラジオ局でも早くから、評判の竜人を呼んで番組で語らせたら、という話が出ていた。しかしどこで横槍が入るのか、なかなか許可が下りない。そこで表向きは地味な“朗読番組”ということにして、魔女の力を借りてエレインの声だけを流す。後でとがめられたとしても、ラジオ局の人間が録音機材を持って動いたわけではなし、竜人本人が来たわけでなし、証拠は残らない。全て、魔女側からではなくラジオ局側から持ちかけてきた話だそうだ。
「従姉どの、そりゃかなり無茶というか……大体そんなことに協力する魔女が居るのか?」
「居るわよ。魔女を侮らないでくれる?」
 トーニャが真剣な顔を向けた。
「かつて魔法使いたちが“竜人狩り”を始めた頃、一番近くにいながら愚かな行為を止められなかった、と悔いている魔女は多いわ。直接手を下す事こそしなかったけど、傍観者を決め込んでた自分達も魔法使いと同罪だって。ね、エレイン。私たち魔女にも罪滅ぼしの機会を与えてはくれないかしら」
 困惑したような緑色の瞳の上で、赤銅色の睫毛が何度か上下する。
「なんかよくわからないけどさ。あたしは乞われれば誰にだって語って聞かせるわよ。だってそれが語り部の使命だもの。そうでしょ?」
「その通りでございますよ」
 さっきから黙って聞いていたマーシャが口を挟んだ。
「思うとおりになさいまし、エレイン様。ほんの少しでも望みがあるなら、そちらに賭けるべきです。このマーシャめも及ばずながら、放送の日には農場のおかみさんたちに声を掛けてラジオを聞くように言って回りますとも。よろしいですね、オーリ様?」
 マーシャの声には有無を言わさぬ響きがある。オーリは観念したように天井を仰いだ。

 果たして、放送当日には狭い家に魔女が続々と集まってきた。皆、鳥に姿を変えたり“遂道”を通ってきたりした、年齢も出身もまちまちの魔女たちだ。赤毛の竜人を見るなり、涙ぐんで詫びるようにハグをしに来る者あり、ただ手を取って深々と頭を下げる者もあり、そして誰もが口にする言葉は、
「生き残った娘が居てくれたなんて」
 という喜びの言葉だった。
 オーリは壁際に立つ大柄な魔女の姿を見て驚いた。
「伯母上、あなたもですか?」
「私は監督役です。この者たちがしっかり役目を果たすように見届けねばなりませんからね。それに……」
 ガートルード伯母は水色の目をエレインに向けた。
「フィスス族の娘。先代の語り部のことを、私はよく覚えていますよ。今日はあなたの仕事ぶりを見せてもらいに来ました」
「おばあ様のことを知ってるの?」
 白い式服を着たエレインは顔を輝かせた。
「ええ、とてもね……さあ、時間がありません。こちらへ」
 部屋の床に真新しい紋様が描かれている。エレインはその中央に立ち、オーリがぴったりと寄り添って立った。黒装束の魔女達が周りを取り囲む。
「向こうの手はずは整っているわね?」
「大丈夫です。トーニャが送り込んだ魔力の受け手がラジオ局に居ますから」
 よろしい、とうなずいて、魔女ガートルードは確かめるように言った。
「いいことオーレグ、この娘の言葉を最後まで届けられるかどうかはお前にかかっているんですからね。心をしっかり持ちなさい」
「言われるまでもありませんよ、伯母上。何の為の契約だと思ってるんです? 我が守護者に力を送るのはわたしの役目ですから」
 自信ありげに不遜とも思える表情をするオーリにちらと目をやって、ガートルードはおもむろに手を挙げた。
 魔女たちの輪が手を繋ぎ、紋様が光り始めると、それを合図にエレインが語り始める。長い袖の下で繋いだオーリの手に力がこもった。

 その日、夕食後にいつもの朗読番組を聞こうとしていた人びとは、いつもの番組とは違うことに気付いた。聞きなれない澄んだ声と、噂でしか知らなかった竜人の話。詠うような声に聞き入る人びとの驚きが、静かな感嘆とすすり泣きに変わってゆくのに、あまり時間はかからなかった。

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 翌日から巷は竜人の話で持ちきりになった。
 
 朗読番組の代わりに突然流された竜人の物語。
 あれは作り話なのか、実話なのか。それともいつもの番組の中での“劇中劇”なのか。
 昔魔法使いに与して竜人狩りを薦めた連中は大いに慌てた。ラジオ局に抗議し、竜人が迫害された話などでたらめだ、でっちあげだと躍起になって否定する者も居たが、それは局側の人間をにんまりさせるだけだった。良くも悪くも反響が大きいということは、それだけ多くの人間があの番組を聴いたということだ。
「文句言いたい奴は言えばいいさ。絶対、ムダにはしないからな」
 録音技師の男は、竜人の声を納めたテープの大きなリールを見つめて、誰に言うでもなくつぶやいた。
 最初、番組が無断で差し替えられたことにカンカンになっていた出資者も、あまりの反響の大きさに態度を変えざるを得なくなった。“もっと竜人の話を聴きたい”という街の声が日に日に高まってきたからだ。
 ラジオ局で導入されたばかりの新しい録音機械はエレインの声を鮮明なままに何度も再放送し、他局も争ってあちこちで埋もれていた竜人の話を取材するようになった。

