1950年代の欧州風架空世界を舞台にしたファンタジー小説です。
ちょいレトロ風味の魔法譚。
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カニスはフン、と口髭を揺らし、テーブルに近づいて再びグラスを手にした。オーリもそ知らぬ顔でグラスを取り、隣に立つ。
「オーリローリ・ガルバイヤン、思い出したぞ。この一族には確かそんな別名を持った絵描きが居るらしいな」
「これは光栄です、カニス卿。わたしのほうはご高名をちっとも存じ上げなかったというのに」
嫌味たっぷりにそう言うと、オーリは杯を掲げた。
「そうとも“卿(サー)”だ! この称号を得るために苦労してきたんだからな。貴様ら移民にはわかるまい?」
「わかりたくないですね。称号なんて我々には無用な飾り物だ。自由な立場で居られるからこそ“魔法使い”なんだ。そうじゃないですか?」
オーリの目は壁の照明を受けて冴え冴えと光っている。
「その“無用な飾り”こそが力なのだ。君ら絵描きだってそうだろう、コンペで賞を欲しがらない者が居るかね? 画壇で名を上げたいと思うのは、なぜかね? 結局のところ、画商に少しでも高く買わせた者が勝ち、だからだ。世の中とはそういうものだろう」
「あなたは何もご存じない」
オーリは“軽蔑”の言葉がはっきりと読み取れる顔を見せた。
音楽は流行の曲に変わっている。浮かれた曲調に場違いな表情で、二人の魔法使いは睨みあった。
「ときに、あの少年はどうしました? あなたに虐待されていた、竜人の少年は?」
「ははあ、虐待とはまた大げさな。牛馬に鞭打つのと同じ、飼い主としての正当な行為に過ぎん。まあとうに売り飛ばしたがね」
「売った、だと?」
オーリの眉がぴくりと動いた。
「そうとも。タダで管理区にやることもあるまい、炭鉱や港ではまだまだやつらの需要はあるからな。だがこれからは科学万能の時代だ、我輩には竜人の力などもう要らん。奴らを売った金でいくらでも新しい技術を買って、古くなれば使い捨てればいい。電気機械は文句を言わんからな」
「あなたは、自分が何をしたか判っているのか!」
カニスを睨むオーリは拳を震わせている。銀髪の周りで青白い火花が飛び交い始めた。
「おいおい、何を怒る? 誰でも考えることだろう」
「科学万能だって? では竜人と同じように、魔法使いであるあなたが“必要ない”と言われる日は近いな。契約をカネに換えるだって? ソロフ門下なら決してそんな考えは持たないだろう。 少なくともわたしにとって竜人との契約は、お互いの尊厳を賭けた神聖なものだ!」
カニスは呆気にとられたようにオーリの顔を見ていたが、やがて腹を揺すって笑い出した。
「これは傑作だ! ソロフ門下はいまだにカビの生えた美徳を守っとるというわけか。なるほど君が連れていた美形の竜人なら、別の使い道もあるだろうしな、フフフ。おい、聞くところによると竜人はトカゲのように卵から生まれるそうだが、あの美人もそうかね? では人間と竜人の交配種は……」
鈍い音を立てて髭男がふっとんだ。オーリの右ストレートが顔面にめりこんだのだ。
「それ以上口を開くと、“座興”では済まなくなるぞ!」
オーリの全身はいまや火花ではなく放電光に包まれ、目は恐ろしい色に光っている。
ダンスの熱が最高潮になっている人びとが見向きもしない中、青ざめたカニスはテーブルの隙間に逃げ込もうとした。
ピュイ、と口笛を鳴らしてユーリアンが近づいてくる。
「パートナーチェンジだ、オーリ」
ユーリアンは、オーリの腕を引っ張ってガートルード伯母のほうへ押しやった。
「ああもうひとつ言っておこう。わたしの守護者には美しいヘソがある。つまり胎生だ。卵などでは生まれないんだ、竜人は!」
オーリはまだ言い足りないようだったが、伯母に引っ張られてダンスの渦の中に紛れていった。
「ぶ、無礼な……」
鼻血を流す髭男の前に、スッと白いハンカチが差し出された。
「どうぞこれを。それよりカクテルをご一緒しませんこと?」
トーニャがグラスを手に小首を傾げて微笑んでいる。ぶつぶつ言いながらカニスはハンカチで顔を抑え、おやという表情をした。
「これは……この匂いは……」
途端に惚けたような顔になり、両手をぱたりと床に落とす。
「あら、お気に召さなくて? ほんの少し、香水を沁みこませてただけなのに。それとも忘れ薬だったかしら」
トーニャの紅い唇が三日月の形に微笑む。
恐い怖い、と首をすくめて、ユーリアンはカニスを壁際まで引きずって行き、天使像の下に座らせた。天使像の怪物は目だけじろっと髭男に向け、喰うに値するものかどうかと観察し始めた。
でっぷりとした腹のまわりに短い手足のついた様は服を着たローストチキンのようだ。もちろんユーリアンは、カニスの頭にパセリを飾っておくのを忘れなかった。
