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1950年代の欧州風架空世界を舞台にしたファンタジー小説です。 ちょいレトロ風味の魔法譚。
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 小さな駅で降りると、乗り継ぎの列車を待つ人が数人いるばかり。
 荷物のカートを押す少年が、最後尾の貨物車に向かっている。
 煤けたレンガの壁と白い窓枠が可愛らしい駅舎では、大荷物をひっくり返した客が出口を塞いで駅員ともめていた。改札もない駅だし帰りを急ぐこともない。三人はじゃれあうように騒ぎながらのんびり待っていた。
 その時だった。
「おいっ、竜人! 何をしている」
 突然野太い声が背後から聞こえ、三人は凍りついた。
 オーリはエレインを背でかばうように立って振り向いた。上着に手を掛け、いつでも懐から杖を取り出せるようにしている。
「お前が乗るのは貨物車だ、なぜ客車に乗ろうとする!」
 声の主が怒鳴りつけているのは、さっき荷物を運んでいた黒髪の少年だった。
 鼻から頭頂部にかけての骨格が平べったく、爬虫類を思わせる顔立ちだ。エレインとは違う種族のようだが、ひと目で人間でないことはわかった。
「僕は、荷物ではありませんから」
 まだ十四、五であろう少年は、言葉少なく、しかしはっきりと答えた。
 随分痩せている。上着越しでもわかる骨ばった肩が痛々しい。
 くたびれた従僕の服は短く、袖から出た腕には幾すじもの傷跡が見える。
「ほう、荷物でないなら家畜か。丁度いい、鶏のカゴが積み込まれているそうだぞ。その隙間に乗るがいい」
 傲慢な口調で見下ろす男は、口ひげを歪めて笑った。でっぷりと太った腹の上で、チョッキの金鎖が揺れる。少年は澄んだ金色の目を向けて冷ややかに返した。
「旦那様の犬は、客車でよろしいのですか?」
 男の手に提げたバスケットが揺れた。ふわふわの白い毛と共に鼻を鳴らすような声が聞こえている。
「おお、エメリット、よしよし……当たり前だ、犬は家族だが竜人は家畜扱いと昔から決まっておろう。さっさと貨車に乗れ、汽車が出ちまうだろうが!」
 エレインが靴の片方を脱いで手に持った。何をしようとしているのか察したステファンは、慌てて腕を押さえた。
「こらえろ、エレイン」
 ほとんど口を開けずオーリが低い声で言った。
「何をこらえろって?」
 エレインはオーリを押しのけようとして、何かに阻まれたように動きを止めた。
 背中を向けたままのオーリから青い火花が散っている。目に見えない壁がエレインを取り囲んでいるのがステファンにも感じとれた。
「あの男は魔法使いだ。竜人の存在を公然と口に出しているところを見ると、役人か軍関係の奴だな……恥知らずめ」
 髭の男を睨むオーリの奥歯がギリッと鳴った。
 
「僕は竜人です。荷物でも、家畜でもありません」
 少年の毅然とした声が駅舎に響いた。が、次の瞬間、少年は壁に叩きつけられた。
「つまり、それ以下ということだ!」
 男は黒い杖を少年向けて吼えた。
「おぞましい竜人め、 誰に生かされていると思っている! 誰が魔力を与えているんだ、ええ? お前らは竜ですらない化け物だろうが。仲間と共に剥製にされるところを拾ってやった恩を忘れたか!」
 エレインが声にならない叫びをあげた。顔がみるみる蒼白になる。
 頭を振って立ち上がろうとした少年は、何かに引っ張られたかのようにバランスを崩した。
 その時になって初めてステファンは、少年の足が鎖を引きずっているのに気が付いた。おそらくは普通の人には見えない、魔力で作られた鎖だ。
 背筋が寒くなった。周りで見ている人間は誰一人、少年を助けるどころか同情の目すら向けていない。
「竜人だってさ」
「おお、汚らわしい。さっさと管理区に行けばいいのに」
 周りからさざ波のように声が聞こえる。エレインをこの場に居させてはいけない、そう思ったステファンは腕を引っ張った。
「わかったら、さっさと貨車に乗れ。生きる道も死ぬ道も、お前には選べん。契約に縛られている限りはな」
 髭をひねり、薄笑いを浮かべた男を金色の瞳が睨んだ。少年の口元が動こうとする。
「――いけない!」
 オーリがつぶやいた刹那、駅舎の天井に眩い光が走った。と共に髭男のすぐ脇で電燈が割れ、電線が一部切れて火花を散らしながら蛇のようにのたくった。
「お客さん、困りますよ! こんなところで魔法を使うなんて」
 駅員らしき人が飛び出してきた。
「な、なにを、ヒイッ、ちがう、わしは、アチッ」
 だがその手に杖が握られているのを見て、誰もが非難がましい声を浴びせた。髭男は電線の蛇から逃がれようとぶざまに飛び跳ねている。

 いつの間にか出口を塞いでいた荷物がどかされ、ポカンとした客が事の成り行きを見ていた。
「行こう」
 オーリは上着に杖をしまい、蒼白なエレインの肩を抱いて駅舎を出た。

 
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 駅を出てしばらく歩いた後、突然エレインはオーリの腕を振り払った。
「なんで黙って見てたの、なんであたしに殴らせなかったの! あんな男、首をへし折ってやればよかったんだ!」 
 両手のこぶしを握り締め、緑色の炎を宿した目を光らせている。
「ああ、いいね。奴のだぶついた首をへし折ったら、さぞいい音がするだろ」 
 オーリは憮然としたままで答えた。
「そして? 君は捕らえられて処分されるのか? それとも管理区行きか?」
「知らないよ、そんなこと!」 
 風がエレインの帽子をさらっていった。白い花飾りがちぎれ、砂ぼこりにまみれる。
「あの子を見たでしょう? 禁じられた呪詛の言葉を言おうとしていた。 まだ子供なのに! 相手を呪うことで、自分も命を落とす罰を受けるのに! どんな思いでそうしたかわかる?」 
 呪詛。そうだ、あの時少年の口元が動いていたのはそのためか。ステファンは思い出してぞっとした。
「わかるさ。だからわたしが止めた。駅という公共の場所で魔法を使った、そういう意味じゃ、あの男と同罪になったけどね」
「嘘だ、人間にはわからない。奪う側の奴になんか、わかるわけない!」 
 言い捨ててエレインは早足で歩き出した。オーリが後を追う。
「エレイン、どこへ行く? 家はそっちじゃないだろう」
「誰の家よ?」
 肩を捉えた手が払いのけられる。
「竜人の居場所なんてもうどこにも無い。契約という鎖に縛られて、魔力を与えられなければ生きていけない化け物、ええそうよ!」 
 赤毛を跳ね上げたエレインは、手袋に気付くと、忌々しげにむしりとって地面に叩きつけた。
「こんなもの!」 
 オーリは眉をひそめると、走り出したエレインに杖を向けた。光の輪に捕らえられ、エレインはびくっと立ち止まった。 
「頭を冷やすんだ、守護者どの。君はさっきの少年の怒りに影響されてる」 
 オーリは大きな歩幅で追いついた。それを肩越しに振り返る緑の目に、怒りに満ちた光が揺れる。
「エレイン、一緒に帰ろうよ。風が冷たくなってきたよ、雨がふるかもしんない」 
 走って追いついたステファンは、懇願するようにエレインの手を引っ張った。 
 けれどエレインが怒りを収める様子は無い。緑色の目をますます大きく開いて、オーリを睨み据えた。
「そう。こうやって、竜人を狩ったんだ」 
 凍りつくような声だった。オーリが顔色を変えた。
「こうやって動きを封じて! 神聖な新月を狙って攻め込んだんだ、人間は!」 
「それは……」
「あたしは知っている。魔法使いは竜人狩りの尖兵だったんだ!」

 幾筋もの閃光が、雲の上で走った。
 いつの間にか雷雲が空に満ちている。
 竜人狩り? 尖兵? エレインの言っている意味がわからずステファンはオーリに問うように目を向けた。
 青ざめた顔のまま、オーリは乾いた声で答えた。
「そうだ。その通りだ」
 
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 鈍(にび)色の雲が低く垂れ込める下で、昼間とも思えないほど辺りは暗くなってきた。三人の立つ道には人通りもなく、道の脇には丈の長い草に覆われた岩が、あちこちで墓標のように白く顔を覗かせている。
 
 ステファンは震えた。オーリはエレインと目を合わせず、苦い表情をしている。
「先生、どういうこと?」
「――ステフ、エレインを見るまで、君は“竜人”というと半人半獣のような姿を想像してはいなかったか?」
 ステファンは顔を伏せた。じつは、そうだ。だって絵本やおとぎ話に出てくる竜人は、たいてい恐ろしい人喰いの怪物として描かれているのだから。
「あれは、故意に作られたイメージだ」
 オーリは言葉を続けた。
「ドラゴンにしてもそうだ。彼らを悪の象徴として描き、彼らを倒した者を英雄とする、そんな伝説が多いのはなぜだと思う? 人間が、自分達の侵略の歴史を正当化するためだ。
 竜人の力は偉大だ。魔法使いは、昔から契約によって彼らの力を借りてきた。お互いの尊敬の上に成り立つ契約のはずだった。けれど最初の大戦後、疲弊したこの国は、豊かな竜人の土地に目を付け、彼らの故郷を奪う大義名分として、“竜人は人を喰らう”というデマを流したんだ。伝説で刷り込まれてきたイメージを利用したんだろうな。
 大勢の魔法使いが臆面もなく“竜人退治”と称して、剣と槍しか持たない彼らを襲い始めた。それまで迫害される側だったのが、まるでうっ憤を晴らす手立てを見つけて小躍りするようにね。
 誇りを守って抵抗した種族は滅ぼされ、生き残った竜人も――さっきの少年を見たろう、ああいう酷い扱いを受けている」
「でも先生は違う! トーニャさんも、ユーリアンさんも。魔法使いがみんな酷いことをしたわけじゃないでしょう?」
「もちろんソロフ門下の魔法使いはこぞって竜人狩りに反対したさ。でも、竜人から見れば魔法使いなんて皆同罪だろうな……」
 そこまで言ってオーリはハッと顔を上げた。
「ステフ、離れろ!」
 オーリの視線を追ったステファンはぞっとして後ずさった。
 エレインの赤い髪がざわざわと逆立っている。風が悲鳴のような音を立ててエレインにまとわり付く。吹く風はしだいに小さな竜巻の形になり、エレインと同化する。目に見えぬ何かの意思が、エレインの中で撚り合わさっていく姿にも見えた。
「驕れる者たちよ……その尖兵たる魔の使いよ」 
 緑色の目が異様に光っている。口の端から出ているのは、彼女の声ではない。何人もが同時に発声しているかのように不気味な倍音を含んでいる。
「ばかな。契約の時にあの力は封印したはずだ」
 オーリは再び杖を向けようとしたが、赤い影が襲い掛かるほうが速かった。
 ステファンはオーリの体当たりを食らう形になり、そのまま地面に突き飛ばされた。
「愚かなり――人間よ! 汝が罪を恥じよ!」 
 振り向いたステファンの目にしたものは、長く鋭く伸びる竜人の爪だった。
 オーリの身代わりのように、人の形を留めた上着が切り裂かれた。その間に身を翻し、オーリは相手の後ろに回り込んだものの、瞬時に喉を掴まれて顔を歪めた。
「だめ! エレイン、だめ!」
 夢中で起き上がり、ステファンは青い紋様の手をオーリから引き剥がそうとした。が、もとより竜人の力にかなうはずもない。
「先生は竜人の味方だよ! 目を覚まして、エレイン!」
 けれどそこに居るのは、ステファンの知っている気さくな竜人ではない。ただ目の前の魔法使いに憎しみの全てを向けた、見知らぬ生きものの姿だ。
「同胞(はらから)を返せ! 我らが誇りをかえせ!」 
 恐ろしい声だった。噛み付くように叫んだ竜人は、そのまま魔法使いの喉を引き裂くかに思えた。必死にしがみつくステファンの目の端に、オーリが杖を向けようとするのが見える。
 ステファンは祈るように暗い空を仰いだ。雲と雲との間に稲妻が行き交っている。分厚い雲の向こうに何か大きな存在を感じる。何かとてつもなく大きなその存在は、下界の全てを冷ややかに見通しているようだ。ステファンは夢中で叫んだ。
「お願いだ! これ以上争わせないで!」 
 