 そんな日々の中、ユーリアンが一通の電報を握り締めて飛び込んできた。
「やったぞ! オーリ、竜人たちは救われるかも知れない!」
 オーリはユーリアンから受け取った紙片に目を落とした。悪名高い“竜人管理法”が凍結されることになったことを示す文面が綴られている。
「実は“管理法”を潰す動きはお偉方の間でも前からあったんだってさ。ただ、潰すタイミングが問題だった。雑誌の記事やラジオ放送のお陰で世間が騒ぎ出したから、勢いに乗って一気に追い込んだようだ。情報源は確かだぜ。魔女出版宛に届いたものをトーニャが複写してきたんだ」
「ふうん、じゃ我々は乗せられたのか、あるいは逆かな。それにしても急いだもんだ。魔女たちが、国のお偉いさんを脅かしたのかな」
 冗談を言う口ぶりではあるが、オーリの笑顔はどことなく硬い。
「なんだ、もっと喜べよ。エレインはこれで晴れて自由に……おい?」
 驚くユーリアンの目の前で、エレインが悔しそうに両眼から涙を溢れさせた。
「あたし、喜べない」
 ギリリと音を立てて、椅子の背に爪が食い込む。
「だってそのためにステファンは……」
 オーリは爆発しそうなエレインをなだめるように抱き寄せて、同じく沈痛な表情をした。
「あの子、そんなに悪いのか?」
「ああ。ラジオ局から帰ってきて、ずっとだ。ガートルード伯母があらゆる術を使って回復させようとしているけど、意識が戻らない――戻らないんだ!」

 エレインの声が電波に乗ったその日、ステファンは首都に居た。
 魔女たちの“声送り”を成功させるには、ラジオ局側にも二人の魔力を持つ者が必要だと聞いていた。声を受け取るいわば“受信機”役の魔女、そしてもう一人、語り手であるエレインの声を良く知る者。オーリは当然、エレインの傍に居なくてはいけないから、後者はステファンが引き受けることになっていたのだ。難しい仕事ではない、魔女と手を繋いでいればいいと聞いていた。ただ心を空にして、エレインの声を自分の喉に宿らせる――魔女が受信機ならステファンはスピーカーというところか。声変わり前の十一歳の少年には、適役のようにも思えた。
 初めて見る都会のラジオ局で、物珍しさに目を輝かせながら、ステファンはオーリから借りたローブにしっかりとくるまった。電気系統に影響を与えないように魔力を抑えるには、自分の小さなローブでは間に合わないからだ。前日のテストで“声送り”を初めて見た、と興奮気味に言う局員たちにキャンディなどもらいながら、どきどきしながら魔女の到着を待った。
 ところがアクシデントが起きた。
 首都の空気はあまりにも汚かったのだ。十二月に入ってから急に冷え込んだせいで、家々のストーブには大量の石炭がくべられ、その煤が吐き出されたために街の上空は一寸先も見えないほどに濃いスモッグが満ちていた。年老いた魔女はその中を懸命に飛んで来たものの、ラジオ局に辿り着く頃には消耗してもう呼吸さえおぼつかず、とても“受信機”の役は務まりそうにない状態になってしまっていた。
 放送の時間は迫っていた。“中止”の声が囁かれるのを聞いたステファンは、夢中で叫んでいた。
「止めちゃだめだ! ぼくが二人分の働きをします。魔女さん、声の受け取り方を教えて!」

 オーリが小さな弟子のあまりにも無謀な行動を知ったのは、放送終了後のことだった。
 ステファンを迎えに行ったガートルードは、おいおいと泣き崩れる魔女の横で魂が抜けたように転がる少年の姿を見て、全てを察した。
 そして一週間。治癒魔法に長けた魔女が入れ替わり立ち代り、ステファンの治療にあたってきたが、体力も魔力も充分に回復したはずなのになぜか意識だけが戻って来ないのだ。
「ステフ、ステファン」
 小さな額に自分の額を押し付けて同調魔法の姿勢をとりながら、もう何度呼びかけたか知れない名前をオーリが呼び続けていた頃、階段下から甲高い声が響いてきた。
「どいて、どきなさい! 母親のあたくしが会いにきたのです、治療中だろうが知るものですか。息子に会わせなさい!」
 勢い良く開いたドアの内側で一瞬立ち止まった小柄な婦人は、魔女達を押しのけてベッド脇に駆け寄り、ひざまずいていたオーリを突き飛ばすようにして息子に取りすがった。
「ステファン!」
 強引に魔法を中断されたオーリが眩暈してうめくのには構わず、ミレイユは両手で息子の頬を挟んで呼びかけた。
「聞こえて? 聞こえるわね、お母さんよ! 目を開けてちょうだい!」

