1950年代の欧州風架空世界を舞台にしたファンタジー小説です。
ちょいレトロ風味の魔法譚。
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「ふ、まあいいわ。さて、この中から何か手掛かりが見つかるといいけど」
メモ帳を繰るトーニャの表情は、笑いを含んでいる。心を見透かされているようでステファンは不愉快だったが、ここは我慢して力を借りるしかない。
「トーニャ、くれぐれも言っとくけど、これは仕事として頼んでるわけじゃないから」
オーリは油断なく魔女の手元を見ながら、釘をさすように言った。
「当たり前よ。いくら魔女がゴシップ好きでも友人探しまで記事のネタになんかしない。そのくらいの節度はわきまえているわ。それより問題はオスカーの手紙ね」
「んー、わからないことだらけなんだよなあ」
ユーリアンはさっきから辞書とオスカーの手紙を何度もひっくり返して見ている。裏表紙の見返しと一続きの余白ページが、綴じ代を僅かに残してきれいに焼き切られている。
「最初にオーリからこの手紙を見せられた時にもいろいろ調べたけど、おかしいと思ってたんだ。紙の繊維が、罫線に対して横目になってる。つまり本来なら縦長で使うべき紙を、わざわざ横にして使ってる。なぜだろう、とね。まさか辞書の余白ページを使ったとは思わなかったよ」
「ぼく、その手紙には続きがあると思ってた」
ステファンは最初にこの手紙を見た時のことを思い出して残念そうに言った。
「わたしもだ。最後の行のすぐ下が焦げてるものな。ページを焼き切ったとは……普通に切ったり破いたりできなかったってことか?」
「それもある」
ユーリアンは黒く大きな目で丹念に焦げ跡を透かし見た。
「トーニャが言うには、古い魔女が祭文に使った特種な紙だそうだ。ドラゴンの油を漉きこむそうだよ。この黒い焦げ色はその脂肪分が燃えた、炭素の色だ。この紙には言葉を守る力があると言われているが、手で引っ張ったくらいではもちろん破けないし、刃物を当てようとすると逆に呪いを受ける。オーリ、もう魔法は解かれたわけだし、辞書を分解してみてもいいかな」
「ああ、もちろん。ただ気をつけてくれ、ユーリアン」
ユーリアンは杖を持ってくると、慎重に辞書に向けた。
微振動が置き、ぱらぱらとページが開いて、辞書がひとりでに分解され始める。ステファンはごくりと唾を飲み込んだ。
「まず表紙だ。この革はカーフ(子牛革)に似てるが……違うかな。絶滅した一角牛の革かも……次に見返し部分……破かないように剥がしてと……ああ、やっぱりだ。ステファン、君なら読めるかな。裏に何か書いてあるだろう」
ステファンは懸命に目を凝らし、滲むような薄い文字を読み上げた。
「“ただメルセイの熱針をもってのみ我を分かつべし”」
「よく読めるわね!わたしにはインク染みにしか見えないわ」
驚きの声をあげるトーニャをよそに、オーリはユーリアンと顔を見合わせてニヤッと笑った。
「先生、メルセイの熱針って?」
「その昔メルセイという賢者が作った、熱を発する鉱物針だよ。主に呪い除けに使うんだ。オスカーはどこかで手に入れたのかな」
「熱で紙を焼いたってこと? 炎じゃなく?」
「ああ。紙を焼くには結構高温が必要なんだけど、炎だと辞書本体まで焼いてしまう恐れがあるからね。なるほど、紙を立てておいて熱針を横から当てて切り取った、ということかな、ユーリアン?」
黙ってうなずくユーリアンは、指揮者のような手付きで杖を振っている。
「さて、本体ページは……魔法が解けた今となっては、どうってことのない普通の薄葉紙だな。タバコの巻紙にだって使えるよ」
タバコ、と聞いてトーニャがテーブルの下で夫の足を蹴った。
「いや、例えだよ、たとえ。僕はちゃんと禁煙してるから、トーニャ。オスカーがこの辞書を借りた目的はやはり、忘却魔法と特種紙か……」
