1950年代の欧州風架空世界を舞台にしたファンタジー小説です。
ちょいレトロ風味の魔法譚。
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オーリから託された辞書をしっかりと抱きかかえ、ステファンは庭伝いに四番目の窓に向かった。
磨きこまれたガラスの向こうは、賑やかな広間とは対象的な、しんとした吹き抜けの階段ホールだ。黒いアイアンレースの手すりが美しい螺旋階段が目に入る。上り口では乙女の姿をした彫刻が天を指差していた。
中に入ろうとしたステファンは、窓に鍵が掛かっていることに気付いた。
「嘘! こんなのないよ、先生」
ステファンはニ、三度むなしく窓を揺すった後、ガラスに顔をくっつけて鍵の具合を見た。縦長い掃きだし窓は、中央に一つ、ステファンの背丈よりずっと高い場所に一つ、簡単な掛け金式の鍵が付いている。もっとも、上のほうは錆びて外れているようだが。
「どうしよう。先生なら、こんなの簡単に開けちゃうんだろうけど……」
開錠なんて初歩の魔法、以前にオーリはそう言っていた。けれど、ステファンはその“初歩”すら知らないのだ。もう一度広間に帰って別の入り口を探してみようか、とも思ったが、広間はあの髭男のことでもめているに違いない。恐ろしい三人の魔女につかまるのも面倒だ。
――ひょっとして、ぼくにもできたりしないかな。
ステファンは窓を見つめて唾を飲み込んだ。鍵は簡単な作りだ。掛け金を持ち上げさえすれば……
「やってみれば?」
突然後ろから声を掛けられて、ステファンは飛び上がった。誰も居ないと思っていたのに、いつの間にか少年が一人、芝生の上からこちらを見ていた。年の頃はステファンと同じくらいだろうが、襟の高い黒い服に身を包み、長い金髪をきっちり分けた姿はずっと大人びて見える。
「あ、ええと、ぼく……」
ステファンはわけもなく焦った。別に悪い事をしていたわけではないが、なんだかいたずらを見咎められたような気分だ。
「でも普通の“開錠”くらいじゃ入れないけど。その鍵、トラップなんだ」
少年はステファンになどお構いなしに窓を指差した。カチリと音がして、掛け金が外れるのが見える。途端にカーテンのドレープが崩れ、重量感のある分厚い布がガラスの向こう側に垂れ下がった。
「ほらね。知らずに入ろうとすると、あのカーテンにつかまるよ。別にケガはしないけど、きっとパーティが終わるまで離してもらえない。あいつ退屈してるんだよ、ずっとここで番をしてるだけから」
「え、そ、そうなんだ。ありがとう……って君、もしかして魔法使い?」
「そうだよ。君もだろ?」
少年がけげんそうな顔をするのを見て、ステファンは自分の間抜けな言葉を恥じた。確かに、今日がどんなパーティかを思えば、自分以外にも子どもの魔法使いが居ても不思議ではない。広間では気付かなかっただけかも知れないのだ。
「すごいな。ぼくなんかまだ、見習いっていうか……七月から始めたばっかりで、杖も持ってないし」
簡単に“開錠”の魔法を使って見せた相手を前にして、ステファンは気後れを感じた。
「ふーん、見習いか。でも杖なんて本当は必要ないかもしれないよ。要は、自分が何をしたいかってことさ。君は、ここで何をしようとしてたの?」
少年の言葉に、ステファンは自分のするべき事を思い出した。
「ぼく、大叔父様に会わなきゃ。ね、あの階段のところまで行けないかな?」
「階段に用があるの?」
「そうじゃなくて、大叔父様に会うにはあの彫刻に道を教えてもらわなくちゃいけないんだ」
「ああ、大叔父様ってイーゴリのことか。君、彼の何?」
ぼくは、と言い掛けてステファンは不審な目で少年を見返した。大叔父様の名がイーゴリなのは初めて知ったが、えらく気安そうなこの少年こそ、何者だ?
