1950年代の欧州風架空世界を舞台にしたファンタジー小説です。
ちょいレトロ風味の魔法譚。
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ウルリク……聞きなれない名前にステファンは首をかしげた。
「君が知らなくても無理はないよ。屋根から落ちた時、ウルリクはまだ十歳にも満たなかった。六人の伯父さんの中でも――伯父さんというのは可哀想かな、死者は年を取らないから――一番早くに亡くなったし、ミレイユさんもこの名を口にしたことはなかっただろう」
オーリは言葉を切ると、トーニャに目を向けた。
「エレインに子守を任せてていいのか? ちょっと見てきたら?」
ところがトーニャはちらっと庭を振り返ったただけで、席を立とうとはしない。
「人払いをするのが下手ね。それともミレイユの不幸話とやらが胎教に悪いとでも? ご心配なく、魔女はそんなにヤワじゃないから。さ、続けて」
オーリは諦めたように息をつくと、これは全てオスカーから聞いた話だけど、と前置きしてから語り始めた。
ウルリクはミレイユより一つ上の兄だ。リーズ家の他の子供と同じく魔力を持ってはいたが、おとなしくて体が弱かったので、ミレイユとは似たような立場だった。上の兄姉にいじめられると、二人は花壇の隅だの屋根裏だのに逃げ込んでは、一緒に空想のお話を作って現実の憂さを忘れた。ミレイユにとってはただ一人の味方だったと言える。
ところがウルリクが十歳になる直前、突然彼は空を飛んでみせると言いはじめた。またいつもの空想話だろうと思ったミレイユが飛ぶところを見せて欲しい、とからかうと、ウルリクは他の兄姉が寝静まった後、ミレイユを連れて屋根裏から外へ出た。そして――
「飛んだの?」
ステファンは聞かずにはいられなかった。
「ああ。ほんの数秒間、確かにミレイユの目の前で飛んでみせたそうだ。でもその直後……」
「落ちたのね」
あっさりと言葉を継ぐトーニャに、オーリは眉をしかめた。
「ミレイユさんは泣きながら他の兄姉を起こしたところまでは覚えているが、その後のことは覚えていないそうだ。気が付けば家族は嘆きつつも、勝手に結論を出していた。事故の前日に煙突掃除夫が屋根に上がるところをウルリクは面白がって見てたから、きっとその真似をしようとして、足を滑らせたのだろう、と。
ミレイユさんは何度も本当のことを告げたが、誰にも取り合ってもらえなかった。
ステファン、事故なんだよ。家族の出した結論はある意味正しかった。夢見がちな子供が空を飛ぶ真似をした、そして運悪く墜落死した。八歳の女の子がそれを止められなかったからといって責めを負うべきではない」
ステファンはうつむいて膝の上でこぶしを握り締めた。
「でもミレイユさんは自分を許せなかったんだろう。彼女はそれから、絵本やおとぎ話の本を全て捨てた。玩具の動物も、一つだけ持っていた人形も。彼女にとっては、兄が持っていた魔力はもちろん、子供らしい夢や空想ですら、罪悪と同じ意味を持つようになったようだ。彼女はわずか八歳にして、現実しか見ない、信じない生き方をするようになった。ウルリクを野辺に送った時、ミレイユさんは自分の童心も一緒に葬ってしまったんだね」
窓のカーテンを揺らして風が吹いてくる。風が運ぶアーニャの笑い声に、ステファンは耳を塞ぎたくなった。
「そう、それが“最大の不幸”と言うわけ。珍しくもない。そんな話なら魔女の間ではザラにあるわよ」
冷めた口調で言ってのけるトーニャをユーリアンは慌ててたしなめた。
「トーニャ! ステファンの前でそんな……」
「いいよ、ユーリアンさん」
ステファンはやや青ざめた顔をキッと上げた。
「先生は、だからお父さんが魔法で嫌な記憶を消したって思うんだね。でもぼくのことは? ぼくの魔力とウルリクは関係ないでしょう」
オーリは重い表情でステファンの頭に手を置いた。
「ステフ、君はウルリクに似たところがあるそうだ。その茶色い髪といい、本ばかり読んで空想癖のあるところといい、ミレイユさんは君が成長するにつれて、どうしてもウルリクの姿とダブってしまうようになった。やがて君に魔力があることがわかると、毎夜悪夢にうなされて、しばしばオスカーに泣きながら言っていたそうだ。あの子はきっと十歳まで生きられない、ウルリク兄さんのようにいつか手の届かない場所へ行ってしまうに違いない、とね」