 突然、空が裂けた。
 強烈な閃光の中、ステファンの目に巨大な緋色の竜の姿が映った。
 翼を持つドラゴンではない。稲妻が化身して命を宿したかのようなそれは、雲の中で身を躍らせ、はるかな高みから地上に光のつぶてを投げつけた。
 
 地響きと轟音。と共に、道の脇に点在する岩が次々に発光して砕けていった。
 エレインは何かを叫び、赤い巻き毛を揺らして膝を折った。 力を失った緑色の瞳が宙を見たまま、空っぽの表情になる。
 苦しげに咳き込みながらオーリもまた、エレインを抱えて力なく座り込んだ。 
「先生!」
 駆け寄ったステファンに、大丈夫だ、というようにオーリは手を挙げた。
「エレインは? 感電したんじゃ?」
「違う。トランス状態から脱出したんだ」
 オーリはエレインの顔を確かめるように上向けた。
 緑の瞳が空っぽの表情のまま、空を見ている。
 母さま、とその口元が動いたように見えた。
 
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「母さまって、さっきの竜のこと?」
「竜? 竜を見たのか?」
「だって! さっきカミナリを落としたじゃないか。翼が無くて、エレインの髪みたいに赤くて。あんなに大きな竜を見なかったの?」
 ステファンは驚いた。アガーシャの光がそうだったように、自分に見えてオーリに見えないものもあるのだろうか。
 オーリは重い雲の波打つ空を見上げた。
「雷を操る、翼の無い竜? まるでフィスス族が“始母”と呼んでいる竜のようだ。まさか、本当に居たのか? 伝説に過ぎないと思っていたのに……」

「先生、あの岩」
 ステファンはさっきの落雷で砕けた岩に目を留めた。何かとてもいやなものを感じる。恐る恐る近寄ったステファンは、砕けた岩の断面を見て悲鳴をあげた。 
 何かを叫ぶような人の顔。顔。顔。無念を訴えるかのように伸ばした手、また手。いくつもいくつも折重なって、それらはレリーフのように岩から浮き出ている。
「見るんじゃない、ステフ」 
 ステファンは逃げるようにオーリの元に駆け戻った。
「先生、あれって……」
「ああ、竜人の顔立ちだったな。ここからも透視できた。――なんてことを!」 
 オーリは悔しそうに唇を噛んで辺りを見回した。
「ほんの数十年前まで、この村は花崗岩を切り出して港まで運ぶ中継地だった。多くの竜人が苦役に使われ、反乱を起こした者もいたと聞いている。彼らがどうなったかずっと不明だったんだが、まさかこの場で岩に封じられていたとは……」 
「じゃ、さっきのカミナリは、それを教えてくれたの?」
 ステファンの目には、理不尽な扱いに抵抗した末に、岩に変えられ、封じ込められた竜人たちの無念が、ひりひりと感じ取れる。耐え難くなってオーリの肩に顔を伏せた。
「あんなのひどいよ! あれも、魔法使いが?」
「そうだ。魔法使いは、時に残忍にも、卑怯にもなる。それは事実だ。そしてその酷い歴史の延長上に今があるのも、変えられない事実なんだ」
 ステファンは震えが止まらなくなった。
「エレインは、あの人たちに代わって怒ったんだね」
「そうかもしれない……いや、むしろ強い怒りが引き金になって、岩の中の竜人たちと感応してしまったんだろう。エレインは本来、強い感応力を持つ“語り部”だったから。けどあの力は憑依魔法に近いんだ。繰り返し多くの竜人の言葉を受け止めて語っていると、心が壊れてしまう。それを恐れたからこそ、契約の時に力を封印したのに」 
 オーリはエレインの髪を掻き分けて左耳の後ろを確かめた。黒い小さな輝石の破片がぽろぽろと手に落ちてくる。
「封印の石が砕けている」
 信じられない物を見る面持ちで、オーリはエレインに問いかけた。
「なぜだ?」
 エレインは答えない。ただただ、光を映さない空虚な目を空に向けるばかりだ。
 オーリは草の中の砕けた花崗岩を見渡した。墓標のようにばらばらに点在しているように見えるそれらは、地面の下ではひと続きにつながっている。竜人の心もあるいは……
 足元で杖の転がる音がした。 
「封印だって? 仲間の苦しみを共有しようとする力を、封じるだって? なんて思い上がっていたんだ」 
 オーリは詫びるようにエレインを抱きしめた。その肩にポツ、ポツ、と雨が落ち始める。
「ごめん、エレイン……僕は竜人の痛みが、何もわかってなかった。人間は傲慢だ。魔法使いはそれ以上に傲慢だ!」 
 オーリのシャツの襟やタイには、さっき受けた傷の血が滲んでいる。けれどそんなことには構わず、彼はエレインを抱きしめたままで、何度も何度も竜人に詫びる言葉を口にした。
 
 緑の瞳に生気が戻り始めた。オーリの言葉が届いたように、やがて穏やかな顔になったエレインは、
「もう、眠っていい?」 
 と子供の声で聞いた。
 目隠しするように手でその顔を覆って、オーリは静かに答えた。
「ああ、眠っていい。エレインはもう、何も負わなくていい」 
 オーリの腕の中で、安心したような寝息が聞こえ始める。
 何も負わなくていい――そう言うオーリの横顔に、ステファンは何かの強い決意を感じ取った。
 
 雨はどろどろと鳴る雷を引き連れ、本格的に降り始めている。ステファンは寒さとさっきのショックで震えながら、それでも自分の上着を取ると雨の雫を払ってエレインの背に掛けようとした。 オーリは首を振って、着ていなさい、と言ったがステファンは聞かなかった。
「ぼく、何もしてあげられないんだ。エレインにも、竜人たちにも。ぼく、謝りたいんだ」 
「なぜ? 君が謝ることなんてない。竜人の歴史なんて、何も知らなかったんだろう?」
「そうだよ、知らなかった。あんなにいっぱい本を読んだのに、竜人のことは知ろうともしなかった。だから……」
 オーリはうなずき、顔を上げた。口元を無理に曲げている。目は悲しみでいっぱいのくせに、こんな時にまで笑顔を作ろうというのか。
 なぜ笑ったりできる? 今くらい、竜人たちのために号泣したっていいじゃないか、そう思うとステファンは余計に悲しくなって、雨でぐしゃぐしゃの顔になりながら、また声をあげて泣いてしまった。
「ステフ、泣き虫め。つくづく君がうらやましいよ」 
 オーリの顔には、雨で銀髪が張り付いている。
 やがてエレインをしっかりと抱きかかえたまま、オーリは立ち上がった。 ステファンはしゃくりあげながらオーリの広い背中を見上げる。 
 うらやましい? ではオーリは泣かないのではなく、泣けないのだろうか。大人は、そんな不自由な中で生きていかねばならないのだろうか。  
 
 容赦なく冷たい雨は降り続いている。その雨に顔を打たせて、水色の目が天を仰いだ。
「竜よ、竜人の母よ。そこに居るのか? あの岩の中の魂は、貴女の元に還れたのか?」 
 雷鳴は次第に遠ざかりつつある。 短い夏はもう終わろうとしていた。  
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いつも楽しいコメントをくれるブログ友達のらんららさんが、オーリたちのイラストを描いて下さいました。
感激! 感激! イメージぴったりなんだもの。

らんららさんは多才な方なんです。素敵なイラスト、ブログ小説、ケータイ小説など、見に行くのがいつも楽しみ♪
中でも世界観のしっかりしたファンタジー小説は絶対おすすめですよ。

らんららさんのブログ →「聞いて聞いて、聞いて


第七章1話で、三人が列車に乗ってるシーンです。車窓の風景とあいまってホントに綺麗。それぞれの画像をクリックしてみてね♪

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そしてエレインのアップ♪ 可愛くて元気な彼女には思い入れがあります

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 オーリとステフ
      ↓
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 もお~こんなに男前に描いてもらって、オーリの幸せ者!
 毎日にへら~として眺めることにします♪
 らんららさん、ありがとぉ~!



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 九月になると、急ぎ足で秋はやってくる。
 
 駅での一件以来、寒々とした日々が続いていた。
 エレインは一度砕けた封印石を、自分から望んで再び耳に着けた。日に何度か森を巡り、「守護者」としての務めを果たしているのは、これまでと変わらない。少なくとも、表面上は。けれど以前のように屈託の無い笑顔は見せなくなくなったし、なんとなくオーリと距離を置くようになり、アトリエにすらほとんど近づかない。
 マーシャが言うには、彼女はこの家に来てから初めて、まともに自分の部屋を使うようになったという――皮肉なことではあるが。
 オーリはといえば、妙に無口になってしまった。空っぽの天井の梁の下で、毎日カンバスに向かって何かと格闘するように描きなぐっては消し、また描いては削り、結局何も形にならないまま筆を置く、という毎日を繰り返している。
 
 ステファンはオーリにもらった本を何度となく読み返した。
 前にマーシャが言っていた、竜人の話を描いた絵物語だ。装飾的な描き方をされてはいるが、鮮やかな赤毛の竜人はエレインの一族、フィスス族をモデルにしているのだろう。美しい本なのに、出来上がる直前になぜか出版差し止めにされてしまったので、手元にあるのは試し刷りのこの一冊だけだそうだ。オーリが言うには、人間を侵略者として描いている内容がまずかったらしい。
 作・絵 オーリローリ・ガルバイヤンと書かれている奥付を見ると、1951年とある。オスカーがいなくなった翌年だ。
 ふと思った。オスカーは、エレインたち竜人と会った事があるのだろうか。

「坊ちゃん、ステファン坊ちゃん」
 一階から響く声にステファンは我に返り、慌てて立ち上がった。
 ぐずぐずしているとマーシャは着替えの手伝いを、なんて言い出すにきまっている。小さい子ではあるまいし、それは勘弁してもらいたい。
 けれど、今日着なければならない服は、前立てがフリルだらけのシャツだの、カフスだの、どうしたら良いかわからないものばかりだ。、結局ほとんどマーシャの手を借りるはめになってしまった。
「ほら坊ちゃん、カマーバンドが逆ですよ。このヒダが上に向くようにしなきゃ。そらそら、蝶タイはこんな結び方じゃおかしいでしょうに」
「だってぼく、パーティなんて出たことないし。なんでこんなややこしい服着なきゃいけないの?」
「そういう決まりごとだらけなのが世の中なんです。――はい、ようございますよ」
 マーシャにポンと背中を叩かれて、ステファンは鏡の前に立った。
「嫌だなあ、ペンギンみたい。ぜんぜん似合ってない。それに、こんな風に前髪を分けたらオデコが広いのが目立っちゃうよ」
「いいえ、よくお似合いです。さあ、そろそろ急がないと」
 
 マーシャに急きたてられて居間に下りて行くと、先にタキシードに着替えたオーリが、暖炉の傍でユーリアンと共にいた。
 まだ九月とはいえ、夕方になると急に冷え込んでくる。暖炉に入れられた小さな火がオーリの横顔を淡く照らし出すと、心なしか顎骨の陰影が濃くなり、いつもより大人びて見える。額を出して長い銀髪を全て後ろに撫でつけ、一つに結んだ姿は、まるで知らない紳士がそこに居るようだ。
 ユーリアンはまだ平服のままだ。膝の上ではアーニャが、不思議そうな顔をしていつもと違うオーリを見ている。
「よっ、ステフ。似合うじゃないか」
 ユーリアンに気さくに声を掛けられて、ステファンは照れくさそうに笑った。
「本当にまあ助かりましたよ、ユーリアン様のお洋服を貸していただいて。お仕立てがしっかりしていますから、魔法で縮めてもおかしくなりませんわねえ」
「もともとユーリアンは肩幅が貧弱だからな。ステフのサイズに合わせるのは楽だったよ」
 軽口を叩くオーリは、いつもの顔になっている。
「それより、本当に子守をお願いしてもいいんですか?」
 ユーリアンはマーシャの手に娘を預けながら気遣わしげに聞いた。
「ええ、ええ、喜んで。このマーシャ、小さい魔女さんの相手なら心得ておりますから」
「それは保障する。トーニャも小さい頃はマーシャの言う事だけは聞いてたよな」
 声を立てて笑い合う二人の魔法使いに、ステファンは心底ホッとした。こんなオーリを見るのは久しぶりだ。
 あと、エレインの笑顔さえここにあれば。
「でもオーリ様、靴はそれでよろしいんですか?」
「別にいいよ、これだってエナメルだし。オペラパンプスなんて履いて気取るような集まりじゃない」
 オーリは長い足を組み替えて靴紐を結び直した。
「お前らしいな。さて、じゃそろそろ僕も着替えに帰るとするか。楽しみにしてろオーリ、ソロフ門下一の伊達男はお前じゃないって事を証明してやるから」
 いたずらっぽい笑みを浮かべてユーリアンはローブを翻し、うすい煙を残して消えた。
「パパ、いってらちゃーい」
 アーニャは慣れているのか、目の前で父親の姿が消えても驚きもせずに小さな手を振る。
 