 
 灰色の濃い霧の中を、ステファンは歩いていた。
 前へ? 後ろへ? 右へ? 左へ?
 足元さえ不確かなこの感覚は、何かに似ている。
「参ったなあ。また迷子になっちゃった」
 立ち止まり、周囲を見渡してため息をつく。ため息は透明なつむじ風となり、目の前の霧を一瞬、晴らした。
「あれは……?」
 霧の向こうに見晴るかす、緑の渓谷。その中を駆けてゆく赤い髪。
 けれどそれらはすぐにまた、濃い霧に隠されてしまった。ステファンはしばらく茫然としたが、すぐに口元に笑いを浮かべた。
「隠してもだめだよ。ぼくにはちゃーんと見えるんだ」
 そして目を閉じ、意識を集中する。頬に風を感じて再び目を開くと、渓谷の様子は一変していた。
 あちこちで上がる黒煙。眩い火花と、剣のぶつかり合う音。怒号。悲鳴。ステファンは思わず叫んだ。
「やめて! 竜人は悪くないのに!」
 知っている。これはオーリの絵で見た、エレインの話で聞いた、フィスス族最期の日の光景だ。ステファンは身震いし、走り出していた。
「逃げて! 魔法使いは残酷なんだ、みんな逃げてってば!」
 そう、知っている。この後、エレインの父も母も、誇り高き仲間も皆、全滅することになるのだ。けれどそんなことを目の前で見たくない。一人でも、二人でも生き残っていて欲しい。でないと、エレインは一人ぼっちになってしまう。
「エレ……」
 黒い煙にむせた。呼吸ができない。すぐ足元で火花が飛び散った。
「危ない!」
 突然誰かに腕を引っ張られて、ステファンは再び霧の中に戻った。
 咳き込んで呼吸を取り戻しながら、どうして、と抗議しようと顔を上げる。
「過去は、取り消せないんだ」
 霧の向こうで静かな声が語りかけた。どこかで聞いた声だ。
「どんな許せない過去でもだ。もっと早くに気付くべきだった。答えは現在と、未来にしか探せない」
 霧をかき分けて、その人が歩み寄る。次第にはっきりと顔が見えるようになると、見覚えのある鳶色の目がまじまじとこちらを見ているのに気付く。
「お前……ステファン? ステファンなのか?」
 間近で自分の名を呼んだ人の顔を見て、ステファンは驚き、息を飲んだ。そして次の瞬間には相手の名を呼ぶよりも先に、飛び上がって首に抱きついていた。
「お父さん――お父さん!」
「ステファン!」
 紛れもない、これは父だ。父のにおい、父の声、父の体温。なにもかも、二年間頭の中で忘れないように思い出していた、そのままの父だ。
「信じられない。どうやってここへ? 一人で来たのかい?」
「うん。あのね、ぼく“声送り”って魔法のお手伝いをしたんだ。そしたら……」
「声送りだって? そんな難しい魔法を手伝ったのか。なんて無茶をするんだ、お前は」
 オスカーは言いながらも、誇らしそうに息子の頭をくしゃくしゃにした。
 けれど懐かしい大きな腕がしっかりと自分を包んだのを感じた途端、ステファンは猛烈にわけのわからない怒りを感じて、オスカーの肩を、頭を、小さな拳で叩き始めた。
「なんで! どうして出てっちゃったんだよ! ぼくの誕生日だったのに! 何にも言ってくれないでさ! ひどいよ、ずるいよ!」
「ステファン、そうだったね」
「お、お……」
 涙と一緒に押さえようとしても溢れてくるものを飲み下し、ステファンはそれまで一度も口にした事のない言葉を思いっきり吐き出した。
「お父さんの、ばーーーっかやろおおおう!」
 抱きしめる父の腕に、力がこもる。ステファンはなおも泣き喚いた。
「お母さんもだあっ! いつもいつも怒ってばかりで、ぼくの言うことなんてちっとも聞いてくれなくて! もういい、ぼくは魔法を覚えたら悪い子になってやるんだ! エレインに、うんと悪い言葉を教わってやる。お、お母さんの、ば……」
 大きな手が口を塞いで、ステファンにそれ以上の悪口は言わせなかった。
「お前は、悪い子になんかならないよ。前に言っただろう、この世に生まれてきてくれただけで、もう既に“いい子”なんだって」
 父の目が笑っている。ステファンはしゃくりあげながら、自分と同じ色の目を見つめ返した。
「ステファン、本当はお父さん達のことを、ずっと怒ってたんだね? 怒ってたのに、誰にも言えなかったんだね?」
 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、このまま父の手に噛み付いてやろうかと思ったがそれはできず、ステファンはひと言だけ返した。
「――うん」
 オスカーはもう一度しっかり抱きしめてくれた。ごめんな、という声が聞こえたようにも思ったが、もうそれはどうでも良かった。ステファンは父の肩にしばらく顔を埋めてから、腕を突っ張って地面に飛び降りた。
「でも、ぼくはもう十一歳なんだよ。自分の杖だって持たせてもらったんだ。だから――」
「だから?」
「だから。お父さんのこと、許してあげる」
 自分でもひどく幼稚な言い方をしてしまったと思い、急にステファンは恥ずかしくなって顔を背けた。
「そうか、許してくれるのか。お母さんのことは?」
「お母さんは……」
 言いかけて、ステファンはふと誰かに呼ばれたような気がして振り向いた。
 呼んでいる。オーリが、エレインが、マーシャが。いやもっと多くの声が、懸命に自分を呼んでいる。そして……
「お母さんの声だ」
 ステファンの耳に、はっきりとそれは届いた。温かな力が、胸の中に満ちてきた。
「帰ろう、お父さん。お母さんが呼んでる。早く帰らないと、お父さんも叱られるよ」
「叱られるのに、お前はお母さんを許すのかい?」
「だってさ。お母さんは、お母さんだもの」
 ステファンは半分照れくさそうに答えた。オスカーが笑ってうなずく。
「先に帰りなさい、声がするほうへ。それが出口だ」
「お父さんは?」
「別の出口から帰るよ。なに、すぐに追いつくから」
 手を振るオスカーにきっとだよ、と念を押して、ステファンは自分を呼ぶ声に向かって駆け出した。

「どうして目を開けてくれないの……」
 何度呼びかけても反応のない息子の手を握り締めて、ミレイユはさめざめと泣いていた。胸の上に顔を伏せ、何かを詫びるように。けれどひとしきり泣いた後、ミレイユは顔を上げた。そして涙をぬぐうと、やおら立ち上がり、腹に力を込めて声を放った。
「ステファン・ペリエリ! 何時までそうしているつもりです、 いいかげんに起きなさい、遅刻しますよ!」
「はいっ!」
 突然はっきりとした返事を返し、鳶色の目が開いた。
 おおお、と声をあげて魔女たちがざわめく。
「ス、ステファン?」
「ステフ、目が覚めたの?」
「坊ちゃん!」
 拍手と歓声が起こる中、オーリとマーシャが両側から駆け寄った。
 ミレイユはその場で放心したように座り込んだ。自分から声を掛けたにもかかわらず、信じられない、とでも言うように。エレインが気付いて、そっと抱え上げ、ステファンの脇に座らせる。
「お、母、さん」
 一音ずつ確かめるように言いながら、ステファンは手を伸ばして母の顔に触れた。
「この子は……まったくもう、この子は十一にもなって! 相変わらず寝起きが悪いんだから!」
 灰色とも緑色ともつかぬミレイユの目から、何粒もの涙がステファンの顔に降る。ああ、お母さんはこんな目の色をしていたんだな、とぼんやり考えながら、ステファンは妙に心地よい思いで母を見つめた。