ステファンは唇をかんだ。母がヒステリックに叱る時、そんな思いをしていたとは知らなかった。
「ねえトーニャ。母親が自分の子供の成長を喜べず、むしろ恐れてしまう、そういうのは不幸とは言わないのかな?」
オーリの問いかけに、トーニャは片眉を上げただけで答えなかった。
「わたしはオスカーに癒しの魔法をいくつか教え、医者に行くことも勧めたよ。だから七月にステフを迎えに行った時、ミレイユさんが別人のように元気にまくしたてるのを見てホッとしたぐらいだ。あれが忘却魔法のせいだったとは……」
「大変だ!」
ステファンは突然立ち上がった。
「もう魔法は解かれちゃったんだ。お母さんはウルリクのことを思い出して、また泣いてるよ、きっと!」
「そうかしら」
トーニャが指先の紅い爪をひらりと舞わせて、暖炉の上から手鏡を引き寄せた。
「その心配は無いようよ。ミレイユはもう行動を起こしてる。見なさい、ここはどこかしらね」
手鏡を覗き込んだトーニャは、ステファンを手招きした。
ステファンが手鏡を覗くと、そこにはパラソルを差したミレイユの姿が映っていた。強い意志を秘めた顔で、彼女は古い館を見上げている。
「ここはたしか……おじいちゃんの家だ。一番恐い伯母さんが住んでるはずだよ。なんでお母さんが?」
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「君が知らなくても無理はないよ。屋根から落ちた時、ウルリクはまだ十歳にも満たなかった。六人の伯父さんの中でも――伯父さんというのは可哀想かな、死者は年を取らないから――一番早くに亡くなったし、ミレイユさんもこの名を口にしたことはなかっただろう」
オーリは言葉を切ると、トーニャに目を向けた。
「エレインに子守を任せてていいのか? ちょっと見てきたら?」
ところがトーニャはちらっと庭を振り返ったただけで、席を立とうとはしない。
「人払いをするのが下手ね。それともミレイユの不幸話とやらが胎教に悪いとでも? ご心配なく、魔女はそんなにヤワじゃないから。さ、続けて」
オーリは諦めたように息をつくと、これは全てオスカーから聞いた話だけど、と前置きしてから語り始めた。
ウルリクはミレイユより一つ上の兄だ。リーズ家の他の子供と同じく魔力を持ってはいたが、おとなしくて体が弱かったので、ミレイユとは似たような立場だった。上の兄姉にいじめられると、二人は花壇の隅だの屋根裏だのに逃げ込んでは、一緒に空想のお話を作って現実の憂さを忘れた。ミレイユにとってはただ一人の味方だったと言える。
ところがウルリクが十歳になる直前、突然彼は空を飛んでみせると言いはじめた。またいつもの空想話だろうと思ったミレイユが飛ぶところを見せて欲しい、とからかうと、ウルリクは他の兄姉が寝静まった後、ミレイユを連れて屋根裏から外へ出た。そして――
「飛んだの?」
ステファンは聞かずにはいられなかった。
「ああ。ほんの数秒間、確かにミレイユの目の前で飛んでみせたそうだ。でもその直後……」
「落ちたのね」
あっさりと言葉を継ぐトーニャに、オーリは眉をしかめた。
「ミレイユさんは泣きながら他の兄姉を起こしたところまでは覚えているが、その後のことは覚えていないそうだ。気が付けば家族は嘆きつつも、勝手に結論を出していた。事故の前日に煙突掃除夫が屋根に上がるところをウルリクは面白がって見てたから、きっとその真似をしようとして、足を滑らせたのだろう、と。
ミレイユさんは何度も本当のことを告げたが、誰にも取り合ってもらえなかった。
ステファン、事故なんだよ。家族の出した結論はある意味正しかった。夢見がちな子供が空を飛ぶ真似をした、そして運悪く墜落死した。八歳の女の子がそれを止められなかったからといって責めを負うべきではない」
ステファンはうつむいて膝の上でこぶしを握り締めた。
「でもミレイユさんは自分を許せなかったんだろう。彼女はそれから、絵本やおとぎ話の本を全て捨てた。玩具の動物も、一つだけ持っていた人形も。彼女にとっては、兄が持っていた魔力はもちろん、子供らしい夢や空想ですら、罪悪と同じ意味を持つようになったようだ。彼女はわずか八歳にして、現実しか見ない、信じない生き方をするようになった。ウルリクを野辺に送った時、ミレイユさんは自分の童心も一緒に葬ってしまったんだね」