「ふうん、面白い仮装ね、魔法使いさん」
 ステファンは驚いて振り向いた。いつの間に来たのか、エレインが壁にもたれて皮肉っぽい視線を向けている。
「あ、あのね、本当はエレインが行くべきなんだよ。どうしてダメなの?」
「ははっ、何言ってるの。魔法使いや魔女が集まる場に、守護者なんて要らないわよ。それにアーニャだってあたしと遊ぶのを楽しみにしてるでしょ」
 それは嘘だ、とステファンは思った。アーニャはさっきからアクビを繰り返している。もうすぐ小さい子どもは寝てしまう時間だ。
「行きたくないというんだから、無理にとは言わないさ。ただ、マーシャには悪い事をしたな。折角ドレスを見立ててくれたのに、無駄になってしまった」
 それも嘘だ。エレインのドレスを注文したのは他ならぬオーリ本人だ。本当は今だって一緒に行きたいと思っているに違いないのだ。 
「ドレスは大切にしまっておきますよ。いつか着ていただけますよね、エレイン様?」
 マーシャが気遣うように話しかけてもエレインは答えず、眠そうなアーニャの手を引いた。

 オーリは立ち上がり、杖を振って床の敷物を壁際に寄せた。丸い大きな紋様が床に浮かび上がる。
「大叔父の家まで直接つながる遂道を開く。少し時間がかかるぞ、古いからね」
 床に白く輝く紋様は、話に聞く魔法陣というものかもしれない。オーリはじっとそれを見ていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「ステフ、マーシャ、悪いがちょっと外してくれるかな。遂道が開くまでの間、エレインと二人で話したい」
 マーシャはうなずき、有無を言わさずエレインの手からアーニャを引き取って部屋を出た。

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 キッチンに移りながら、ステファンは気が気でならなかった。この間からのエレインの態度に、オーリは怒っているに違いない。またケンカになりはしないだろうか。
「大丈夫ですよ、坊ちゃん。お二人はきっと大丈夫です。オーリ様を信じましょう、ね」
 不安顔のステファンをよそに、マーシャは落ち着いた顔でアーニャをあやしながら二階へ連れて行った。
 なぜマーシャは心配せずにいられる? 時折居間から聞こえてくるのは、何かを辛抱強く語り聞かせるオーリの低い声と、妙にとんがったエレインの声だ。話の内容まではわからないが、あまり和やかな話し合いだとは思えない。
 
 数分後、居間のドアが乱暴に開いて、エレインが憮然とした顔で出てきた。その腕をオーリが掴んで叫ぶように言う。
「だけど、これだけは言っておく。他の奴がなんと言おうが、僕は竜人の立場を下に見たことはない、ただの一度もない!」
 いつになく恐いオーリの表情に、エレインが一瞬ひるんだように見えた。が、すぐに腕を振り払って言い返した。
「わかってる! オーリは他の魔法使いとはちがう。でも、だからって何も状況は変わらないよ。あたしはやっぱり“野蛮な竜人”なんだ。いつかまたオーリを傷つけるかも知れないじゃない! それに森から一歩でも出たら、竜人の証を隠して生きていかなくちゃならないのよ。 魔法使いと竜人が対等なんて、嘘だ。もういいよ、一生“守護者”で。それ以上望まないでよ!」
 廊下で固まっているステファンには一瞥もくれず、エレインは庭の木立を揺らして消えていった。
 ひとり居間に残ったオーリは、まるで“この世の終わり”みたいな顔でじっと目を閉じていた。そして心配したステファンが声をかけようとした時にやっと目を開き、
「行こう。遂道が開いたようだ」
 と出発を促したのだった。

 「遂道」とはよく言ったものだ。
居間の床に現れた紋様はそのまま光の円柱となり、その中に立つと、円柱はゆるやかにカーブを描いてトンネルの形になった。
 上昇しているのか、下降しているのか、 前へ進んでいるのか、それとも? 自分の足元すらあやふやなまま、ステファンはオーリの袖口に摑まって輝く遂道の中を歩いた。
「ああ、まだるっこしいな。二人くらいなら“飛ぶ”ほうが早いのに」
 苛々した口調でつぶやくオーリの横顔は、光の加減だろうか、青白く見える。
 こんな時、なんと声をかければ良いのだろう? ステファンは黙々と歩くオーリを見上げた。
“パーティに誘って断られたからって、そんなに落ち込まないで”とか?
“しょうがないなあエレインは。でもまた仲直りの機会はあるよ”とか?
 だめだ。どれも、子どものステファンが言ったところで空々しいばかりだ。いっそユーリアンがここに居てくれたら、ちょっとは気の利いたジョークで和ませてくれたかもしれないのに。
 彫像のようなオーリの横顔を見上げながら、わざと明るい声で訊ねてみる。
「大叔父様ってどんな人? 北方の人って、先生みたいな顔してるのかな」
 水色の目がやっとこちらを向いた。
「いや、わたしは一族の中でも変わり者だよ。父が東洋人だからね。目の色は母方の遺伝のようだけど」
「そうなんだ。じゃ、髪の色は?」
「これは子供の頃大病して、色抜けしてしまったんだ。もともとはトーニャみたいな黒髪だった」
 オーリは遂道の光に反射する銀髪に手をやりながら、少し表情を和ませた。
「アトリエに写真が飾ってってあったろ? あれが唯一の家族写真だ。病気から回復した直後だったから、情けない顔で写ってるけど……五歳かそこらだったな」
 ステファンはアトリエの壁に大切そうに飾られた古い写真を思い出した。なるほど、東洋人らしい男が写っていたっけ。では黒髪の大柄な魔女がオーリの母、白っぽい髪の男の子がオーリということか。
「じゃ、あの赤ちゃんは先生の弟か妹だね?」
「赤ちゃん? ああ、アガーシャのことか。見た目はあれだけど、赤ちゃんじゃないよ。彼女はガルバイヤン家に昔から棲んでた魔女だ。あの姿のまま二百六十年生きた」
「に、二百六十年ーっ? じゃ、じゃあインク壷に棲んでるやつって……」
「勘違いしないでくれ。インク壷のやつは、わたしが勝手に名づけたんだ。魔女のアガーシャとは全く別の存在だよ」
 遂道の中は音が反響しないようだ。その分、声の表情がストレートに伝わってくる。子供の頃の思い出話で少しは元気になったのか、オーリは淡々と言葉を継いだ。
「大叔父は祖父の弟だ。祖父が亡くなってから、移民一世の中では最長老になってしまったな――いや、ソロフ師匠のほうがひとつ上だったか」
「先生の先生だね? どんな人?」
「偉大な魔法使いだよ」
 オーリは光に満ちた遂道の天井を見上げた。
「母国の動乱とか、この国の戦争とか、酷い時代を生き抜いてきた、鋼のような人だ。わたしなんか、何百年生きたってあの師匠の足元にも及ばないだろうな。八歳の時から預けられて、ユーリアンや兄弟子たちと過ごした十年間は忘れられない。魔法以上のことをたくさん教わったからね。あの師匠の元からどれだけの魔法使いが巣立っていったか。わたしはその裾野の、ほんの一端に居るに過ぎないけど、ソロフ門下だということを最大の誇りにしているよ」
 ソロフのことを語るうちに、次第にオーリの目にいつもの力強さが戻ってきた。
「ぼくも会いたい、その先生に。会えるかな」
「もちろんだ。ステフはわたしの弟子だから、ソロフ師匠の孫弟子ってことになる。胸を張って紹介するさ」
 オーリの目にようやく笑みが戻ってきた。良かった、今日はもうエレインのことは話題にするまい。そうステファンが思った頃、頬に湿っぽい風を感じ始めた。
 遂道の出口は、突然に現れた。
――海岸だ。ステファンは波音と夕闇の中に浮かび上がる、白い紋様の上に立っていた。

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 波音が聞こえるものの、足元は砂浜ではなく岩だ。いや、人工的な石畳の広場のようになっている。 
 潮の香のする夕闇の中でそちこちに白い光の円柱が立ち上がり、光の中から着飾った紳士淑女が現れる。それぞれに挨拶を交わしながら、人びとが向かうのは背後の岸壁だ。門番のように巨大な一対の石像が見下ろしている。人びとがその石像の前で名乗る度にさっと岩が割れ、またすぐに閉じる。
 オーリもまた進み出て、石像に向かった。
「初代ヴィタリーの娘たる賢女オリガの息子、オーレグ・ガルバイヤン。及びその弟子ステファン・ペリエリ」
 低く、よどみなく、呪文でも詠唱するような声で告げる。
 え? とステファンがオーリを見上げる間に、目の前の岸壁が割れた。
「先生、今の名前って……」
「母国語の本名だ。行こう」
 オーリはステファンの背を押して岩の向こう側へ進んだ。急に明るくなって目が眩みそうになる。ステファンの目が慣れてきた頃、淡い光に照らされた庭園と古い屋敷が姿を現した。
「“オーリローリ”は画家としての名だ。ガルバイヤンというのも本来は祖父の持っていた“雷を操る”という意味の通り名なんだよ。母国では魔法使いは姓を持っていなかったんだけど、祖父がこの国に移り住む時、移民局での手続き上必要になって、通り名を姓として登録してしまったというわけさ」
 ステファンは屋敷に集まる人びとを見回した。オーリの話は半分ほどしか理解できなかったが、魔法使いにも竜人同様、複雑な事情があるらしい。
「そうなんだ。でも誰もローブ着てないね。魔法使いの集まりじゃないの?」
「いや、ほとんどが大叔父と同郷の魔法使い、魔女だと思うよ。ただ、今日は魔力の無い一般人の客も来るはずだからね。“武装”してたんじゃ失礼だろう」
「武装って?」
 広間に進みながら、オーリもまた周りを見渡した。
「いいかいステフ、“杖とローブ”というのは魔法使いの象徴でもあり、武器であり、鎧でもあるんだ。わたしたちは常に杖を携帯しているけどそれは、ピストルを隠し持っているのと同じくらいに物騒なことなんだよ」
 ステファンはどきりとした。杖を持つにはややこしい手続きが必要、とは聞いていたが、そんな理由があったのか。
「よう、オーリ! ステファン!」
 広間の向こうから頭に白銀の布を巻いた青年が声を掛けてきた。一瞬誰だかわからなかったが、声には聞き覚えがある。
「ユーリアン、さん?」
 目を丸くするステファンの元に、褐色の笑顔が近づいてきた。丈の長い真っ白な異国の民族衣装を着ている。襟元から胸にかけての金糸を使った刺繍と、肩から長く垂らした緋色のショールが照明に映える。
 隣に立つトーニャもまた、ユーリアンに合わせた緋色の民族衣装だ。右肩だけ出して斜めに巻かれた布が、丸いお腹の上でドレープを描いている。
「おい……二人とも、決めすぎだ。そりゃ綺麗だけどさ。主賓より目だってどうする?」
 オーリはしげしげと夫妻の姿を見た。
「なあに、普通にしてたって僕は目立つんだし。それに僕の祖国じゃこれが正装だぜ。失礼にはならないだろう」
「どちらが失礼だか。結婚式にはオーリ以外だれも来てくれなかったんだから、今日はお披露目よ。大叔父様だって喜んでくださるわ」
 ユーリアンと腕を組むトーニャは、周りの親戚に向けて挑むような笑みを見せた。額の中央と前髪の分け目が赤い粉で装飾されている。
 不思議な唐草模様を染め付けたトーニャの白い腕で、何連もの豪華な腕輪がシャランと鳴った。
 

