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画廊のキアンが帰った後、オーリは新聞社や雑誌社に使い魔のカラスを送った。ここしばらく郵便と電話に仕事を取られていたカラスどもは、喜んで飛び立って行った。
「信じらんないよ! どうしてあの嫌な髭男の顔なんて描くの?」
最後の一羽が飛び立つと、ステファンは抗議した。オーリの仕事に口出しをするつもりはなかったが、今度の絵はエレインがモデルになっているのだ。その画面によりによってあの憎たらしい顔を描き入れるなんて、絵が穢されるような気がして嫌だった。
「うーん、やっぱりイメージだけじゃ似てこないもんだなあ。写真が届くのを待つか」
オーリは呑気に鉛筆を指で回しながら、スケッチブックにカニスの髭づらを描き起こしている。
「先生ってば!」
「あ、ステフ。君のお茶、美味しかったよ。お代わりをポットで持ってきてくれるかな」
全く意に介せず、といったオーリの態度にぷうっと頬を膨らませて、ステファンは乱暴にティーカップを下げた。
「そんな扱いをしちゃカップが傷つくわよ。それ、マーシャのお気に入りなんだから」
「だって! エレインも先生に何とか言ってよ、カニスなんかと一緒に描かれて平気なの?」
憤慨するステファンと共に階段を下りながら、エレインはふっと微笑んだ。
「絵のことでは彼に何を言ってもムダよ。完成を待ちましょ。オーリのことだから、きっと何か企んでるに違いないわ」
そうして先に下り、階段のステファンを見上げて言う。
「あたしのために怒ってくれてありがと、ステフ」
どきりとして、ステファンは立ち止まった。何だろう、最近のエレインは。明るい緑色の瞳は変わらないが、時々竜人らしい猛々しさが消えて妙に雰囲気が和らぐ時がある。以前なら真っ先にオーリに抗議するのは彼女の役目だったろうに。
「なんだよ! なんだよなんだよ先生もエレインも! ぼく一人で怒ってバカみたいだ!」
ステファンは赤い顔をしてキッチンに向かい、次はうんと苦いお茶を淹れてやろう、と思いながらケトルを火にかけた。
しかしそんな腹立ちも、翌日からのオーリの苦闘ぶりを見ているうちに消し飛んでしまった。これまでも昼夜の区別なく絵に向かうのは大変そうだったが、オーリはむしろその大変さを楽しんでいるようにさえ見えたものだ。けれど仕上げの段階になって、彼は苦しい表情を隠さなくなってきた。
絵の中の竜人たちは、完成が近づくにつれて命を持ったかのように生々しい存在感を示すようになった。オーリは逆にひと筆ごとに憔悴していくかに見える。まるで自分の魔力を削って絵に分け与えているようだ、とステファンは思った。
心配してそれを口に出すと、隈のできた目元に笑みを浮かべてオーリは答えた。
「作品を世に送り出すというのは、そういうことなんだよ」
愛用のマホガニーのパレットはすでに何色の絵の具がこびりついているかわからない。さらにその上で新しい絵の具がぐしゃぐしゃにせめぎ合い、オーリの格闘ぶりを示している。オーリはそれを抱え、これでもか、これでもかと筆を運ぶ。
エレインはただ黙って見守っていた。
そしてある寒い日。夜通し描き続けていたオーリは脚立に上り、最上部の竜人を描き終えたところで筆を止めた。絵の具の染み付いた手を照明に向けると、それに応じるように灯りが消える。いつの間にか夜は明け、北側の天窓からは、柔らかい朝陽が光の帯を投げかけていた。オーリは自然光の中でしばらく絵を見つめ、よし、とひと言短く言ってうなずいた。
天井の梁の上で見ていたエレインはうなずき返すと、腕を伸ばして絵の具に汚れた顔をしっかりと抱き寄せた。
眠くて半ば朦朧としていたステファンの目に、不思議な光景が映る。下絵に塗り込められていたはずの翼を持つ天使が絵を抜け出し、オーリに賞賛のキスを与えている――どこまでが現実でどこまでが夢なのかはっきりしないまま、ただあの絵が完成したのだということだけ、分かった。ステファンは安堵の息をつき、アトリエの壁にもたれたまま眠りに落ちた。
気が付けば、十月も半ばになっていた。
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後半加筆しました。
さて、次話オーリの絵の全容がわかる……かな?
更新は7/1(火)の予定です。