「ひどいな、お父さんたら」
ステファンは沈んだ顔をした。
「先生から借りた本を勝手に切るなんてさ。それにどうせなら、って言ったら悪いけど、お母さんの記憶を消すなら、“離婚”て言葉も消せばよかったのに。なんでそうしなかったのかな」
「ステファン」
オーリもまた、沈痛な顔でこぶしを額に押し当てた。
「オスカーが以前、わたしに言ったことがあるんだ。“ミレイユの最大の不幸を消してあげたい”とね。もしかしたらそれと関係するんじゃないかと思えてきた」
「最大の、不幸?」
思いもよらない言葉に皆が固唾を呑んだ。
↑読んでいただいてありがとうございます。応援していただけると励みになります。
メモ帳を繰るトーニャの表情は、笑いを含んでいる。心を見透かされているようでステファンは不愉快だったが、ここは我慢して力を借りるしかない。
「トーニャ、くれぐれも言っとくけど、これは仕事として頼んでるわけじゃないから」
オーリは油断なく魔女の手元を見ながら、釘をさすように言った。
「当たり前よ。いくら魔女がゴシップ好きでも友人探しまで記事のネタになんかしない。そのくらいの節度はわきまえているわ。それより問題はオスカーの手紙ね」
「んー、わからないことだらけなんだよなあ」
ユーリアンはさっきから辞書とオスカーの手紙を何度もひっくり返して見ている。裏表紙の見返しと一続きの余白ページが、綴じ代を僅かに残してきれいに焼き切られている。
「最初にオーリからこの手紙を見せられた時にもいろいろ調べたけど、おかしいと思ってたんだ。紙の繊維が、罫線に対して横目になってる。つまり本来なら縦長で使うべき紙を、わざわざ横にして使ってる。なぜだろう、とね。まさか辞書の余白ページを使ったとは思わなかったよ」
「ぼく、その手紙には続きがあると思ってた」
ステファンは最初にこの手紙を見た時のことを思い出して残念そうに言った。
「わたしもだ。最後の行のすぐ下が焦げてるものな。ページを焼き切ったとは……普通に切ったり破いたりできなかったってことか?」
「それもある」
ユーリアンは黒く大きな目で丹念に焦げ跡を透かし見た。
「トーニャが言うには、古い魔女が祭文に使った特種な紙だそうだ。ドラゴンの油を漉きこむそうだよ。この黒い焦げ色はその脂肪分が燃えた、炭素の色だ。この紙には言葉を守る力があると言われているが、手で引っ張ったくらいではもちろん破けないし、刃物を当てようとすると逆に呪いを受ける。オーリ、もう魔法は解かれたわけだし、辞書を分解してみてもいいかな」
「ああ、もちろん。ただ気をつけてくれ、ユーリアン」
ユーリアンは杖を持ってくると、慎重に辞書に向けた。
微振動が置き、ぱらぱらとページが開いて、辞書がひとりでに分解され始める。ステファンはごくりと唾を飲み込んだ。
「まず表紙だ。この革はカーフ(子牛革)に似てるが……違うかな。絶滅した一角牛の革かも……次に見返し部分……破かないように剥がしてと……ああ、やっぱりだ。ステファン、君なら読めるかな。裏に何か書いてあるだろう」
ステファンは懸命に目を凝らし、滲むような薄い文字を読み上げた。
「“ただメルセイの熱針をもってのみ我を分かつべし”」
「よく読めるわね!わたしにはインク染みにしか見えないわ」
驚きの声をあげるトーニャをよそに、オーリはユーリアンと顔を見合わせてニヤッと笑った。
「先生、メルセイの熱針って?」
「その昔メルセイという賢者が作った、熱を発する鉱物針だよ。主に呪い除けに使うんだ。オスカーはどこかで手に入れたのかな」
「熱で紙を焼いたってこと? 炎じゃなく?」
「ああ。紙を焼くには結構高温が必要なんだけど、炎だと辞書本体まで焼いてしまう恐れがあるからね。なるほど、紙を立てておいて熱針を横から当てて切り取った、ということかな、ユーリアン?」