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「ステファン、君もなかなかだ。魔女たちが騒ぐだろうなあ。覚悟しておけよ」
 ユーリアンはにやにやしながら言った。冗談はやめて欲しい。ステファンは冷や汗を浮かべた。それでなくても、見たことも無いオーリの一族が集まるパーティに自分みたいな子どもが来てよかったのか、戸惑っているというのに。
「エレインはやっぱりダメだったのか?」
 周りをはばかるように、ユーリアンが小声で聞いた。
「ああ、仕方ないさ。今日集まるのはソロフ門下ばかりじゃない、竜人を見下すような連中もいるだろうし」
「そりゃ……しょうがないよなぁ」
 ユーリアンは同情とも諦めともつかない顔でオーリの肩をポンと叩いた。
「こっちは崖から飛び降りるつもりで思いの丈を全部口に出したつもりなんだがな。
“やなこった”のひと言であっさりフラれるとは思わなかった。人生最悪の日だよ」
 オーリは冗談めかして肩をすくめたが、目の中には悲しげな光の珠が揺れている。そんな“人生最悪の日”に、自分の感情に沈むよりもオスカーの手掛かりを探すことを優先してくれたのだ、と思うと、ステファンは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 
 けれど、今のステファンにはオーリを思いやっている余裕は無い。なにしろさっきから、広間中の視線がこちらを向いているのだ。無理もない。きらびやかな異国の衣装をまとったユーリアン夫妻は絵本の中から抜け出たようだし、彼らと相対しているオーリもまた、別な意味で際立っているのだ。
 視線というものは不思議だ。直接的な力が加わるわけでもないのに、人を怖気づかせ、傷つけもする。ましてこの場に居るのはほとんどが魔法使いと魔女だ。ただでさえ強い目をしている彼らから発する圧力といったら! 好奇心やら嫉妬やら、羨望やら非難やら……それらが千本の矢よりも鋭く刺さってくるというのに、この三人はなぜ平然としていられるのだろう? いたたまれなくなったステファンがオーリの上着の陰にでも隠れてしまおうかと思った頃、広間の一隅がざわつき始めた。
「主役のお出ましよ。相変わらずね、大叔父様」
 トーニャが皮肉な笑みを浮かべた。

 数人の美女に囲まれて、音も無く大きな椅子が現れた。
 革張りの背もたれと重厚な彫刻入りの縁取りが見えるが、肝心の「大叔父様」の姿は周りの人の頭に邪魔されて見えない。
 列席者は次々に集まって椅子に向かい、順番にお祝いの言葉を述べていく。大叔父様はきっととても小柄な老人なのだろう、とステファンは勝手に解釈した。
「ステフ、あれは何に見える?」
 オーリが顎で示すのは、椅子の周りで中世の婦人のような装束でかしづく美女のことだ。
「なんというか……人間じゃない。生きてるけど、なんか恐いな」
「そう。はっきりした本性が見えなくて幸いだな。あれは大叔父と契約している、ハーピーだの水妖だの、まあそういった連中だ。現在じゃほとんど見ることのない絶滅危惧種ばかりだな。中世風の美女に変身させてるのは大叔父の趣味だろうけど」
 オーリはそういうと、視線を落とした。
「本来の姿を偽って、魔法使いのしもべのごとく振舞って……そんな風に生きていくしかない彼らは、幸せと言えるんだろうか? わたしにはできないよ」
 エレインのことを考えているのだな、とステファンは思った。
「先生はエレインのこと、“しもべ”だなんて思ってないでしょう? ううんエレインだけじゃない、インク壷のアガーシャだって、庭にいる変な連中だって、大切にしてるじゃない」
「もちろんだよ。エレイン、マーシャ、ステフ、他の皆のことも、家族だと思ってきた――家族が欲しかったんだ、とても。だけどね、それだって契約で縛っているのに過ぎないんじゃないかと最近思えてきた。自分のわがままを押し付けてるのじゃないかってね」
 
 今日のオーリはどうかしている、とステファンは思った。いつもは自信に溢れて堂々としていて、こんな愚痴っぽい言葉を吐く彼ではない。やはり“守護者”が隣に居ないせいだろうか。今日はエレインのことは話題にするまい、そう思ってはいたが、どうにも不安になって、ステファンはこの間から心に引っかかっていることを口に出した。
「先生、この前“エレインはもう何も負わなくていい”って言ってたよね。あれってまさか、契約を解く、とかいうことじゃないよね?」
「必要ならそうする」
 彫像のような横顔のまま、オーリはあっさりと認めた。
「だめだよ!」
 ステファンは袖を引っ張った。
「エレインが好きなんでしょう? エレインだってずっと先生の傍にいたいはずだよ。絶対、そんなのだめだ!」
「だけどねステフ、今のままじゃエレインは本当の自由も幸せも得られないんだよ。ただ“好き”というだけでは大切な人を護ることはできないんだ」
 水色の目は深くて静かな覚悟の色をしている。どういえばいいのかわからず見上げるステファンを安心させるように、オーリは微笑んだ。
「もちろん今すぐに契約を解くわけじゃない。良くも悪くも、契約によってエレインが護られてているのは事実だから。でもいつかは……」
「おおい、いつまでそこでグダグダ言ってる? さっさと挨拶を済ませてこい。飲もうぜ!」
 ユーリアンがシャンパンの入ったグラスを掲げて陽気に声を掛けてきた。
 
 オーリに促されて前に進み出ながら、ステファンは必死に考えた。
――契約を解くってことは、守護者じゃなくなっちゃう? そうしたら、エレインはどうするのだろう。どこか遠くへいってしまうのだろうか。そんなのダメだ、オーリは“家族だ”と言っているのに。
――どうすればいい? どうすれば、自分の両親みたいにバラバラにさせずに済む?
 考えのまとまらないまま、ステファン達の順番がきてしまった。椅子の前まで進むと、オーリは礼儀正しく胸の前に手を置き、膝を折る。
「賢女オリガの息子、オーレグです。大叔父様の百八十歳のお誕生日を心からお祝い申し上げます」
 ステファンも慌ててオーリに倣ったが、頭を上げてぎょっとした。失礼だとは思ったが、椅子の上を凝視せずにはいられなかった。

――これは、人間か?

 ふかふかの絹のクッションの上に鎮座しているのは、赤ん坊の頭ほどに小さい、茶色く干からびた木の切り株、いや、球根、いやそれとも?
「おお、オリガの息子、ありがとう。お前も息災か?」
 茶色い物体の裂け目が人間の口のように動いた。と、その上部に二つの裂け目がカッと開き、ステファンに向いて叫ぶように言った。
「待っておったぞ、オスカーの息子よ!」
 

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 ステファンは驚きで声も出なかった。
 まさか、ここでオスカーの名を聞くとは思わなかった。大叔父様と父がどこでつながりがあるのか、いやその前に、この不思議な干からびた物体がなぜ“大叔父様”なのか、頭の中が疑問符だらけで目まいがしそうだ。なにか言葉を紡ごうと焦ったが、その間にも茶色い物体の目と口――そう呼べるのならば、だが――は再び閉ざされ、沈黙してしまった。お供の美女たちがさっと椅子を囲む。
「眠ってしまったようだ。話の続きは後だな」 
 オーリは別段驚きもせず、冷ややかな顔でつぶやいてその場を離れた。
 挨拶の順番待ちをしていた人びとから残念そうなため息が聞こえたものの、皆オーリと同じような態度で広間の中に散っていく。ステファンが振り返ると、大叔父様は既にお供や椅子もろとも姿を消していた。
「先生、あのう、ええっと、どういうこと?」
 ステファンは迷子にならないよう懸命にオーリの後を追った。
「気にすることはない、大叔父は起きている時間のほうが短いんだ」
「そうじゃなくてさ、なぜぼくのこと知ってたの? 大叔父様ってお父さんと知り合いだったの? 第一あの姿って……百八十年も生きてるとああなっちゃうの?」
 矢継ぎ早に質問をするステファンに、やっとオーリの顔が向いた。
「最初の二つは本人に直接聞くしかないな。いつもああやって謎かけのような言葉を吐いては楽しんでるんだから、始末が悪いよ」
 広間にはいつの間にかいい匂いが漂っている。壁際のテーブルには料理やグラスが並び、人びとは主役の居ないまま思い思いの場所に立って乾杯をし、談笑を始めている。
「なるほど、ご馳走が並ぶ場にハーピー(注:1)を同席させるわけにはいかないものな」
 オーリはそう言ってフルートグラスを手に取り、ステファンには蜂蜜色の飲み物を渡した。 
「そして最後の質問だが。昔の高名な魔法使いが四百年も五百年も生きたことを思えば、百八十歳なんてまだ壮年だよ。なのにあの姿だ。なぜだと思う?」
 ステファンに判るわけがない。質問しているのはこっちなんだけど、と困っていると、オーリは細いグラスの曲面に映る自分の顔を見ながら言葉を継いだ。
「一族を守るために、自分の魂を裏切る魔法を使った代償さ」
「ええ?」
 思わず大声で聞き返したステファンに、周りの何人かが怪訝そうに振り向いた。
「どういうこと? 先生こそ、それじゃ謎かけみたいだ。ちゃんとわかるように言ってよ!」
「よう、どうした。何を揉めてる」
 人びとの輪の中から抜け出して、ユーリアンが近づいてきた。
「大叔父がなぜあんな姿になったかという話」
 オーリはグラスの中の細かな泡を見つめながら呟いた。
「こっちへいらっしゃい、ステファン」
 トーニャは壁際の椅子にステファンと並んで座ると、皿に盛ったオードブルを勧めながら話し始めた。
「大叔父様の姿は何に見えた?」
「わかんない。木の切り株かな。それとも球根?」
「近いわね。あれは、巨大樹の種子よ」
「巨大樹……王者の樹みたいな?」
 ステファンの脳裏に、いつか森の中で見た、神秘的な王者の樹の姿が鮮やかに浮かんだ。
「わたしたちのお祖父様や大叔父様がこの国に移り住んだ頃はね、生きていくだけで大変だったの。魔法使いの地位を高めるために、大叔父様たちはあらゆる手を尽くしてくれたと思うわ。戦争に加担することもあった。綺麗ごとでは済まされない手段も使った。それがいいとか悪いとかじゃなく、そうしなければ生きていけない時代だったのよ。
わたしたちが今、魔女、魔法使いと名乗りながらも普通の市民として暮らしていられるのはね、大叔父様たちの世代が土台を作ってくれたからよ」
「けど、失うものも大きかった」
 くい、と一息に残りを飲み干して、オーリはまずそうに顔をしかめた。
「そうね。魔法といっても所詮は人の心から生まれるもの。世の中が落ち着くにつれ、自分達の過去を問うようになると、最初の世代は急速に魔力を失っていったわ。大叔父様はああして人の姿を捨てて、やっと自分を保っているの」
「そうなんだ。でもなんかそれって……あんまりだ。大叔父様、可哀想だ」
 神妙に考え込むステファンに、トーニャは微笑んだ。
「大叔父様は望んであの姿になったのよ。自分が亡くなったらこの岬の土に埋めて欲しい、そこから大いなる樹に成って皆を見守りたいって言ってたわ」
「あの様子じゃまだまだ樹には成れそうにないけどね。美女を侍らせたりして俗っ気が多すぎるだろう、あの爺さんは」
 皮肉たっぷりに言うオーリはラムチョップを少しかじって、再びまずそうな顔をした。

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「味を感じないんでしょう、オーリ」
 トーニャは笑いをこらえるような顔をしている。
「砂を噛む思い、とはまさにこれだな。どういう料理人を雇ったんだ?」
「そうか? シャンパンもラム肉も極上だと思うが」
 ユーリアンは自分のチョップを骨だけにしてしまうと、満足げにナプキンで口を拭った。
「あなたが大叔父様に対して心を閉ざしている限り、ここでは何を口にしても同じでしょうね」
「へえ、光栄だな。じゃあ結構だ、食事が目的で来たわけじゃなし」
 オーリは憮然とした顔で、壁の天使像が持つ皿に食べさしの肉を置いた。天使は途端に顔中口だけの怪物に変わり、ラムチョップをひと呑みにすると、再びすまし顔に戻った。
「そうとんがるなよ。大叔父様が目覚めたら一緒に部屋へ伺おう。それまでは時間を有効に使うんだ、オーリ」
 ユーリアンはトーニャの腕を取ると、さっき話していたのとは別の魔法使いに近づいた。
 最初は硬い表情で挨拶をした相手も、二言三言言葉を交わすうちにたちまち笑い声を立てるようになった。そうしてものの五分とたたないうちに、ユーリアン夫妻の周りには人の輪ができてゆく。
「たいしたものだよ」
 オーリは苦笑いをした。
「彼は“周りと違う”ことを最大の武器にして、人の心をつかんでしまうんだ。職業の選択を間違えたんじゃないかとさえ思えるね」
 ステファンは目を丸くして夫妻を見るうちに、オーリの言葉とは別なことを思った。 
――本当は皆、ユーリアンと話してみたかったんじゃないだろうか。
 なのに、何かが目に見えない障壁になって、人を緊張させ、遠ざけさせる。ユーリアンはあえてその障壁を自分から踏み越えに行ったようにも見える。
 なんで魔法使いたちは、自分からユーリアンに近づこうとしなかったんだろう。一度でも彼と会って話してみれば、誰だってその快活さに魅了されてしまうのに。