 突然、ドンドンドンと何かをノックするような音と共に、くぐもった人の声がした。一同は顔を見合わせ、声を辿って視線を巡らす。オーリはベッドの下を覗き込んだ。
「こいつから聞こえてるんだ」
 オーリが引っ張り出したのは、古い革製のトランクだった。ステファンが家を出る時にどうしても持って行くと言って譲らなかった、オスカー愛用のものだ。
「お父さん……」
 ステファンのつぶやく声に何かを察したように、オーリが指を弾いた。火花と共に革ベルトが一斉に外れ、トランクの蓋が勢い良く開く。と、中から何者かの上半身が飛び出してきた。
「オスカー!」
 トランクの中は“保管庫”の本と同じように広い空間がひろがっている。オーリとユーリアンが左右から腕を引っ張ってオスカーの身体がすっかり出てしまうと、空間は音もなく閉じてただのトランクに戻った。
「やあ、オーリにユーリアン。ここは? 今日は何日だ?」
「十二月十二日……」
 茫然としたままでオーリが答える。オスカーはぐるっと部屋を見回し、ステファンの枕元にある小さな置時計に目を留めた。
「十二時十二分。ぴったり、計算どおりだ。やあ、ミレイユ」
「この……!」
 オーリがオスカーに掴みかかった。そのまま殴りつけるのではと肝を冷やしたマーシャが止めようとしたが、彼はそのままステファンの隣にオスカーを突き飛ばした。
「何が“やあ”だ、なにを呑気に! さあ謝れオスカー、ステファンとミレイユに。どういうわけだか全部説明してもらうぞ!」
「もう、謝ってもらったよ」
 か細い声がして、ステファンの顔が横を向いた。自分の隣に落ちてきたオスカーに手を伸ばし、これ以上の幸せは無い、というような笑顔を見せる。
「お帰り、お父さん」
「ただいま、ステファン」
 父子は笑い合い、再びしっかりと抱き合った。

「まあ、なんてこと!」
 ミレイユのヒステリックな声が部屋に響いた。
「オスカー、あなたという人はどうしていつもいつも! 出かける時も突然なら帰るのも突然なんだから! 第一ここはよそ様のお家なのよ、カバンの中から入ってくる人が居ますか! お玄関から入っていらっしゃい!」
 機関銃のような声に皆が呆気に取られている中オスカーは、
「わかった!」
 と答えて弾かれたように廊下に飛び出した。玄関はこっちだな、という声と階段を駆け下りる音が聞こえてくる。
「お母さんったら……」
 困惑するステファンをよそに、細い眉を吊り上げたままのミレイユは足音も高く玄関に向かう。マーシャが慌てて後を追った。
 玄関ベルが鳴る。マーシャが扉を開けると、笑いそうな、泣きそうな顔のオスカーが立っていた。
「突然お邪魔してすみません。こちらにミレイユというご婦人はいらっしゃいませんか?」
 マーシャが答える前に、ずい、とミレイユが進み出た。
「あたくしがミレイユですわ。ミレイユ・リーズ」
 皮肉たっぷりに旧姓を名乗ったミレイユの手をオスカーの両手がしっかりと握った。
「オスカー・ペリエリと申します。もう一度どうしても貴女にお会いしたくて、はるばる戻って参りました」
 鳶色の目に強い光りが踊っている。見上げるミレイユは硬い表情を崩さないまま、乙女のように頬を染めた。
「まあ……まあ、お二人とも。さあどうぞお家の中へ。暖炉の前でゆっくりとお話くださいまし」
 マーシャが目尻の涙をぬぐいながら笑って、二人を居間に導こうとした。オスカーが鼻をひくつかせて顔を輝かせる。
「スコーンの匂いだ。ああ、懐かしい! この二年間、何かを食べるってことを忘れていたからなあ」
「さようでございますか。ええ、もうすぐ焼きあがるところですよ。二階の皆さんもお呼びしてお茶にしましょうかねえ」
「では、あたくしもお手伝いいたしますわ」
 ミレイユはオスカーの手を振り払い、背中を向けたまま小さな声で付け足した。
「オスカーのお茶の好みは、あたくしが一番知っておりますから」

 暖炉の火が勢い良く燃え上がった。
 二階に居た魔女たち、エレイン、ユーリアンがお茶の席に着く。そしてステファンは毛布にくるまれたまま、オーリに抱えられて下りてきた。小さい子みたいで嫌だ、と彼は駄々をこねたが、一人で歩くほどにはまだ回復していない、とどうしてもオーリが許してくれなかったのだ。
 お茶をミレイユに任せて、マーシャはスコーンの具合を見た。いい焼け具合だが、もう一呼吸置かなくては。美味しいスコーンを食べるには、急いではいけない。ものごとには必要な手順と、掛けねばいけない時間があるものだ。
 そう、時間ならこれからいくらでもある。じっくり、じっくり。
 やがてオーブンから取り出されたキツネ色のスコーンは、美味しそうなヒビ割れと共に甘い匂いを放つだろう。

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 誰もが、聞きたいこと、話したいことを山ほど抱えていた。
 そして誰もが我先にしゃべろうとしたので居間の中は騒然とし、ガートルードは何度も立ち上がり、厳しい声で場を収めねばならなかった。
 オスカーがどこへ姿を消していたのか、から始まって、忘却の辞書のこと、あの気の毒なガーゴイルのこと、七月以来ステファンが遭遇したさまざまなこと。特にここ最近のオーリとステファンの奮闘ぶり、極めつけは“声送り”でステファンがやってみせた、無謀っぷり。
 話の順番も何もあるものか、と皆が競ってしゃべるさまを、ミレイユはほとんど口を開けたままで聞いていた。無理もない。これまで魔法など頭から否定してきたというのに、この場に飛び交う言葉のほとんどは彼女の誇る“常識”の範疇を超えているのだから。 
 そんな母を半ば気の毒に思いながらも、ステファンは幸福だった。
 暖かい部屋。薫り高いお茶とマーシャの焼きたてスコーンにたっぷりのジャム。 
 オスカーに呆れながらも安心したように顔を見交わす、オーリとエレイン。二人を冷やかすユーリアン。ガートルードはじめ魔女達は、相変わらず威厳を保っているものの、彼女らが見かけよりずっと優しくて人が良いことにも気付いた。
 そしてなによりも、今は傍に両親が居る。
 ソファの右側に母が、左には父が。真ん中に座るステファンは満ち足りた顔で代わる代わる二人を見上げた。
 そう、満ち足りている。けれど心の隅にほんの一点、まだ忘れ物をしているような気がしてならない。それが何だか分からず、ステファンは毛布からはみ出した足をぶらぶらさせた。 