ダンスの波に押されながら、オーリはじっと目を閉じて立ち尽くしていた。
伯母の小言と音楽の渦と。
その中でようやく目を開いた時には、放電の光も恐ろしい目の光も消え、彼は思い出したように手を押さえた。
「あ痛っ……今頃になって利いてきた。魔法以外で人を攻撃したのは久しぶりですよ。フフ、結構痛いものですね」
「カニスのような小物相手に野蛮な真似をするからですよ。見せなさい!」
伯母はオーリをダンスの輪の外に出すと、腫れた右手を見た。
「まあ、指の骨にヒビが入ってるじゃないの。画家のくせに手を傷めてどうするのです、まったくこの子は」
魔女の口元がぶつぶつと動き、手の上に長く息を吹きかけた。たちまちに腫れは引いていく。オーリは指を曲げ伸ばして微笑んだ。
「相変わらず見事な治癒魔法だ。子供の頃から何度これで助けてもらったかな」
「えーえ、この甥には悩まされましたとも。身体は弱いしソロフのところから何度も泣いて帰るし……おまえが無事に成人した時には後見人としての役目もこれで終わると、どんなにホッとしたことか。なのに未だにこうやって手を煩わせるのだから」
「申し訳ありません、伯母上。どこの一族にも出来の悪い者が一人くらいはいるんですよ」
ガートルードは、今は亡き妹と同じ瞳をした甥を見て、諦めたようにため息をついた。
「まったくああ言えばこう言う。せめて早く花嫁を迎えなさい、少しは大人になれるでしょうから」
「ご心配なく。心に決めた人なら居ます」
オーリは窓の外の遠い星空に目をやった。
曲はゆったりとしたワルツに変わっている。治してもらったばかりの手を差し出して、オーリはうやうやしく頭を下げた。
「では伯母上、改めて一曲お願いできますか?」
「調子の良い子だこと。ステップは心得ているのでしょうね? ユーリアンより下手だったら遠慮なくお尻を叩きますよ!」
伯母は水色の目でひと睨みして、それでもオーリの手を取り、優雅に舞い始めた。
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「オーリローリ・ガルバイヤン、思い出したぞ。この一族には確かそんな別名を持った絵描きが居るらしいな」
「これは光栄です、カニス卿。わたしのほうはご高名をちっとも存じ上げなかったというのに」
嫌味たっぷりにそう言うと、オーリは杯を掲げた。
「そうとも“卿(サー)”だ! この称号を得るために苦労してきたんだからな。貴様ら移民にはわかるまい?」
「わかりたくないですね。称号なんて我々には無用な飾り物だ。自由な立場で居られるからこそ“魔法使い”なんだ。そうじゃないですか?」
オーリの目は壁の照明を受けて冴え冴えと光っている。
「その“無用な飾り”こそが力なのだ。君ら絵描きだってそうだろう、コンペで賞を欲しがらない者が居るかね? 画壇で名を上げたいと思うのは、なぜかね? 結局のところ、画商に少しでも高く買わせた者が勝ち、だからだ。世の中とはそういうものだろう」
「あなたは何もご存じない」
オーリは“軽蔑”の言葉がはっきりと読み取れる顔を見せた。
音楽は流行の曲に変わっている。浮かれた曲調に場違いな表情で、二人の魔法使いは睨みあった。
「ときに、あの少年はどうしました? あなたに虐待されていた、竜人の少年は?」
「ははあ、虐待とはまた大げさな。牛馬に鞭打つのと同じ、飼い主としての正当な行為に過ぎん。まあとうに売り飛ばしたがね」
「売った、だと?」
オーリの眉がぴくりと動いた。
「そうとも。タダで管理区にやることもあるまい、炭鉱や港ではまだまだやつらの需要はあるからな。だがこれからは科学万能の時代だ、我輩には竜人の力などもう要らん。奴らを売った金でいくらでも新しい技術を買って、古くなれば使い捨てればいい。電気機械は文句を言わんからな」
「あなたは、自分が何をしたか判っているのか!」
カニスを睨むオーリは拳を震わせている。銀髪の周りで青白い火花が飛び交い始めた。
「おいおい、何を怒る? 誰でも考えることだろう」
「科学万能だって? では竜人と同じように、魔法使いであるあなたが“必要ない”と言われる日は近いな。契約をカネに換えるだって? ソロフ門下なら決してそんな考えは持たないだろう。 少なくともわたしにとって竜人との契約は、お互いの尊厳を賭けた神聖なものだ!」
カニスは呆気にとられたようにオーリの顔を見ていたが、やがて腹を揺すって笑い出した。
「これは傑作だ! ソロフ門下はいまだにカビの生えた美徳を守っとるというわけか。なるほど君が連れていた美形の竜人なら、別の使い道もあるだろうしな、フフフ。おい、聞くところによると竜人はトカゲのように卵から生まれるそうだが、あの美人もそうかね? では人間と竜人の交配種は……」
鈍い音を立てて髭男がふっとんだ。オーリの右ストレートが顔面にめりこんだのだ。