 すう、と冷たい風が流れ込んで来た。と共に、静かな衣擦れの音と重々しい気配が近づいてくる。目を向けたステファンは、思わず後ずさった。黒いドレスと円錐形の帽子を被った魔女が数名、こちらに近づいてくる。
「これは伯母上! お久しぶりです」
 オーリは自ら歩み寄って、懐かしそうに先頭の魔女の手を取った。
「元気そうね、オーレグ」
 まるで女王のごとく威厳のある態度でオーリの挨拶を受けた後、魔女は水色の目をステファンに向けた。この顔には見覚えがある。いつかオーリ宛に届いた“虚像伝言”の魔女だ。トーニャのような黒髪の半分は白くなっているが、年はまだ五十代といったところだろうか。オーリと背が変わらないほどの堂々たる体格といい、氷のような目といい、映像で見る以上の迫力だ。ステファンは恐くて動けなくなってしまった。
「この子は?」
「わたしの弟子です。ステファン、こちらはガートルード伯母、トーニャの母上だ。そして一族の魔女ゾーヤ、タマーラ、リンマ……」
 後ろの三人の魔女たちは随分小柄だ。老木のようなシワシワの顔を突き出して興味深げにこちらを覗き込む。
「は、はははじめまし、まし……」
 恐さと緊張で舞い上がったステファンがまともに挨拶の言葉も言い終わらないうちに、三人の魔女は歯の抜けた口をほころばせて取り囲んだ。
「んまあー可愛らしい。オーリャ(注:2)の小さい頃を思い出すねぇ」
「ステンカ、ひ孫と同じ名前だわ」
「こっちぃおいでスチョーパ、タルトはどう?」
 魔女たちはあっという間にステファンの腕を捕らえると、有無を言わさない迫力でデザートを盛ったテーブルのほうへ引っ張っていく。
「ひぃぃっ!」
 ステファンは助けを求めようとオーリを振り返ったが、彼はまだ伯母と話しこんでいる。その間にも三人の魔女は代わる代わる早口で話しかけてくる。大半は彼女らの母国語なのか意味がわからないが、どうやらテーブルのお菓子を取れ、とさかんに勧めているようだ。
 もとより食欲なんてないが、断るとどうなるかわかったものではない。仕方なくいくつか焼き菓子を皿に取って、顔をひきつらせながら口に運ぶと、魔女たちは満足そうに声を立てて笑った。その声さえ恐くて胃が凍りそうだ。それに、悪意が無いのはわかるが“ステンカ”だの“スチョーパ”だの、勝手な愛称で呼ぶのはやめてほしい。早くオーリの話が終わらないかな、と泣きそうな思いで、ステファンは二個目の菓子を口にねじ込んだ。

 オーリはといえば、伯母に連れられて来た別の魔女に挨拶している。随分若くて綺麗な魔女だ。少し話をしたところに、また別の魔女が挨拶に来る。数分のうちに、オーリは何人もの魔女と会話をしなければならないようだった。
 ステファンにもうすうす事情がわかってきた。これは一種のお見合いだ。厳しい監視役のように立つ伯母の傍で、オーリは苦役に耐えるような目をしている。三人の魔女にステファンを“拉致”させたのだって、邪魔者を追っ払うためだろう。
 若く美しい魔女たちは、やたら熱を込めた眼差しでオーリを見ている。話が終わった後も、魔女どうしお互いにけん制するように視線をぶつけ合う姿は、見ていて恐ろしかった。
 オーリは最初のうちこそ礼儀正しく挨拶をしていたが、次第にイライラした表情になってきた。
“もう充分でしょう、伯母上” そう口元が動いたかと思うと、魔女達には一瞥もくれず、大きな歩幅でステファンに近づいてくる。
「失礼。ちょっと所用がありますので」
 オーリはそう言って、ステファンの腕を引っ張り、三人の魔女から引き離した。
 助かった、そう思ってステファンは口の中に残った最後の欠片を飲み込んだ。これ以上あの魔女たちの勧めるままお菓子を食べ続けてたら、胃が砂糖漬けになってしまう。

 ステファンを引っ張ってテラスに出ると、オーリは吐き捨てるように言った。
「――なにが由緒正しい魔女だ、なにが血統だ! 化粧や宝石でいくら飾り立てたって、腹の中はきたない見栄と欲ばかりじゃないか。だから魔女は好かないんだ! ステフ、君にも多少は連中の心が見えただろう。エレインのほうがよっぽど高潔だ。そう思わないか?」
 一気にそれだけ言ってしまうと、腹立たしげに青い火花を敷石に投げつけた。
 そりゃ比べるほうがどうかしている、とステファンは思った。
 高く髪を結い上げ、思い切り襟の開いたドレスを着た魔女たちは、確かにぞっとするほど綺麗だ。けれどその“綺麗”と、エレインの“きれい”はまるきり違う。
 化粧なんかで飾らなくても、エレインの輝きには濁りが無い。おへそ丸出しの狩猟神のような格好で森を駆け回る姿には、いつだって太陽光のイメージが浮かぶ。太陽の光に勝てる宝石など、あるわけがないのだ。

 広間の中では音楽が流れている。数人がダンスを始めたようだ。
「ぐずぐずしてたらダンスの相手までさせられそうだ。ステフ、そろそろ大叔父のところへ行こうか」
 オーリが懐中時計を取り出した時、広間の一隅がざわつき始めた。


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 タキシードや燕尾服の紳士たちの中、大声でわめいている男が居る。口髭をたくわえた赤ら顔には見覚えがあった。
「あ、あいつ! 駅で竜人を苛めてたやつだよ」
 オーリにもそれは判ったようだ。無言でうなずき、厳しい目を髭男に向ける。
 が、男と対峙している相手を見てさらに顔を曇らせた。
「悪いがステフ、先に行っててくれないか」
 そして庭に面して続くテラスを示して手を伸ばした。
「大叔父の部屋は三階にある。広間は通らず、テラス伝いに行って四番目の部屋へ入るんだ。らせん階段が見えるから、手すりの彫刻にこれを掲げて。そうすれば大叔父様の部屋までの道筋がわかる」
 オーリは手短に言いながら、内ポケットから光る物を出した。トーニャの家で見た水晶だ。ステファンは緊張した面持ちで水晶のペンダントを首に掛けた。
「四番目の部屋、らせん階段、わかりました。でも先生は?」
「すぐにユーリアンたちと合流する。これを」
 金色の火花と共に、オーリの手に「忘却の辞書」が現れた。ユーリアンが分解したままの形だ。オーリは銀髪を束ねていた黒い繻子の紐を引き抜くと、辞書がばらけないようにしっかりと束ねた。
「これは別に持っていたほうがいいな。内ポケットに入れておきなさい」
 最後に差し出されたオスカーの手紙をステファンがしまったのを見届けると、オーリは足早に広間に戻っていった。

「だから、場違いだといっておるのだ!」
 いささかろれつの回らない男の声に、人びとはダンスを止めて何事かとささやきあっている。壁の前の巨大な自動演奏器のみが、金銀の彫刻を揺らしながらワルツを奏で続ける。
 酒臭い息を撒き散らしてわめく男の前で、トーニャを庇うようにしてユーリアンが立っていた。
「おっしゃる意味がわかりませんね。失礼ですが、少しお酒が過ぎたのでは?」
 冷ややかな声で応じるユーリアンの純白の上着の背中には、赤い酒の染みが広がっている。
「黙れ、南方のインチキ魔法使いめが。今宵は北方一族の祝いの席だというからこうして知事閣下をお連れしたというのに、お前のような輩が居ては興ざめだわい!」
 ユーリアンが何か言い返す前に、声を発した者がいた。
「お言葉ですが。彼は優秀なソロフ門下ですし、夫人は初代ヴィタリー老の孫です。一族の者として、祝いの席に着くことに何の問題もないと思いますが?」
 銀髪の青年がいつの間にか背後に立って、髭男を見下ろしていた。長身から発せられる声は冷静だが、水色の瞳には怒りの色を浮かべている。
「ほう、驚いた。異国人がここにもか。北方の一族にはなんとも奇態な輩が揃っているものだな、え?」
 ざわっと周りの人びとが不快そうな反応をしたのにも構わず、髭男は太った腹を突き出して笑った。
「まあまあ、そう事を荒立てずとも。私は楽しんでおりますぞ、このような異国の徒と親しむのも座興でよろしいではないか。ときに奥方、ご主人は着替えが必要なようだ。その間私が一曲お相手など」
 知事と呼ばれた白髪の男は手を差し出した。片眼鏡の向こうから薄笑いを浮かべ、無遠慮にトーニャを見る。
「まことに光栄ですが閣下、御覧のとおり妻は身重ですのでダンスのお相手はとても……」
「いいえ、ここはお受けしなくては失礼というものですわ」
 トーニャは紅い唇をニヤと曲げて知事の手を取り、自動演奏器に呼びかけた。
「フローティング・ポルカを!」
 声に応えて、金属のタクトが宙に浮かんだまま揺れた。軽快なポルカの演奏が始まる。
 髭男と知事に不愉快な視線を投げながらも、魔女と魔法使いが中央に集まってきた。それぞれに床からふわりと舞い上がり、浮遊(フローティング)したままポルカを踊り始める。
「さあ、知事閣下。どうなさいまして? こういうダンスはお嫌い?」
 緋色の衣装から手を伸ばしてトーニャは皮肉に笑っている。相手が魔力の無い普通の人間だということを承知の上で誘っているらしい。知事は目を白黒させて首を横に振った。
「トーニャ、慎みなさい」
 厳しい声と共に大柄な魔女が現れた。
「失礼しました閣下。躾の行き届いていない娘の、ちょっとした冗談ですわ」
「ガ、ガートルードどの! これは、こちらこそ失礼」
 知事は魔女と面識があったのか、慌てて一礼すると、逃げるようにその場を去った。
「さてと、サー・カニス。うちの娘婿が何か? それともダンスのお相手でもお探ですしかしら」
「い、いえ滅相も無い」
 カニスと呼ばれた髭男もまた、ガートルードを見て顔色を変えた。
「それは残念だこと。ではユーリアン、踊りながら話を聞きましょうか。その前に……」
 魔女はユーリアンを後ろ向かせると、何度か爪を弾いた。さっきまで赤い染みのできていた上着が、たちどころに純白に戻る。
「ありがとうございます、お義母さん」
 ユーリアンは微笑んで自分より頭一つ分背の高い魔女の手を取ると、オーリを振り返った。
 オーリはうなずき、髭男に鋭い一瞥をくれてから、トーニャを安全な壁際の席まで連れて行った。

「ほう、思い出したぞ」
 髭男はオーリを睨みながらつぶやいた。
「あの銀髪は駅に居た若造だな。あの時はよくも恥をかかせてくれた」
 ダンスに加わる人の数はますます増えてきた。賑やかな曲と歓声が飛び交う中で、オーリは何か嫌なものを聞いたかのようにピクと反応した。
「今なら母に叱られないわよ、遠慮せずに行ってらっしゃい。ここで見ててあげるから」
 トーニャは何かを期待するようにニヤリと笑った。
「相変わらず過激だね、わが従姉どのは。別に喧嘩をするつもりはない、そのくらいの分別はあるよ」
「でも、向こうから挨拶に来たら?」
 フローティング・ポルカの輪を縫うように髭男はこちらに向かってくる。しつこい奴だ、とつぶやいて真っ直ぐ相手に近づいてゆく従弟の背中に、トーニャは楽しそうに手を振った。