「みんなちょっと待った! じゃあ、ひとつずつ疑問点を明らかにしていこうぜ。吊るし上げにされる覚悟はできてるか? オスカー」
 悪童のような顔で笑うユーリアンにオスカーは苦笑してうなずいた。
「まずは君自身のことだ。これはオーリが言ってた事なんだが。オスカー、君には過去へ自由に旅をする能力があるんじゃないかってね。それは本当か?」
「本当だ」
「証明できるか?」
「できないね」
 あっさりと降参の仕草をして、オスカーは手を広げてみせた。
「証拠の品がない。いくら過去をつぶさに観ることができても、その時代の物に触れたり手を加えたりするのはタブーだからね。木の葉一枚、石ころ一個、持ち帰れやしないんだ」
「そうじゃ。異時間移動魔法における禁則というもんがある」
 老魔女のひとり、リンマがぼそりとつぶやいてうなずいた。
「まあ、時間を遡るなんて自然の理に反することなんだから当然だろうけど。なんとか証拠を、と思ってカメラを持って行ったこともあるんだがなあ。フィルムには何も写ってはいなかったよ。遺跡の発掘チームに参加した時には定説を否定するようなことばかり主張するから、よく仲間に言われたもんだ、。オスカー・ペリエリ、お前の説は面白いが荒唐無稽だってね。悔しいが、僕の説を証明するような出土品はあまり見つからないから。貴重な遺跡が埋もれているはずの場所が地雷原になっていて、調査どころじゃなかったこともあったな……」
「証明などできなくても、オスカーに力があることは信じるよ。だが忘却の辞書を使った事情やあんな手紙を残したいきさつは説明してもらいたいね」
 オーリが水色の目をじろりと向けた。まだ少し怒っているようだ。
「こいつは拗ねているのさ。そんな面白い魔法を使うんならなぜ事前に教えてくれなかったのかってね」
 ユーリアンは茶化すようにオーリを見やり、それから真顔になってオスカーに向き直った。
「で、どうなんだ。本当に、手紙を出したのは十二月で、その後十一月に戻ったのか?」
「いや、手紙を出したのは最後だ。あの紙を切り取った時点で辞書の魔力が溢れ出すのは知ってるね。だから十一月の聖花火祭の夜に辞書を使い、翌日に手紙を書いて、僕は旅立ったんだ」
「旅立ったって、あのトランクの中から? だから、誰もお父さんが出て行ったのに気付かなかったんだ」
 ステファンは今さらのように、自分があの古いトランクを持っていきたい、と言い張った時のことを思い出して複雑な気分になった。
「でもガーゴイルが手紙を届けたのは十二月。なぜ一ヶ月も空白があった?」
「ひとつには、隠しておく為。なにせこっちは魔法道具の使い手としてはルール違反をしてるんだから。“魔法監理機構”にでも知られたら、手紙まで取り上げられかねない。それじゃ困るんだ」
「カンリなんとかって?」
「魔法使いや魔女にだってね、秩序はあるんだよステフ。いろいろ禁則を設けてるし、違反すれば罰も受けなきゃいけない」
 ステファンに簡単な説明をして、オーリは難しい顔をした。
「ルール違反って。何をやらかした、オスカー」
「うん、まあ。正直に言うとね、辞書を使ったのは一度だけじゃない。何度か過去に戻って、書き込んではやり直し、を繰り返したんだ」
 唖然とする一同の前で、オスカーは悪戯を告白する子どものような顔をした。
「なんと、オスカー・ペリエリ! わかっとるのかえ? 忘却の辞書に書き込めるのは、一人につき一項目だけじゃぞい」
「それなのに過去に戻って何度も書き直した? なんたることよ、辞書の禁則と時間の禁則、両方を破ったことになるわえ。監理機構に知られずとも懲罰もんじゃ!」
 タマーラとゾーヤが皺に埋もれた目をひんむいて非難がましい声をあげた。
「わかってますよ魔女さん。だから罰は甘んじて受けたんだ」
「罰って……二年間、この世界から消えちゃうってこと?」
 父と再会した場所――灰色の濃い霧に閉じ込められたような世界を思い出しながら、ステファンは恐る恐る口を開いた。
「島流しのようなもんよの。“シムルゥの間隙”というてな、この世とあの世の境にある世界よ」
「そこではあらゆる時間を行き来することができるが、自分の時間は流れぬ。意識はあるが、誰とも言葉を交わせず、働きかけることもできぬ。というて死ぬこともできず、まあ生きながら幽霊になるようなもんだわ。普通は一年と待たず精神(こころ)が壊れてしまうもんだがのう。まともに生きて帰る者は稀じゃわえ」
 魔女たちが歯の無い口で説明するのに割り込んで、オーリが身を乗り出した。
「そうだ、どうやって帰ってこれたんだ? あの十二本の罫線は、やはり何かの時限魔法なのか?」
「条件付き時限魔法、ってやつかな。古書の中で偶然見つけた、まあ抜け道のような方法だ。“外なる鍵と内なる鍵、十二の魔の目といまだ開かざる魔の目、そして五つの十二の重なる時”これらの条件がすべて満たされなければならないんだから、ほとんど成功するとは思わなかったけど。いわば、賭けのようなものだな」
「なんだって? まてまて、これは謎かけだ。解いてやるからまだ答えを明かすなよ、オスカー」
 新しい遊びでもみつけたように目を輝かせて、ユーリアンがメモを取り出した。
「“十二の魔の目”というのは解りやすいな。あの辞書と手紙の謎解きに関わった六人の魔法使いと魔女のことだ。僕、トーニャ、オーリ、ステファン、ソロフ師匠に、大叔父様か」
 指を折りながら数えるユーリアンの横で、オーリが考え込んだ。
「いまだ開かざる魔の目、とは?」
「トーニャのベビー。そうでしょ?」
 こともなげにエレインが答えた。
「エレイン、そうだよ! なぜ解ったんだ?」
「普通、そう思うわよ。お腹の中でまだ目を開いていない、でもすでに魔力があるから魔の目、ってことでしょ」
「女性の勘ってのは、時々恐ろしくなる……」
 頭を抱えるオーリには構わず、ユーリアンはメモを取り続けた。
「“五つの十二”これも解り易い。十二月十二日、十二時十二分。ええと、秒数まで指定してたとすれば……」
「いや、まさかそこまではね。トランクから出るまでだって何秒かかかるんだから」
「十二年目」
 ミレイユが小声でつぶやいた。
「なにがです?」
「今日は……その、十二回目の記念日、なんですわ。オスカーと、あたくしの……」
「あ、結婚記念日だ! そうだよね、お父さん」
 オスカーはうなずき、赤い顔でそっぽを向いたミレイユを見つめた。
「覚えていてくれたとはね、ミレイユ」
「あ、当たり前ですわ! あなたこそ、とうに忘れていらっしゃったんじゃなくて?」
 オホン、と咳払いをして笑いをこらえながら、ユーリアンが続ける。
「じゃあ、最初の条件。これは難題だ。“外なる鍵と内なる鍵”なんだろうな……」
「ぼく解るよ。それ、お母さんと僕で同じ夢を見て辞書の魔法を解いちゃったことだ」
「正解。なんだ、みんな簡単に解いちゃうんだな」
 ポン、ポン、とオスカーが手を叩いた。
「なぁる……魔力の無いミレイユさんは“外なる鍵”、ステファンが“内なる鍵”というわけか」
「冗談じゃありませんわ」
 ミレイユは細い眉をしかめて、とうに冷めてしまったお茶を無意味にかき回した。