黙ってうなずくユーリアンは、指揮者のような手付きで杖を振っている。
「さて、本体ページは……魔法が解けた今となっては、どうってことのない普通の薄葉紙だな。タバコの巻紙にだって使えるよ」
タバコ、と聞いてトーニャがテーブルの下で夫の足を蹴った。
「いや、例えだよ、たとえ。僕はちゃんと禁煙してるから、トーニャ。オスカーがこの辞書を借りた目的はやはり、忘却魔法と特種紙か……」
「ひどいな、お父さんたら」
ステファンは沈んだ顔をした。
「先生から借りた本を勝手に切るなんてさ。それにどうせなら、って言ったら悪いけど、お母さんの記憶を消すなら、“離婚”て言葉も消せばよかったのに。なんでそうしなかったのかな」
「ステファン」
オーリもまた、沈痛な顔でこぶしを額に押し当てた。
「オスカーが以前、わたしに言ったことがあるんだ。“ミレイユの最大の不幸を消してあげたい”とね。もしかしたらそれと関係するんじゃないかと思えてきた」
「最大の、不幸?」
思いもよらない言葉に皆が固唾を呑んだ。
↑読んでいただいてありがとうございます。応援していただけると励みになります。
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2/5追記
今回、なんかユーリアンがうんちく垂れてますね。
オーリの友達って△△オタクみたいなのが集まってそう(笑)
辞書本体の紙を「薄葉紙」と表現してますが、本当は「インディアペーパー」のことです。
「普通の薄葉紙」だと他の紙のことになっちゃうかも。
実際、戦中戦後の紙不足の折は、英語の辞書を破いてタバコの巻紙にしてた人も居るそうですよ。身近にお年寄りがいたら話してくれるかも知れません。
辞書ねえ……インクは大丈夫なのかな。もちろんフィルターなんてないし、思いっきり肺に悪そうなんですが……
2/5追記
今回、なんかユーリアンがうんちく垂れてますね。
オーリの友達って△△オタクみたいなのが集まってそう(笑)
辞書本体の紙を「薄葉紙」と表現してますが、本当は「インディアペーパー」のことです。
「普通の薄葉紙」だと他の紙のことになっちゃうかも。
実際、戦中戦後の紙不足の折は、英語の辞書を破いてタバコの巻紙にしてた人も居るそうですよ。身近にお年寄りがいたら話してくれるかも知れません。
辞書ねえ……インクは大丈夫なのかな。もちろんフィルターなんてないし、思いっきり肺に悪そうなんですが……
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Comment
え~!!
なんだろ、なんだろ???
ミレイユの最大の不幸って…???
うわ~。続きが気になるぅ~。
オスカーの一連の行動には、ミレイユへの深い愛情があったってことなんですかね???
先が楽しみ~っ!!!
ミレイユの最大の不幸って…???
うわ~。続きが気になるぅ~。
オスカーの一連の行動には、ミレイユへの深い愛情があったってことなんですかね???
先が楽しみ~っ!!!
ミナモさんへ
またまた思わせぶりな終わり方ですみません~
そう、オスカーはミレイユのこと、本当~は愛してるんでしょうね。だったらなぜ別れるんだ、とステフに突っ込まれそうですが。
謎解きにはまだひと山越えなくちゃなりません。
書いててじれったいです。でも書かなきゃ先に進めないし。
展開を急ぎたい~いっそ予定してた話をはしょるか……うう、ジレンマだ。
そう、オスカーはミレイユのこと、本当~は愛してるんでしょうね。だったらなぜ別れるんだ、とステフに突っ込まれそうですが。
謎解きにはまだひと山越えなくちゃなりません。
書いててじれったいです。でも書かなきゃ先に進めないし。
展開を急ぎたい~いっそ予定してた話をはしょるか……うう、ジレンマだ。