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 カニスはフン、と口髭を揺らし、テーブルに近づいて再びグラスを手にした。オーリもそ知らぬ顔でグラスを取り、隣に立つ。
「オーリローリ・ガルバイヤン、思い出したぞ。この一族には確かそんな別名を持った絵描きが居るらしいな」
「これは光栄です、カニス卿。わたしのほうはご高名をちっとも存じ上げなかったというのに」
 嫌味たっぷりにそう言うと、オーリは杯を掲げた。
「そうとも“卿(サー)”だ! この称号を得るために苦労してきたんだからな。貴様ら移民にはわかるまい?」
「わかりたくないですね。称号なんて我々には無用な飾り物だ。自由な立場で居られるからこそ“魔法使い”なんだ。そうじゃないですか?」
 オーリの目は壁の照明を受けて冴え冴えと光っている。
「その“無用な飾り”こそが力なのだ。君ら絵描きだってそうだろう、コンペで賞を欲しがらない者が居るかね? 画壇で名を上げたいと思うのは、なぜかね? 結局のところ、画商に少しでも高く買わせた者が勝ち、だからだ。世の中とはそういうものだろう」
「あなたは何もご存じない」
 オーリは“軽蔑”の言葉がはっきりと読み取れる顔を見せた。
 音楽は流行の曲に変わっている。浮かれた曲調に場違いな表情で、二人の魔法使いは睨みあった。
「ときに、あの少年はどうしました? あなたに虐待されていた、竜人の少年は?」
「ははあ、虐待とはまた大げさな。牛馬に鞭打つのと同じ、飼い主としての正当な行為に過ぎん。まあとうに売り飛ばしたがね」
「売った、だと?」
 オーリの眉がぴくりと動いた。
「そうとも。タダで管理区にやることもあるまい、炭鉱や港ではまだまだやつらの需要はあるからな。だがこれからは科学万能の時代だ、我輩には竜人の力などもう要らん。奴らを売った金でいくらでも新しい技術を買って、古くなれば使い捨てればいい。電気機械は文句を言わんからな」
「あなたは、自分が何をしたか判っているのか!」
 カニスを睨むオーリは拳を震わせている。銀髪の周りで青白い火花が飛び交い始めた。
「おいおい、何を怒る? 誰でも考えることだろう」
「科学万能だって? では竜人と同じように、魔法使いであるあなたが“必要ない”と言われる日は近いな。契約をカネに換えるだって? ソロフ門下なら決してそんな考えは持たないだろう。 少なくともわたしにとって竜人との契約は、お互いの尊厳を賭けた神聖なものだ!」
 カニスは呆気にとられたようにオーリの顔を見ていたが、やがて腹を揺すって笑い出した。
「これは傑作だ! ソロフ門下はいまだにカビの生えた美徳を守っとるというわけか。なるほど君が連れていた美形の竜人なら、別の使い道もあるだろうしな、フフフ。おい、聞くところによると竜人はトカゲのように卵から生まれるそうだが、あの美人もそうかね? では人間と竜人の交配種は……」
 鈍い音を立てて髭男がふっとんだ。オーリの右ストレートが顔面にめりこんだのだ。 
「それ以上口を開くと、“座興”では済まなくなるぞ!」
 オーリの全身はいまや火花ではなく放電光に包まれ、目は恐ろしい色に光っている。
 ダンスの熱が最高潮になっている人びとが見向きもしない中、青ざめたカニスはテーブルの隙間に逃げ込もうとした。
 ピュイ、と口笛を鳴らしてユーリアンが近づいてくる。
「パートナーチェンジだ、オーリ」
 ユーリアンは、オーリの腕を引っ張ってガートルード伯母のほうへ押しやった。
「ああもうひとつ言っておこう。わたしの守護者には美しいヘソがある。つまり胎生だ。卵などでは生まれないんだ、竜人は!」
 オーリはまだ言い足りないようだったが、伯母に引っ張られてダンスの渦の中に紛れていった。
「ぶ、無礼な……」
 鼻血を流す髭男の前に、スッと白いハンカチが差し出された。
「どうぞこれを。それよりカクテルをご一緒しませんこと?」
 トーニャがグラスを手に小首を傾げて微笑んでいる。ぶつぶつ言いながらカニスはハンカチで顔を抑え、おやという表情をした。
「これは……この匂いは……」
 途端に惚けたような顔になり、両手をぱたりと床に落とす。
「あら、お気に召さなくて? ほんの少し、香水を沁みこませてただけなのに。それとも忘れ薬だったかしら」
 トーニャの紅い唇が三日月の形に微笑む。
 恐い怖い、と首をすくめて、ユーリアンはカニスを壁際まで引きずって行き、天使像の下に座らせた。天使像の怪物は目だけじろっと髭男に向け、喰うに値するものかどうかと観察し始めた。
 でっぷりとした腹のまわりに短い手足のついた様は服を着たローストチキンのようだ。もちろんユーリアンは、カニスの頭にパセリを飾っておくのを忘れなかった。

 ダンスの波に押されながら、オーリはじっと目を閉じて立ち尽くしていた。
 伯母の小言と音楽の渦と。
 その中でようやく目を開いた時には、放電の光も恐ろしい目の光も消え、彼は思い出したように手を押さえた。
「あ痛っ……今頃になって利いてきた。魔法以外で人を攻撃したのは久しぶりですよ。フフ、結構痛いものですね」
「カニスのような小物相手に野蛮な真似をするからですよ。見せなさい!」
 伯母はオーリをダンスの輪の外に出すと、腫れた右手を見た。
「まあ、指の骨にヒビが入ってるじゃないの。画家のくせに手を傷めてどうするのです、まったくこの子は」
 魔女の口元がぶつぶつと動き、手の上に長く息を吹きかけた。たちまちに腫れは引いていく。オーリは指を曲げ伸ばして微笑んだ。
「相変わらず見事な治癒魔法だ。子供の頃から何度これで助けてもらったかな」
「えーえ、この甥には悩まされましたとも。身体は弱いしソロフのところから何度も泣いて帰るし……おまえが無事に成人した時には後見人としての役目もこれで終わると、どんなにホッとしたことか。なのに未だにこうやって手を煩わせるのだから」
「申し訳ありません、伯母上。どこの一族にも出来の悪い者が一人くらいはいるんですよ」
 ガートルードは、今は亡き妹と同じ瞳をした甥を見て、諦めたようにため息をついた。
「まったくああ言えばこう言う。せめて早く花嫁を迎えなさい、少しは大人になれるでしょうから」
「ご心配なく。心に決めた人なら居ます」
 オーリは窓の外の遠い星空に目をやった。
 
 曲はゆったりとしたワルツに変わっている。治してもらったばかりの手を差し出して、オーリはうやうやしく頭を下げた。
「では伯母上、改めて一曲お願いできますか?」
「調子の良い子だこと。ステップは心得ているのでしょうね? ユーリアンより下手だったら遠慮なくお尻を叩きますよ!」
 伯母は水色の目でひと睨みして、それでもオーリの手を取り、優雅に舞い始めた。

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 オーリから託された辞書をしっかりと抱きかかえ、ステファンは庭伝いに四番目の窓に向かった。
 磨きこまれたガラスの向こうは、賑やかな広間とは対象的な、しんとした吹き抜けの階段ホールだ。黒いアイアンレースの手すりが美しい螺旋階段が目に入る。上り口では乙女の姿をした彫刻が天を指差していた。
 中に入ろうとしたステファンは、窓に鍵が掛かっていることに気付いた。
「嘘! こんなのないよ、先生」
 ステファンはニ、三度むなしく窓を揺すった後、ガラスに顔をくっつけて鍵の具合を見た。縦長い掃きだし窓は、中央に一つ、ステファンの背丈よりずっと高い場所に一つ、簡単な掛け金式の鍵が付いている。もっとも、上のほうは錆びて外れているようだが。
「どうしよう。先生なら、こんなの簡単に開けちゃうんだろうけど……」
 開錠なんて初歩の魔法、以前にオーリはそう言っていた。けれど、ステファンはその“初歩”すら知らないのだ。もう一度広間に帰って別の入り口を探してみようか、とも思ったが、広間はあの髭男のことでもめているに違いない。恐ろしい三人の魔女につかまるのも面倒だ。
――ひょっとして、ぼくにもできたりしないかな。
 ステファンは窓を見つめて唾を飲み込んだ。鍵は簡単な作りだ。掛け金を持ち上げさえすれば……
「やってみれば?」
 突然後ろから声を掛けられて、ステファンは飛び上がった。誰も居ないと思っていたのに、いつの間にか少年が一人、芝生の上からこちらを見ていた。年の頃はステファンと同じくらいだろうが、襟の高い黒い服に身を包み、長い金髪をきっちり分けた姿はずっと大人びて見える。
「あ、ええと、ぼく……」
 ステファンはわけもなく焦った。別に悪い事をしていたわけではないが、なんだかいたずらを見咎められたような気分だ。
「でも普通の“開錠”くらいじゃ入れないけど。その鍵、トラップなんだ」
 少年はステファンになどお構いなしに窓を指差した。カチリと音がして、掛け金が外れるのが見える。途端にカーテンのドレープが崩れ、重量感のある分厚い布がガラスの向こう側に垂れ下がった。
「ほらね。知らずに入ろうとすると、あのカーテンにつかまるよ。別にケガはしないけど、きっとパーティが終わるまで離してもらえない。あいつ退屈してるんだよ、ずっとここで番をしてるだけから」
「え、そ、そうなんだ。ありがとう……って君、もしかして魔法使い?」
「そうだよ。君もだろ?」
 少年がけげんそうな顔をするのを見て、ステファンは自分の間抜けな言葉を恥じた。確かに、今日がどんなパーティかを思えば、自分以外にも子どもの魔法使いが居ても不思議ではない。広間では気付かなかっただけかも知れないのだ。
「すごいな。ぼくなんかまだ、見習いっていうか……七月から始めたばっかりで、杖も持ってないし」
 簡単に“開錠”の魔法を使って見せた相手を前にして、ステファンは気後れを感じた。
「ふーん、見習いか。でも杖なんて本当は必要ないかもしれないよ。要は、自分が何をしたいかってことさ。君は、ここで何をしようとしてたの?」
 少年の言葉に、ステファンは自分のするべき事を思い出した。
「ぼく、大叔父様に会わなきゃ。ね、あの階段のところまで行けないかな?」
「階段に用があるの?」
「そうじゃなくて、大叔父様に会うにはあの彫刻に道を教えてもらわなくちゃいけないんだ」
「ああ、大叔父様ってイーゴリのことか。君、彼の何?」
 ぼくは、と言い掛けてステファンは不審な目で少年を見返した。大叔父様の名がイーゴリなのは初めて知ったが、えらく気安そうなこの少年こそ、何者だ?
「ぼくはステファン。オーリ、じゃなかった、オーレグ・ガルバイヤン先生の弟子だよ。君こそ、誰?」
「ああ、オーレグ、なるほどね。この窓のトラップのこと、知らなかったはずだ。イーゴリの部屋に行きたいなら、直接行く方法を教えてやればいいのに」
 少年に可笑しそうに言われて、ステファンはむっとした。
「だから君、誰? 直接行く方法って、わ、わわっ」
 突然身体がふわりと浮き始めた。同じく少年も宙に浮きながら、ステファンの腕をつかむ。
「フローティング・ポルカだよ。広間から聞こえるだろ? 教えてもらってないの?」
「だからぼくはまだ見習いで、ひぁああ!」
 浮遊(フローティング)どころか、急に高く舞い上がりながらステファンは目を回した。腕の中の辞書だけは必死に落とすまいとしたが靴が片っ方脱げて落ちてしまった。
「ドジだな。そら、ガーゴイルに掴まって!」
 夢中で左手を伸ばし、軒下から突き出した冷たい石像にしがみつく。
「イーゴリの部屋はこの真上、三番目のガーゴイルの下にある窓から入るんだよ。じゃ、あとは自力で頑張るんだね」
「自力でって……ちょっとーっ!」
 石像にぶら下がって慌てふためくステファンをよそに、少年の姿は消えていた。