「でも、おかしいな」
 ステファンは首を傾げた。
「なぜぼくは簡単にお父さんに会えたんだろう。誰とも言葉を交わせない場所だったんでしょう? でもぼくは普通にお父さんと話せたよ。それに……」
 怒りに任せて父をさんざん叩いた、とは言わず口の中でゴニョゴニョとごまかした。
「どこでオスカーに会ったって?」
「あの、さっき目が覚める前に、夢の中で」
 答えながらステファンは自分の言葉の矛盾に気付いた。そう、“夢の中”だったのだ。実際に父と会話したり、触れたりしたわけではない。
「お父さん。お父さんからぼくはどんな風に見えてたの? 声は聞こえてたよね?」
「ちゃんと聞こえてたよ。姿も見えたし、ポカポカ叩かれた時は痛かった」
「まああっ、お父さんにそんなことをしたの?」
 咎められてステファンは首をすくめたが、ミレイユはそれ以上叱るわけでもなく、気持ちは分かるわ、とつぶやいて頭を撫でてくれた。
「先生、あれって同調魔法みたいなもの?」
「いや。君はエレインの声と同調するうちに意識が深く沈んでしまって、ほとんど死に近い場所に居たんだ。きっとそのためにオスカーの居た“シムルゥの間隙”に入り込んでしまったんだと思うよ。でもそれは、同調魔法とは似て非なるものだ。前に君は、ソロフ師匠の“童心”に会って声や触感まで現実のように感じ取っただろう。今回はおそらくその逆のことが起こったんだと思う。――まあ、勝手な推論だが」
 ふーっとため息をついて、ユーリアンが呆れたように椅子にもたれた。
「なんともはや、君ら親子ときたら、とてつもないな!」
「まあまあ、難しいお話だこと。それよりお茶のお代わりはいかが」
 マーシャが熱いお茶を勧めて回った。
「親子なんてね、そんなものでございますよ。魔法なんて使わなくても、心を通わせようと強く思えばちゃあんと繋がるもんです。そうでございましょ、ミレイユ様」
 突然話をふられて、ミレイユは慌てて咳払いをした。
「そ、そうですわね。前にステファンが手紙で教えてくれましたわ。あたくしが夢で見たのと同じ光景を見たと。そのおかげであたくしは、ウルリク兄さんのことを思い出し……そうだわ、オスカー!」
 厳しい声で呼ばれて、オスカーは姿勢を正した。
「ステファンが教えてくれましたわ、あなたって人はよくもまあ! 無断で人の記憶を消すなんて失礼なこと! そもそもあなたがそんな勝手なことをするから、こんな騒動が起きたんじゃありません? 反省なさってるの?」
「お、お母さん。だってそれは、お母さんのために」
「お黙りなさい、ステファン。だいたいねオスカー、あたくしはそんなに弱い人間ではありません。ウルリク兄さんのことだって、ちゃんと実家に行って話し合って……話し合って……」
 赤い顔でまくし立てていた声が急にしぼみ、ミレイユは膝の上に視線を落とした。
「あたくし“生まれ変わり”なんて信じませんけど。でもどうしても、ステファンを見る度、ウルリクの小さい頃と重ねずにはいられなくて、それが恐くて。けどこの前実家に行って写真を見たら、思っていたほど二人は似ていなかったわ。そうよね、もともと違う人間なのだから。あたくしが勝手に息子と兄のイメージを結び付けてただけだと気付きましたの。だから……」
 おろおろしているステファンの顔をなでて、ミレイユは苦い微笑を浮かべた。
「あたくし、やっと分かりましたの。この子はステファン。ウルリクとは違って、ちゃんと成長して毎年祝福されながら誕生日を迎えられる子なんだって。七月にオーリ先生が迎えにきてくれて良かったわ。でなければ、あたくしは自分の息子の心をを押しつぶしていたかもしれない」
「そう思うなら感謝するべきですよ、オスカーの無謀な行動に」
 オーリの言葉に眉をそびやかして、ミレイユは顔を上げた。
「ええ、感謝ならもうとうに。オスカー、あなたおっしゃったんですってね、“自分の幸せのために生きて欲しい”って。ではあたくし、その言葉通りにさせていただきます。帰ったら、弁護士に会ってくださいますわね?」
「お母さん……」
 一瞬、ステファンの目の前が真っ暗になった。そのまま椅子に深く沈み、強く目をつぶる。
 そうなのだ。両親の離婚裁判という、現実が待っていた。
 父が帰ってきたからといって、全て解決したわけじゃなかった。