窓のカーテンを揺らして風が吹いてくる。風が運ぶアーニャの笑い声に、ステファンは耳を塞ぎたくなった。
「そう、それが“最大の不幸”と言うわけ。珍しくもない。そんな話なら魔女の間ではザラにあるわよ」
冷めた口調で言ってのけるトーニャをユーリアンは慌ててたしなめた。
「トーニャ! ステファンの前でそんな……」
「いいよ、ユーリアンさん」
ステファンはやや青ざめた顔をキッと上げた。
「先生は、だからお父さんが魔法で嫌な記憶を消したって思うんだね。でもぼくのことは? ぼくの魔力とウルリクは関係ないでしょう」
オーリは重い表情でステファンの頭に手を置いた。
「ステフ、君はウルリクに似たところがあるそうだ。その茶色い髪といい、本ばかり読んで空想癖のあるところといい、ミレイユさんは君が成長するにつれて、どうしてもウルリクの姿とダブってしまうようになった。やがて君に魔力があることがわかると、毎夜悪夢にうなされて、しばしばオスカーに泣きながら言っていたそうだ。あの子はきっと十歳まで生きられない、ウルリク兄さんのようにいつか手の届かない場所へ行ってしまうに違いない、とね」
ステファンは唇をかんだ。母がヒステリックに叱る時、そんな思いをしていたとは知らなかった。
「ねえトーニャ。母親が自分の子供の成長を喜べず、むしろ恐れてしまう、そういうのは不幸とは言わないのかな?」
オーリの問いかけに、トーニャは片眉を上げただけで答えなかった。
「わたしはオスカーに癒しの魔法をいくつか教え、医者に行くことも勧めたよ。だから七月にステフを迎えに行った時、ミレイユさんが別人のように元気にまくしたてるのを見てホッとしたぐらいだ。あれが忘却魔法のせいだったとは……」
「大変だ!」
ステファンは突然立ち上がった。
「もう魔法は解かれちゃったんだ。お母さんはウルリクのことを思い出して、また泣いてるよ、きっと!」
「そうかしら」
トーニャが指先の紅い爪をひらりと舞わせて、暖炉の上から手鏡を引き寄せた。
「その心配は無いようよ。ミレイユはもう行動を起こしてる。見なさい、ここはどこかしらね」
手鏡を覗き込んだトーニャは、ステファンを手招きした。
ステファンが手鏡を覗くと、そこにはパラソルを差したミレイユの姿が映っていた。強い意志を秘めた顔で、彼女は古い館を見上げている。
「ここはたしか……おじいちゃんの家だ。一番恐い伯母さんが住んでるはずだよ。なんでお母さんが?」
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Comment
そんな過去が…。
ミレイユの中に、拭えない記憶が存在していたんですね…。
厳しいミレイユの仮面の下が、覗いた感じ…。
ミレイユはどうするつもりなんだろう…。行動を起こした??
自分の中の哀しい過去と対面するのかな。
ミレイユ!頑張って!!!
厳しいミレイユの仮面の下が、覗いた感じ…。
ミレイユはどうするつもりなんだろう…。行動を起こした??
自分の中の哀しい過去と対面するのかな。
ミレイユ!頑張って!!!
ミナモさんへ
続けて読んでくれたみたいで、ありがとうございます!
じつはお話の冒頭でミレイユを登場させた時から、このお母さん、もっと書き込みたいわ~と狙ってたりして(笑)
でも回想シーンを長々と書くのは、クドいかなー、お話全体がコミカルなのに浮いてしまわないかなーと迷って、結局二段階に分けることにしました。
保管庫で見た記憶は、ステフが直接理解できる範囲。
ウルリクのエピソードは、そのまんまではステフがミレイユの荷を背負い込んでしまいそうなので、オーリというフィルターを通して語りました。
ミレイユ母さんにはつい、肩入れしちゃいますね。
彼女、本来は強い人ですから、きっと頑張りますよ。
じつはお話の冒頭でミレイユを登場させた時から、このお母さん、もっと書き込みたいわ~と狙ってたりして(笑)
でも回想シーンを長々と書くのは、クドいかなー、お話全体がコミカルなのに浮いてしまわないかなーと迷って、結局二段階に分けることにしました。
保管庫で見た記憶は、ステフが直接理解できる範囲。
ウルリクのエピソードは、そのまんまではステフがミレイユの荷を背負い込んでしまいそうなので、オーリというフィルターを通して語りました。
ミレイユ母さんにはつい、肩入れしちゃいますね。
彼女、本来は強い人ですから、きっと頑張りますよ。