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 なんでこんなことになってしまったのだろう。

 醜悪な石のガーゴイルにしがみつきながら、ステファンは必死に足をばたつかせた。利き腕とはいえ、左腕だけでぶら下がるのにも限界がある。幸い靴の脱げたほうの足が、壁の凹凸に引っかかった。なんとかそれを足掛かりにして体勢を立て直す。が、さっきの少年が示した窓を見上げてまた愕然とした。
 ここは一階の窓の上だ。大叔父様の部屋は三階。暗い石造りの壁面には、各階の窓の上にそれぞれ一体ずつガーゴイル像が突き出している。二階のやつは顔が欠けた鳥、三階のは翼を持つ獅子の姿だ。けれどそこまで辿り着くのだってもう足掛かりになりそうな場所は無いし、どうやって上れというのだろう。
 一度降りようかと下を見たが、足が震えた。一階部分が天井の高い造りになっているためか、今居る場所は結構な高さがある。あまり運動神経が良いとはいえないステファンが硬い石のテラスに飛び降りたりしたら、足を折るかもしれない。
 どくどくという自分の鼓動と呼吸音ばかりが妙に大きく聞こえる。それをあざ笑うかのように、広間からは軽快な音楽と楽しげなさざめきが流れてくる。 
 こんなところで独り、暗い壁に取り付いたまま降りることもよじ登ることもできずに震えている自分がひどく間抜けに思えた。
 どうしよう……どうしよう……どうすればいい?
 ステファンは泣きそうになりながら目の前のガーゴイルを見つめた。
 オーリの庭に居た奴は豚っ鼻のコウモリみたいな愛嬌のある姿だったが、こいつは悪魔のような恐ろしげな顔をした怪鳥だ。大体ガーゴイルなんて屋根から水を吐き出すための雨どいに付いているのが普通なのに、なんだって窓に付いているのだろう、こんな恐い姿をして。
 
 まてよ。
 ステファンの脳裏に、オーリの言葉が浮かんだ。
――オスカーが内緒で飼っていたガーゴイル――
“飼っていた”つまりただの石像などではなく、生きて動いていた、ということだ。実際そいつはオスカーの手紙を運んで、“事切れた”。
 死んだり幽霊になったりできるのは、命を持つものだけだ。
 今、宵闇の中に白々と浮かび上がる醜悪な顔は、どこから見てもただの石像だが、ここは魔法使いの屋敷だ。食べ残しを飲み込む天使像や侵入者をつかまえてしまうカーテンがあるくらいだ、ひょっとしたら……
「あのさ、君、もしかして動いたりできる?」
 遠慮がちに訊いたステファンに、ガーゴイルはギロリと目を向けた。
「―― 命令セヨ」
「しゃ、しゃべった!」
 口も動かさずしゃべる石像に度肝を抜かれて、危うく手を離しそうになった。
「命令セヨ。ワレニ使命ヲ与エヨ」
 ガーゴイルは繰り返した。
 ステファンは夢中で体勢を直し、ガーゴイルの背にしっかりとつかまった。
「ぼくを、大叔父様……ええと、イーゴリの部屋まで連れてってくれる?」
 何も反応が無い。ステファンは息を吸い込み、大きな声で言い直した。
「あの三番目のガーゴイルの下の窓まで、飛べ!」
 ぶるぶるっと振動が起きた。硬い石で出来たはずの翼が広がる。それは羽ばたきもせず、いきなり垂直に舞い上がった。二番目の顔の欠けたガーゴイルを追い越し、三番目へ。一呼吸のうちに、ステファンは三階の窓に到着した。

「来たか、オスカーの息子よ」
 開いた窓の内側から大きな人影が迎えた。室内の明かりに目が眩んでいるうちに、その人はガーゴイルの背中からステファンを抱き取った。
「あ、あのう……?」
 面食らっているステファンを高く抱き上げたままで、その人は豪快に笑った。
「見たか、イーゴリ。こいつはオーレグより優秀だぞ!」


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 天井の照明に頭をぶつけそうになりながら、ステファンは訊いた。
「ぼくのこと知ってるの? それにお父さんのことも」
「おお知っているとも。ははは、ここで会えるとは!」
 低く響く弦楽器のような声だ。高々と差し上げる腕の力強さに圧倒される。
 オーリや父の印象が青空ならば、この人物はさらにもっと高みに有る、そう、星々の界にまで続く広い天空だ。艶を無くした白髪は幾分薄いけれど、老人という感じではない。アゴ鬚と髪が一続きになって顔を縁取る様は獅子のたてがみを思わせるし、深く皺の刻まれた額の下、銀色の炎のような目は若々しくさえ見える。
 けれどステファンはすぐに我に帰った。いくら痩せっぽちでも、もうじき十一歳になろうとしている身でこんな風に“高い高い”をされたまま話をするのはカッコ悪すぎる。
「降ろしてください!」
 じたばたと足をもがいて、絨毯の上に飛び降りた。 
「窓から入ったりしてごめんなさい。ぼく、ステファン・ペリエリです。大叔父様にどうしても聞かなくちゃならないことがあって来ました」
 早口で言いながら水晶を首から外し、オーリから託された辞書の紐を解こうとしたステファンは、ふと多くの視線に気付いて手を止めた。広間で見た美女たちは居なかったが、壁の一面が大きな水槽になっており、群青色の水妖が何体か、漂いながらこちらを見ている。さらに天井の隅には、翼を折りたたんだハーピーがくつくつと喉を鳴らして様子を伺っている。その不気味な視線に、ぞわぁと全身が総毛立つのを覚えた。
「控えよ」
 さっと右手を挙げて白髪の男が命ずると、水妖もハーピーもどこかへ姿を消した。
 この人物はきっと強い力を持つ魔法使いなのだろう、とステファンは思った。
 オスカーのことを知っているようだし大叔父イーゴリとも懇意のようだが、何者だろう。ここで手紙のことなど訊いて良いものだろうか。
 大きな暖炉の前でゆったりと揺れる革張りの椅子、その上で絹に包まれた茶色い物体がモゴモゴと口を開けた。
「訊くがよい、全て答えよう。この男も力を貸してくれようぞ。ただ待て、もうじき客人が揃うはずじゃ」
 客人とは、オーリたちのことだろうか。白髪の魔法使いはイーゴリにうなずいてみせると、自分は肘掛け椅子に深く座り、ステファンにも椅子を勧めた。 
 
 ステファンは居心地悪い思いで腰を下ろし、目の前の人物を改めて見て、不思議な思いに囚われた。
――誰かに似ている。
 襟の高い黒い服……そういえば、さっきの少年も同じような服を着ていた。
 あの時は庭が暗くて少年の目の色までは判らなかったが、この人物と似通った雰囲気があった。
 もしかしてあの子のおじいさんだろうか。
「なるほど、お前の目には子供の姿が見えたか」
 ステファンの心を読んだように呟いて、銀色の目がいたずらっぽく光った。
「“杖なんて本当は必要ないかもしれないよ。要は、自分が何をしたいかってことさ”」
 あ、とステファンは息を呑んだ。さっき聞いた少年の声だ。けれど発声したのは、確かに目の前にいる白髪の人物だ。わははは、と大きな声が響く。
「お前と庭で話したのは、私の“童心”だ。いや、なかなか面白かったぞ」
「童心? あなたが子供に変身してたってことですか?」
「いいや違う。私はここから一歩も動いてはいない。心の一部だけを飛ばしてみせたのだ。お前は見事にそれを受け止めて姿を見、会話さえした。たいしたものだ」
「心の一部だけを飛ばす? そんなこと……」
 ステファンはさっきの少年とのやりとりを思い出した。
「嘘だ。だってあの子、ぼくの腕をつかんだんです。確かに人間の手の感覚だった。それにガーゴイルのところまで飛ばした時だって、すごい力だったし」
「なるほど、触感までイメージできたとは、鋭いな。なのにお前は、自分の力で飛んだ自覚が無いのか?」
「自分の力って……ええっ?」
 そんな自覚は、もちろん無い。目まいがしそうだ。
「ふむ、二ヶ月にもなるのに初歩の魔法も教えていないのか。銀髪のヒヨッコめ、相変わらず呑気な奴だ」
 ヒヨッコ、というのはオーリを指すのか。ステファンはむっとして言い返した。
「ぼくがまだ魔法を教わってないのは、その、いろいろあったからです。オーリ先生は立派な魔法使いです」
「ほう?」
 銀色の目が面白そうに覗き込む。からかわれているような気がして、ステファンはむきになった。
「だいたいおじさん、誰? ぼくのことやお父さんのこと知ってるくせに、自分は名乗らないなんて、ずるいよ。それに先生のことヒヨッコなんて、失礼だ。
オーリ先生は尊敬できる人だから、ぼくは弟子になったんです」
「ほほう」
「それにお父さんの、オスカー・ペリエリの親友だもの。それに、ええと……そう、ソロフっていう偉大な魔法使いの弟子でもあるし」
 白髪の男は吹き出した。
「ソロフを偉大というか。お前は会った事があるのか?」
「いいえ。でも、ええと、ええと」
 顔を赤くして、ステファンは懸命に言葉を継いだ。
「オーリ先生を見ていれば、わかります。落ち込んでいる時だってソロフって師匠のことを話すと、すごく元気になるんだ。先生みたいな立派な人を育てたんだから、きっと偉大な魔法使いに決まってる!」
「カーッカカカカ」
 今度は茶色い物体が妙な笑い声を立てた。
「よう言うた、オスカーの息子よ。さあ、時は来たり。客人を迎えようぞ」
 言い終わらないうちに、ドアをせわしなく叩く音が聞こえた。
「遅いぞ、オーレグ」
 肘掛け椅子で頬杖をついたまま、白髪の男が声を掛けた。
 勢いよくドアが開き、挨拶もそこそこに飛び込んで来た者が居る。
「失礼、わたしの弟子が……ステファン! どうやって?」
 慌てて立ち上がったステファンが事情を説明しようとする間もなく、オーリの手に思い切り引き寄せられてしまった。上着のボタンが鼻に当たって痛い。
「悪かった、窓のトラップのこと、わたしは知らなかったんだ。慌てて庭を探したら靴が落ちているし、ガーゴイルは居なくなっているし、何があったかと……」
 階段を駆け上がってきたのか、心臓がおそろしく速く鳴っている。手にはステファンの落とした靴がしっかりと握られたままだ。
「トラップは去年のパーティに出ておれば判ったはずだ。ガーゴイルもしかり。つまり、事前に確認しておかないお前のミスだな。にも関わらず、この坊主はちゃんと自力でここまで来た。お前のようなヒヨッコには勿体無い弟子だぞ、オーレグ」
 白髪の男の言葉にオーリは居ずまいを正し、最敬礼した。
「ありがとうございます、ソロフ先生」
「ソロフって……ええ? じゃあ、この人が?」
 慌てて振り向き、恐縮して頭を下げるステファンを見て、ソロフと大叔父イーゴリが再び大笑いする。
 
 遅れて到着したユーリアン夫妻は、部屋の中でなぜ魔法使いたちが笑っているのかわからず、しばらく戸惑うことになった。
 

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「ユーリアン、ご苦労であった。“野犬退治”は終わったのか?」
 笑いを含んだ表情で、ソロフが眉を上げた。この部屋から一歩も出ていない、と言いながら、カニスの件を知っているような口ぶりだ。
「ええ、大人しいもんですよ。正気に戻ったら、シッポを巻いて帰ることでしょう――パセリごと天使像に喰われてなきゃ、ですが」
「ついでにソースも添えてやりゃ良かったんだ」
 苦々しい顔で呟くオーリに顔を近づけて、ユーリアンが小声で言った。
「馬鹿やろう、証拠を残さないように鼻の骨を修復するのが大変だったんだぞ。だいたい顔の真ん中を殴る奴があるか。アゴを狙うんだ、アゴを。これだから喧嘩慣れしてない奴は……」
「どちらも変わらん。暴言に対して暴力で返すとは、あまりに軽率。弟子を指導する立場の者として情けないとは思わんか!」
 ソロフの厳しい言葉に、オーリもユーリアンも反射的に“気をつけ”の姿勢をとった。叱られた小僧っ子のような二人を見て、トーニャが肩を揺らし、必死に笑いをこらえている。ステファン一人だけが、何のことだかわからず、目を見開いて大人達の顔を見比べた。
「お前は何のために絵の道を選んだ、オーレグ。いや、オーリローリ・ガルバイヤン」
 大きな皺だらけの手が、オーリの肩を捉えた。
「芸術家ならば芸術家らしい戦いの仕方があろう。それにお前はまだ若い。一時の感情に負けて、みすみす将来に傷を残すな。以前にも言ったはずだ」
 ハッと顔を上げて、オーリはソロフの目を見た。
 ほんの一、二秒。そして老師匠が微笑むのを見ると、再び銀髪を垂れた。
「先生、申し訳ありません。深く心に留めます」