 目をつぶったまま、ステファンは震えた。
 もしかして、全部夢だったのだろうか。
 オーリローリという、不思議な魔法使いが自分を迎えに来たことも。
 翼竜に乗って魔法使いの家に迎え入れられ、妖精や、神秘的な森や、アトリエの奇妙な連中に会ったことも。赤毛の心優しい竜人、エレインのことも。まがりなりにも魔法使いとして杖を持ち、そして父と再会できたことも。
 みんな目を開けたら霧のように消え去って、誰かが冷たい声で告げるのだろうか、あれは子どもの見る夢だったんだよ、と。

 バチバチバチッ!
 頭の中に金色の火花が飛び、驚いてステファンは目を開いた。
「目が、覚めたかい?」
 額に指を向けたままで、水色の目が覗き込んでいた。
「ステフ、君の手の中にあるものは何だ? 君はそれが、夢だと思うのか?」
 言われるままに、自分の両手を見る。いつのまにか右手で母の手を、左手で父の手を、しっかりと握っていた。
 おずおずと右を見る。うちの息子に何てことするのだと、ミレイユがオーリに抗議している。
 左を見る。オスカーが、心配そうにステファンの顔をのぞきこんでいる。
 視線をめぐらすと、オーリの肩越しにエレインの顔が、マーシャが、ユーリアンが。そして自分の治療に当たってくれた魔女たちが。
「夢じゃない……」
「そうだ、君の手の中にあるもの、目に見えるもの、すべて現実だ。良くも悪くもね。不満かい?」
 ステファンは顔をしっかりと上げ、オーリの目を見つめ返して答えた。
「いいえ、先生」
 そして両手に力を込めて言った。
「お父さん、お母さん、続きは家に帰ってから、ゆっくり話し合おうよ。その代わり、大人の問題、とか言わないで。ぼくにだって、いっぱい言いたいことがあるんだ!」 

*  *  * 

 田舎とはいえ、十二月のプラットホームは人や荷物がせわしなく行き交ってにぎやかだ。
「どうしても杖は持って帰っちゃだめ?」
 不満そうに口を尖らせて、ステファンがローブの裾を揺らした。
「駄目だ。君はなんといってもまだ見習いなんだからね。杖の練習は、年が明けてから。それまでは魔法使いとしてではなく、ただの子どもとしてしっかり両親に甘えてくること。マーシャにも休暇を取ってもらっているんだから、年内は戻ってくるんじゃないよ、いいね」
 オーリに頭をくしゃくしゃとされながら、ステファンはふと不安を顔に浮かべた。
「もし、“両親”じゃなくなってしまったら?」
「こら、今からそんな弱気でどうする。大丈夫だよ。二人の左手を見てごらん」
 ステファンは振り返り、父と母それぞれの左手に、まだしっかりと指輪が光っているのを見とめた。
「顔を上げるんだ、ステファン・ペリエリ。それに何があろうと、君がオスカーとミレイユの子どもだってことに変わりはないだろ?」
「そうだよね!」
 明るい顔で両親の元へ駆けていく後姿を見ながら、エレインがため息をついた。
「人間ってややこしいのね」
「ややこしいよ。愛想が尽きそう?」
 ふふん、とはにかんだように笑って、エレインは裾の狭まったスカートを気にした。トーニャが贈ってくれたワイン色のペプラムスーツは、すんなりしたエレインの肢体にとても良く似合っている。
「そうだ、一つ疑問が残ってるんだけど。オスカーはなぜ何度も辞書を使う必要があったの? ミレイユの記憶を消すためだけなら、一度で良かったんじゃない?」
 オーリは答えず、昨日オスカーに同じ事を問いただしたことを思い出した。あの時オスカーは言ったのだ。フィスス族が滅んだ原因のひとつは自分にもあるのではないかと。遺跡を発掘しながら偶然竜人の守り里を見つけたことを、同じチームの人間が発表してしまったことをずっと悔いている、と。その後オスカーが何のために、誰の記憶を消そうとして何度も辞書を書き直したのかは、訊かなかったが。
「人間は、ややこしいんだよ」
 それだけ言ってオーリがもう一度ペリエリ家の三人を見ると、目が合った途端ステファンがこちらに駆けて来た。そのまま右手をエレインに、左手をオーリに伸ばしてハグをする。
「エレイン、もし先生とケンカしても、あの家を出ていっちゃダメだよ! それから先生は、エレインをあんまり怒らせないで。今度また前みたいにケンカしたら、ぼくがエレインとケイヤクして守護者になってもらうんだからね!」
 言いたいことを言ってしまうと、照れたようにきびすを返して、ステファンは再び両親の元へ駆け戻っていく。
「しまった、思わぬところに恋敵が潜んでたか。あいつめ……」
「何のこと?」
 きょとんとしているエレインの問いをかき消すように、列車は長い汽笛を残して走り去った。

「あのう……もしかして、エレイン、さん?」
 驚いて振り返る二人に声を掛けたのは、スケッチブックを抱えた画学生風の少女だった。広い額に掛かる前髪を掻き分けながら、金色に近い瞳で見上げる。
「竜人の……エレインさんですよね? それにオーリローリ先生。雑誌に記事を連載していらしたでしょう?」
「よく知ってるね」
 オーリが愛想よく答えると、少女は顔を輝かせた。
「ああやっぱり! あたし、あのお話大好きだったんです。雑誌の記事、全部切り抜いて大切にしてます。あの、お名前書いてもらっても……?」
 少女は遠慮がちにスケッチブックを開いて差し出した。ページの中央に、オーリの描いたペン画が貼り付けてある。
「二人連名でいいかな」
 そう言うとオーリは万年筆を取り出し、エレインの手に握らせると、自分も手を添えて“エレイン&オーリローリ・ガルバイヤン”とサインをした。
「わあ、ありがとうございます!」 
 感激した面持ちの少女は、周囲を気遣いながら小声で告げた。
「じつは、あたしの母も、エレインさんと同じような身の上だったんです。誰にも内緒だけど」
「あなたのお母さんは?」
「二年前に亡くなりました。でも亡くなる前、悔いの無い一生だった、って父に言ってたんですって。父とは駆け落ちだったんですよ。これも内緒だけど」
 少女はそれだけ言うと一礼し、スケッチブックを大切そうに抱えたまま走り去った。