「それ以上口を開くと、“座興”では済まなくなるぞ!」
オーリの全身はいまや火花ではなく放電光に包まれ、目は恐ろしい色に光っている。
ダンスの熱が最高潮になっている人びとが見向きもしない中、青ざめたカニスはテーブルの隙間に逃げ込もうとした。
ピュイ、と口笛を鳴らしてユーリアンが近づいてくる。
「パートナーチェンジだ、オーリ」
ユーリアンは、オーリの腕を引っ張ってガートルード伯母のほうへ押しやった。
「ああもうひとつ言っておこう。わたしの守護者には美しいヘソがある。つまり胎生だ。卵などでは生まれないんだ、竜人は!」
オーリはまだ言い足りないようだったが、伯母に引っ張られてダンスの渦の中に紛れていった。
「ぶ、無礼な……」
鼻血を流す髭男の前に、スッと白いハンカチが差し出された。
「どうぞこれを。それよりカクテルをご一緒しませんこと?」
トーニャがグラスを手に小首を傾げて微笑んでいる。ぶつぶつ言いながらカニスはハンカチで顔を抑え、おやという表情をした。
「これは……この匂いは……」
途端に惚けたような顔になり、両手をぱたりと床に落とす。
「あら、お気に召さなくて? ほんの少し、香水を沁みこませてただけなのに。それとも忘れ薬だったかしら」
トーニャの紅い唇が三日月の形に微笑む。
恐い怖い、と首をすくめて、ユーリアンはカニスを壁際まで引きずって行き、天使像の下に座らせた。天使像の怪物は目だけじろっと髭男に向け、喰うに値するものかどうかと観察し始めた。
でっぷりとした腹のまわりに短い手足のついた様は服を着たローストチキンのようだ。もちろんユーリアンは、カニスの頭にパセリを飾っておくのを忘れなかった。
ダンスの波に押されながら、オーリはじっと目を閉じて立ち尽くしていた。
伯母の小言と音楽の渦と。
その中でようやく目を開いた時には、放電の光も恐ろしい目の光も消え、彼は思い出したように手を押さえた。
「あ痛っ……今頃になって利いてきた。魔法以外で人を攻撃したのは久しぶりですよ。フフ、結構痛いものですね」
「カニスのような小物相手に野蛮な真似をするからですよ。見せなさい!」
伯母はオーリをダンスの輪の外に出すと、腫れた右手を見た。
「まあ、指の骨にヒビが入ってるじゃないの。画家のくせに手を傷めてどうするのです、まったくこの子は」
魔女の口元がぶつぶつと動き、手の上に長く息を吹きかけた。たちまちに腫れは引いていく。オーリは指を曲げ伸ばして微笑んだ。
「相変わらず見事な治癒魔法だ。子供の頃から何度これで助けてもらったかな」
「えーえ、この甥には悩まされましたとも。身体は弱いしソロフのところから何度も泣いて帰るし……おまえが無事に成人した時には後見人としての役目もこれで終わると、どんなにホッとしたことか。なのに未だにこうやって手を煩わせるのだから」
「申し訳ありません、伯母上。どこの一族にも出来の悪い者が一人くらいはいるんですよ」
ガートルードは、今は亡き妹と同じ瞳をした甥を見て、諦めたようにため息をついた。
「まったくああ言えばこう言う。せめて早く花嫁を迎えなさい、少しは大人になれるでしょうから」
「ご心配なく。心に決めた人なら居ます」
オーリは窓の外の遠い星空に目をやった。
曲はゆったりとしたワルツに変わっている。治してもらったばかりの手を差し出して、オーリはうやうやしく頭を下げた。
「では伯母上、改めて一曲お願いできますか?」
「調子の良い子だこと。ステップは心得ているのでしょうね? ユーリアンより下手だったら遠慮なくお尻を叩きますよ!」
伯母は水色の目でひと睨みして、それでもオーリの手を取り、優雅に舞い始めた。
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称号について
架空のお話ですけど、英国の称号をモデルにしているのでサー(sir)って言葉を使ってます。
貴族に与えられる爵位よりずっと下位、ほとんど名誉称号ですね。
「卿」の字をあててますが、sirだけでなく、いろんな階層の訳として「卿」の字は便利に使われてるみたい。
前回出た知事に対して「閣下」って言ってるのも、洋物の雰囲気を出す為でありまして。
日本の知事さんなら「先生」ですかね。
称号について
架空のお話ですけど、英国の称号をモデルにしているのでサー(sir)って言葉を使ってます。
貴族に与えられる爵位よりずっと下位、ほとんど名誉称号ですね。
「卿」の字をあててますが、sirだけでなく、いろんな階層の訳として「卿」の字は便利に使われてるみたい。
前回出た知事に対して「閣下」って言ってるのも、洋物の雰囲気を出す為でありまして。
日本の知事さんなら「先生」ですかね。
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