「ぼくはステファン。オーリ、じゃなかった、オーレグ・ガルバイヤン先生の弟子だよ。君こそ、誰?」
「ああ、オーレグ、なるほどね。この窓のトラップのこと、知らなかったはずだ。イーゴリの部屋に行きたいなら、直接行く方法を教えてやればいいのに」
少年に可笑しそうに言われて、ステファンはむっとした。
「だから君、誰? 直接行く方法って、わ、わわっ」
突然身体がふわりと浮き始めた。同じく少年も宙に浮きながら、ステファンの腕をつかむ。
「フローティング・ポルカだよ。広間から聞こえるだろ? 教えてもらってないの?」
「だからぼくはまだ見習いで、ひぁああ!」
浮遊(フローティング)どころか、急に高く舞い上がりながらステファンは目を回した。腕の中の辞書だけは必死に落とすまいとしたが靴が片っ方脱げて落ちてしまった。
「ドジだな。そら、ガーゴイルに掴まって!」
夢中で左手を伸ばし、軒下から突き出した冷たい石像にしがみつく。
「イーゴリの部屋はこの真上、三番目のガーゴイルの下にある窓から入るんだよ。じゃ、あとは自力で頑張るんだね」
「自力でって……ちょっとーっ!」
石像にぶら下がって慌てふためくステファンをよそに、少年の姿は消えていた。
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磨きこまれたガラスの向こうは、賑やかな広間とは対象的な、しんとした吹き抜けの階段ホールだ。黒いアイアンレースの手すりが美しい螺旋階段が目に入る。上り口では乙女の姿をした彫刻が天を指差していた。
中に入ろうとしたステファンは、窓に鍵が掛かっていることに気付いた。
「嘘! こんなのないよ、先生」
ステファンはニ、三度むなしく窓を揺すった後、ガラスに顔をくっつけて鍵の具合を見た。縦長い掃きだし窓は、中央に一つ、ステファンの背丈よりずっと高い場所に一つ、簡単な掛け金式の鍵が付いている。もっとも、上のほうは錆びて外れているようだが。
「どうしよう。先生なら、こんなの簡単に開けちゃうんだろうけど……」
開錠なんて初歩の魔法、以前にオーリはそう言っていた。けれど、ステファンはその“初歩”すら知らないのだ。もう一度広間に帰って別の入り口を探してみようか、とも思ったが、広間はあの髭男のことでもめているに違いない。恐ろしい三人の魔女につかまるのも面倒だ。
――ひょっとして、ぼくにもできたりしないかな。
ステファンは窓を見つめて唾を飲み込んだ。鍵は簡単な作りだ。掛け金を持ち上げさえすれば……
「やってみれば?」
突然後ろから声を掛けられて、ステファンは飛び上がった。誰も居ないと思っていたのに、いつの間にか少年が一人、芝生の上からこちらを見ていた。年の頃はステファンと同じくらいだろうが、襟の高い黒い服に身を包み、長い金髪をきっちり分けた姿はずっと大人びて見える。
「あ、ええと、ぼく……」
ステファンはわけもなく焦った。別に悪い事をしていたわけではないが、なんだかいたずらを見咎められたような気分だ。
「でも普通の“開錠”くらいじゃ入れないけど。その鍵、トラップなんだ」
少年はステファンになどお構いなしに窓を指差した。カチリと音がして、掛け金が外れるのが見える。途端にカーテンのドレープが崩れ、重量感のある分厚い布がガラスの向こう側に垂れ下がった。
「ほらね。知らずに入ろうとすると、あのカーテンにつかまるよ。別にケガはしないけど、きっとパーティが終わるまで離してもらえない。あいつ退屈してるんだよ、ずっとここで番をしてるだけから」
「え、そ、そうなんだ。ありがとう……って君、もしかして魔法使い?」
「そうだよ。君もだろ?」
少年がけげんそうな顔をするのを見て、ステファンは自分の間抜けな言葉を恥じた。確かに、今日がどんなパーティかを思えば、自分以外にも子どもの魔法使いが居ても不思議ではない。広間では気付かなかっただけかも知れないのだ。
「すごいな。ぼくなんかまだ、見習いっていうか……七月から始めたばっかりで、杖も持ってないし」
簡単に“開錠”の魔法を使って見せた相手を前にして、ステファンは気後れを感じた。
「ふーん、見習いか。でも杖なんて本当は必要ないかもしれないよ。要は、自分が何をしたいかってことさ。君は、ここで何をしようとしてたの?」
少年の言葉に、ステファンは自分のするべき事を思い出した。
「ぼく、大叔父様に会わなきゃ。ね、あの階段のところまで行けないかな?」
「階段に用があるの?」
「そうじゃなくて、大叔父様に会うにはあの彫刻に道を教えてもらわなくちゃいけないんだ」
「ああ、大叔父様ってイーゴリのことか。君、彼の何?」
ぼくは、と言い掛けてステファンは不審な目で少年を見返した。大叔父様の名がイーゴリなのは初めて知ったが、えらく気安そうなこの少年こそ、何者だ?
「ぼくはステファン。オーリ、じゃなかった、オーレグ・ガルバイヤン先生の弟子だよ。君こそ、誰?」
「ああ、オーレグ、なるほどね。この窓のトラップのこと、知らなかったはずだ。イーゴリの部屋に行きたいなら、直接行く方法を教えてやればいいのに」
少年に可笑しそうに言われて、ステファンはむっとした。
「だから君、誰? 直接行く方法って、わ、わわっ」
突然身体がふわりと浮き始めた。同じく少年も宙に浮きながら、ステファンの腕をつかむ。
「フローティング・ポルカだよ。広間から聞こえるだろ? 教えてもらってないの?」
「だからぼくはまだ見習いで、ひぁああ!」
浮遊(フローティング)どころか、急に高く舞い上がりながらステファンは目を回した。腕の中の辞書だけは必死に落とすまいとしたが靴が片っ方脱げて落ちてしまった。
「ドジだな。そら、ガーゴイルに掴まって!」
夢中で左手を伸ばし、軒下から突き出した冷たい石像にしがみつく。
「イーゴリの部屋はこの真上、三番目のガーゴイルの下にある窓から入るんだよ。じゃ、あとは自力で頑張るんだね」
「自力でって……ちょっとーっ!」
石像にぶら下がって慌てふためくステファンをよそに、少年の姿は消えていた。
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