「オーリ、見た? あの娘の目!」
「ああ。竜人の目をしていたな」
 次の列車に乗る人の列に紛れて、少女の姿はもう見えなくなっていた。それでもエレインはなおも、少女の去った方向を見ながらつぶやいた。
「あたし、竜人の血を残せるのかも知れない……」

 やがて列車が走り去ると、駅は再び田舎の静けさを取り戻した。
 オーリはひとつ咳払いをし、改まった顔でエレインに向き直った。
「ところでエレイン、今日が新月の日だって覚えてるかな」
「覚えてるもなにも、あたしが一番分かってることだもの。どうしたの?」
「久しぶりに王者の樹に会いにいってみないか、二人で」
「今から? なぜ」
「だから、今日は新月だから、その……」
 オーリはやや顔を赤くしながら言いよどんだが、エレインの手を取るときっぱりと言った。
「君が故郷で迎えられなかった“新月の祝”を、あの神聖な樹の下でやり直したいんだ」
「あら、“新月の祝”というのは何十人もの候補の中から一人の伴侶を選ぶものよ。あたしには選択の余地がないってわけ?」
「ない! ない! 君に選ばれるのは、このオーリローリ一人で充分だ。不満か?」
「ふーん?」
 エレインはからかうような目つきで、赤くなって必死な表情をしているオーリを見上げた。
 “選択”ならとうにしている。二年前、故郷と共に滅ぶよりも、この風変わりな魔法使いと共に生きることを選んだあの日に。それがこの男には分からないのだろうか?
「いやその、約束だけでもいいから……そりゃ、僕は竜人の男に比べたら頼りないかも知れないけど」
 次第に弱気になっていくオーリの声に吹き出しそうになりながら、エレインは大胆に腕を組んだ。
「ま、いいでしょ」

 柔らかな冬の陽射しが斜めに傾く中で、どう、と風が吹き過ぎる。
 風の中に一筋、紅色と銀色の光が走り、笑い声と共に過ぎていったのに気付いた人はいただろうか。

 静かな森の中で、常緑の王者の樹は、一層輝きを増した。

(了)


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読んでいただいてありがとうございます。応援していただけると励みになります。

 「20世紀ウィザード異聞」無事に完結しました。
NEWVELLIBRARYにほぼ同じ内容を投稿していますので総文字数を見ると、
 「174233文字」 原稿用紙だと、435枚以上ってか……
昨年秋にブログで連載を始めた頃には、こんなに長く書く予定じゃなかったんですが。
一気読みするのはちと大変です。
よろしかったらHPのほうで少しずつ載せていますので、そちらでもどうぞ。

書き終わってみて悔いがないかといえば

そんなはずあるわけないっ!
あーんなとこやこーんなとこ、今すぐにでも書き直したいっ!

という、いつものビョーキが出そう。
文章の稚拙さは言うまでもなく、言葉の選び方間違ってるんとちゃう?とかー、
くどい! 話をもっと整理せい! とかー、
逆に、これじゃなんのこっちゃらわからん、説明不足やろーとか。
まあツッコミの嵐が自分の中に吹き荒れておるわけで。
特にエピローグは早く終わらせようという魂胆がみえみえで、
オスカーが帰ってくるために必要な「条件」とやら、あっさり種明かししすぎたかなと。
どうせならもっと前に「条件」を謎かけとして提示しておいて、
その謎解き話で進めれば面白かったんではないかと。
ま、今は書き直す時間もなし、HPに載せる段階でまた手を入れることになるでしょう。

いずれにせよ、「松果」の長編処女作としてはなんとか形になったので、ホッと胸をなでおろしているところです。(短編童話のほうが先に書きあがったんだけど)

一年近く続いた連載に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
皆さんの有形無形の励ましが大きな力となりました。
しばらく日数を置いて、また番外編など書きたいと思いますので、
その時はまた楽しんでいただけたらと思います。

  松果

アルファポリス「ファンタジー小説大賞」に登録しているHP版ですが、
お陰さまで多くの方に読んでいただきながら完結しました。
現在ランキング2ページ目の下の方に居ますが、順位うんぬんよりも
この「20世紀ウィザード異聞」が今までになく大勢の方に読まれているな~ということが、素直に嬉しいのです。まるでわが子の運動会を観てるみたい(親バカ)

応援のクリックをしてくださった方に御礼申し上げます。
投票は九月いっぱいまでですので、まだポチってやるよ!という方がいたら嬉しいなあ。
詳しい投票ルールはこちら

番外編「竜王の愛娘」も最終話更新。これで完結です。

結局最後はオーリの変人ぶりを書いたオバカ話で終わりましたが、
お楽しみいただけたでしょうか。

さて、しばらくブログ小説はお休みしますので、今後は「木陰でお茶を」のほうでたまーにぶつくさ雑談していきます。まだ続編や番外編を書きたい思いはあるんですが。いつになるかは不明です。
「オーリローリ」のほうはあと数話でステファン十歳編を終わらせようと目論んでます。
なにせ私生活が忙しくなりましたので、カメ更新です。
気長にお付き合いくださいませ。

では最終話へGO!

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趣味で始めたはずの小説にはまってしまった物書き初心者。ちょいレトロなものが好き。ラノベほど軽くはなく、けれど小学生も楽しめる文章を、と心がけています。
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