「まあ説教はそのくらいにしておけ、ソロフ。わしも長くは起きておられんでの、まずは小さい坊主の話を聞いてやろうぞ」
 ステファンは慌てて辞書の紐を解き、内ポケットに大事にしまっておいたオスカーの手紙を取り出した。
「この手紙がそもそもの始まりなんです。あの、ぼくのお父さんは二年前から行方がわからなくなってて。あ、そうだ。大叔父様はぼくのお父さんのことをなぜ知ってるんですか? それからええと」
「少し落ち着かねばの、オスカーの息子よ。言葉は整理してから言うものだ。その水晶は?」
 テーブルの上で水晶のペンダントが光っている。オスカーを探すために集めた全ての情報を、トーニャがこの中に込めてくれたはずだ。オーリが手を伸ばし、水晶から鎖を外してイーゴリの顔に近づけた。
「ふむ、記録の石か。悪いがオスカーのことは、この石から直接聞くことにするぞ。そのほうが坊主も話やすかろうて。オーレグ、額に乗せよ」
 茶色いイーゴリの額とおぼしき場所に水晶が置かれた。ほどなく石は青白く光り始め、イーゴリは半眼になった。ソロフも石の上に手を置く。おそらく、一緒に水晶の記録を読んでいるのだろう。以前ステファンが眠っている間にオーリが額に手を触れていた時も、こんな風だったのだろうか。
「ふむ……ふむ。なるほどのう、よく調べたものよ……ふむ」
 モゴモゴと言っていた茶色い口は、やがて水晶の光が消えると同時にふーっと息をついた。
「ときに、この辞書を分解したのは誰かの?」
「ユーリアンですわ、大叔父様」
 トーニャが誇らしげに答えた。
「すみません、貴重な本だとはわかっているのですが。もう魔法は消えていますし、どうしても裏側を調べる必要がありましたので……」
 すまなそうに言うユーリアンを制するようにイーゴリは声をあげた。
「見事だ! 炎使いのユーリアン、ようやった。わしは一度分解を試みて、あまりの難しさに断念したことがある。お前はこういった方面に詳しいのか?」
「いえ、詳しいというわけでは……ただ、魔法書の装丁は特殊ですから、修行時代から興味がありまして。僕の専門は建築ですが、古い屋敷の設計図を調べていると、資料に紛れて時々呪わしい力を持った本に出会うことがあります。その場合一般の目に触れないうちに魔力を封じておく必要がありますので、作業をするうちに分解術も自然と身に付いたようです」
「ますます気に入った。これでオスカーの帰る道も開かれるやも知れんぞ」
「帰る道、って。大叔父様! お父さんがどこに居るか、知ってるんですか?」
 ステファンの心臓がドキンと鳴った。初めて、オスカーの居場所に関する言葉を聞けるかも知れないのだ。
「知っているとも言えるがの。全く知らぬとも……」
「はっきり言ってください!」
 苛立たしげに詰め寄ったのは、ステファンではなくオーリだった。


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ここまで読んでいただいてありがとうございます。
思わせぶりなセリフで引っ張っておいてなんですが、次話分で大きなミスを見つけてしまったので修整にちょっとお時間をいただきます(ペコリ)

その代わり、と言っちゃあなんですが、休眠中の別ブログでも使った古写真をどうぞ。
オーリやステフが生きた時代のモノクロ写真です。(と、いってもうちの父が撮ったむっちゃ昭和な日本の写真ばっかりです。小説の雰囲気とは全然合わないので。念のため)
 ↓
アルバム「昭和30年代」

1950年代という時代は、20世紀のちょうど半ば、第二次世界大戦の痛手から復興しようと、新しいテクノロジーやらポップカルチャーやらが花盛り、エネルギッシュな時代だったのではないでしょうか。
その一方で、古き良き時代の名残りも充分残っていたような。
ちなみにわたし松果はもうちょっと後の時代の生まれですので、その辺は本やWEB上の資料から憶測するしかないんですが。

 でも、どんな時代にも光あれば影あり、です。
華やかな科学文明を謳歌する国がある一方、紛争が続いたり祖国を失ったりした人びともいたわけで。
大国どうしが泥沼のような軍拡競争に向かう足音も聞こえてたわけで。
そのへんの小難しい話は、わたしなどには語れませんが、魔法使い、竜人、竜といったファンタジー世界の住人がもし現実に居たとしたら、この50年代が最後ではなかったのかなーなどと、想像を膨らませてみたわけです。

もちろん、現実とは全く関係ないお話として読んでいただいて結構です。
このお話は、あくまでも50年代の雰囲気を借りた架空世界でのファンタジーなんですから。

松果の趣味全開、修行そっちのけで別の方向へと向かっているような気もしますが。
今後もステファンの成長を温かく見守ってやってくださいませ。



「大叔父様、あなたはいつもそうだ。謎かけのような言葉に逃げて断言することをしない。古(いにしえ)の賢者の口ぶりでも真似てご自分を権威づけてるつもりか? 不愉快だ!」
「オーリ、言いすぎ。失礼よ」
 トーニャにたしなめられてオーリは一度言葉を切ったが、ステファンの顔を見て再び口を開いた。
「ある日突然父親の存在が消える、それが子供にとってどんなにショックな事か、わかりますか? 
死別ならまだあきらめもつく。だが生死もわからない、行方もわからない、そもそも“なぜ居なくなったのか”という疑問にすら、誰も答えてくれない。毎日どれだけ不安な状態と戦わねばならないか、わかりますか? それでもほんの少しでも手掛かりが見つかるならと、この子は懸命に大叔父様を頼って来たんです。それを――」
「ふむ、オスカーの話をしておるのか、それともオーレグよ、お前の父親の話かの?」
 ピシ、と音を立ててオーリの青い火花が散ったように見えた。だがそれはステファンの錯覚に過ぎず、実際は刺すような眼差しがイーゴリ大叔父に向けられただけだった。ソロフが両手を肩の位置で開いておどけるように言う。
「そういじめるな、イーゴリ。わが弟子は忠告を早速聞き入れておとなしくしている。素直なもんじゃないか」
「ではその素直さに免じて先程の非礼は許そうぞ。ソロフ、手短に説明してやってくれぬか」
 まだ鋭い目を向けたままのオーリには構わず、イーゴリは目も口も閉じてだんまりを決め込んでしまった。 

「よろしい、では久々の講義といくか」
 ソロフ師匠は銀色の目で一同をぐるりと見渡した。手にはいつの間にか古い黒檀の杖が握られている。
「さて、弟子たちよ。事を成すには時の試練というものが必要な場合がある。オスカーの手紙を見るがいい、文字の外に何が見える?」
 皆の視線が一斉にテーブルの上に注がれた。もう何度読み返したかしれない、薄黄色の紙片をじっと見つめながらステファンが答えた。
「焦げ跡、です。メルセイの熱針で焼き切ったところ」
「それもあるな。ではその熱針の材料となるものは?」
「電気石(注:)の一種です。普通は圧力や熱を加えることによって電気を発生しますが、ごく稀に空中で落雷を受けさせることによって高熱を発する結晶があり、この性質を利用して鉱物針を研ぎだすことができます」
 よどみ無く答えたのはユーリアンだった。
「その通り。では訊く、その電気石を抱く鉱物とは?」
「花崗岩……あ!」
 言いかけたオーリが目を見開いた。
「そうだオーレグ、お前の住む村でかつて切り出していた花崗岩から熱針の材料は採られた。あの村は強い磁場を持つ断層の上に有るゆえに、古くから魔法使いや魔女が好んで住み着いた場所であった。そして竜人たちには悲劇の場でもあったな」
 ステファンの脳裏に、岩の中に封じられた竜人たちの顔がよぎる。
「オスカーは魔道具の小さな針一本から材料の採石地を調べ出し、竜人たちの悲劇を知り、そして私やイーゴリの元へ辿り着いた。まるで絡まった糸を手繰るようにしてな。ふふふ、面白い奴だ。そしてもうひとつ、重要なことがある。わかる者?」
 黒い杖が手紙を指し示す。
「待って……そう、“罫線”よ。これには最初から違和感があったの。これってただの罫線じゃなくて、特別な意味が有るのではないかしら」
「よく気付いた、魔女トーニャよ」
 満足そうにうなずいて、ソロフは紙片を手に取った。
「この十二本の罫線、これはおそらく“時”を象徴するものだ。オスカーが巡らねばならない時間の長さなのか、それとも――」
「時間の? じゃあ」
 ステファンは懸命に考えを巡らせた。
「お父さんが居なくなってからもうすぐ二年だから、十二時間でも、十二ヶ月でもないよね……まさか、十二年も帰って来られないって意味ですか?」  
「そうとは言ってない。そんな絶望的な顔をするな」
 ソロフが目を向けて微笑んだ。
「この紙を辞書の表紙見返しとして使うことによって、辞書の本体に書かれた言葉は守られていた。だがその片方が切り取られ、守りが失われたとなると、辞書に書かれた言葉の魔力はバランスを失って暴走し、最悪の場合、術者を飲み込むことになろう。オスカーはそれを覚悟した上で、帰る道しるべとして十二本の線を書き残したとも考えられる。その代わり、切り取られた紙片に書かれた言葉は強力な守りと拘束力を得たはずだ。そうだな、オーレグ」
「手紙に拘束力など無くても、わたしはオスカーの願いを叶えるつもりでした。現に、そこに書かれた二年という期限を待たずにステファンを迎えに行ったんだ。ではオスカーは、やはり辞書の中に?」
 沈痛な表情のオーリの隣で、突然ステファンが悲鳴を上げた。
「どうしよう! ぼくとお母さん、魔法を解いて辞書の文字を消しちゃったんだ。お父さんも一緒に消えちゃったかも!」
「慌てるな、どうもお前さんは早とちりすぎるな」
 苦笑いをしながら、ソロフは椅子の上のイーゴリに向き直った。
「どうだイーゴリ、まだ起きていられそうか?」
「むろん。お前の力を見届けねば、な」
 大叔父イーゴリは、茶色い目らしき場所を片方だけ開いて、ニィと気味悪く笑った。
「さて、では」
 ソロフは部屋の中央に立つと、足元に辞書と手紙を置き、杖でトン、と床を突いた。床に金色の紋様が浮かび上がる。一同はさっと飛びのいて、その様子を固唾を呑んで見守った。
「オスカーが今どこに居るかは判らぬ。書き記した十二という数がどういう単位の時間を示すのか、または別の意図があるのかもな。だが辞書の守りが解かれた今なら、彼の意識にまで辿り着けるかも知れぬ。やってみよう」
 足元の紋様は眩いほどに強い光を放ち、ソロフの髪が逆立つ。
「しっかり見ておくんだ、ステフ」
 ステファンの両肩に手を置きながら背後に立つオーリが、緊張した声でつぶやいた。
「あれが、本物の同調魔法だよ。師匠は今、わずかに残った手掛かりを手繰って、オスカーの意識に繋がろうとしているんだ」

 金色の光の中でソロフは目を閉じ、水に潜るように意識を集中している。
 深く。深く。さらに深く。
 やがて光の中に、人間の輪郭のようなものがおぼろげに現れ始めた。
「お……父さん!」
「オスカー!」
 二人の叫ぶ声が、同時に部屋に響いた。


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「ムーンチャイルド」略してムチャ。
トップページでもお知らせしていますが、別ストーリーでお世話になっている投稿サイト「小説家になろう」で開催される、こどもの日にちなんだ企画のことです。何人かの参加者さんのブログ見せてもらってたら、すっかり「ムチャ」って呼び方が定着してるみたいです。なんか可愛いでしょ。 
 詳しくはこちら
     ↓  ↓  ↓
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 こどもの日だからって甘く見ちゃいけませんぜ。
 一応主人公は13歳以下ってことになってますけど、表現が15禁にならなければジャンルは不問ですから、童話とは限りません。
いろんな作家さんの作品をお楽しみあれ。
 
 ちなみにわたしは短編(たぶんジュブナイル)で参加予定です。
 連休明けには投稿できるかな。
 こういう企画は初めてだし、あっちもこっちもで大丈夫かワタシ?と
 迷いましたが、ブログのほうはなんとか十章までの下書きができましたので、
 いっちゃえー!と見切り発車です(いっつもじゃ)

と、言ってたら、ブログ九章3話分で大ミス発見してパニック~!
今後の話の流れブチこわしになりかねない部分なので焦りましたが、なんとか収まりましたよ、うん。
相変わらずドタバタしてる松果ですが、完結まではがんばりますよ。

ムチャもするときゃするさっ!





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趣味で始めたはずの小説にはまってしまった物書き初心者。ちょいレトロなものが好き。ラノベほど軽くはなく、けれど小学生も楽しめる文章を、と心がけています。
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