1950年代の欧州風架空世界を舞台にしたファンタジー小説です。
ちょいレトロ風味の魔法譚。
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どうも、と答えてカップを口に運びながら、オーリは考えを巡らせた。
この母親の元に置いておいたら、せっかく開花しかけたこの子の力をみすみす潰してしまうのは目に見えている。できればすぐ連れ帰りたいくらいだが、どうやってかっさらう?
他人の心を操作するのは本意ではないが、ひとつやってみるか。
「それで、どこの師匠に?」
「は?」
「弟子入りのことですよ。さっき教育のことをおっしゃっていたでしょう? これだけの才能があるんです、ゆくゆくはリーズ家の名を名乗るのですから、ふさわしい英才教育を受けなくては。ひょっとしてもう何かお考えがあるのでは?」
「あ、いいえ、それはその」
ミレイユは舞い上がった。英才――なんと魅惑的な響きだろう。密かなプライドが頭をもたげてきた。そうだ、自分達は選ばれた血統のはずなのに、こんな田舎でくすぶっているなんておかしい、何か特別なことがなくてはならない、とずっと思ってきたのだ。今まで息子の変な癖にいらついてきたが、これは本当に、類まれなる才能なのかもしれない―― 何の才能だかは知らないが。
「そ、そうですわね、来年は上の学校に行く年齢ですし、どうしようかと」
ミレイユは内心慌てながら、当たり障りのない言葉を選んだ。
「学校って普通の中等教育校、ですか? およしなさい、よき師匠を選んで預ける方がよっぽどいい。ちゃんとした所なら、一般教養も身につくはずです」
「はあ、でも、師匠と言われましても……学校の寮に入るのとはまた勝手が違いますわね? なにしろまだ息子は十歳ですし、誰にお任せしてよいやら……」
「まだ、では無いでしょう。十歳といえば、遅いくらいです。もっと幼い頃から、親元を離れて教えを乞う子もいますよ」
「そ、そんなに早くから、ですの?」
「ええ。このわたしも八歳の時に師匠の門を叩きました」
当たり前のことを言っているようなオーリの話しぶりに、ミレイユは焦った。
しまった、自分の認識不足だ。息子の才能とやらが何なのかは分からないが、そういう分野の教育があったのか。夫のオスカーが家に居た間に、息子の変な力について何も言ってくれなかったせいだ――
ミレイユの頭の中に、パチパチと火花が飛んだ。考えがまとまらないままうろたえていると、ふいに目の前の人物の名前が鮮明に浮かんできた。
ミレイユは身を乗り出した。
「そぉぉですわ、オーリ先生! 先生にお願いできませんこと?」
「は? わたしに、ですか? ステファンを弟子にしろと?」
オーリはなるべく意外そうに驚いて見せた。
「ええ! ええ! 先生なら安心ですわ! オスカーとも親しくしていただいてますし、ご身分もしっかりしてらっしゃるし」
ご身分ねぇ……やれやれこの人もか、とオーリは思った。
ミレイユの父が生活のために爵位を売ったという話は聞いていたが、彼女はまだ納得していないらしい。まったくこの国ときたら、二十世紀半ばになっても身分だ、血統だとくだらないことにプライドの基を置こうとする人の、なんと多いことか。まあそのぶん御しやすい相手ともいえるが。
オーリは内心笑いながら、さも困った、という顔をしてみせた。
「そんな、わたしのような若輩者に大事なご子息の教育なんて。それにわたしは弟子をとらない主義なんですよ」
「そうおっしゃらずに! ああ、お礼なら、いかほどでも! ステファン、ステファン、あなたも他の魔……お師匠より、オーリ先生のようなちゃんとした方のお弟子にさせていただいたほうがいいでしょう?」
「え? え? あのう、ぼく……」
ステファンは、さっきから大人達が勝手に話を進めていくのをおろおろしながら見ていた。
「ね? それがいいわ、そうしましょう。あなたからもちゃんとお願いするのです!」
こういう物言いをする時の母には、ステファンの意思を聞くつもりなど塵ほどもないのだ。なにしろ母はこの家のルールであり、自分の意見こそが正論と信じて疑わないのだから。ステファンは消え入りそうな声で「はい」という他なかった。
「さあ困ったな。ステファン、本当にわたしのような師匠でいいのかな?」
オーリはステファンのほうに向き直った。言葉とは裏腹に、ステファンにだけ見えるようにVサインをしている。水色の瞳が、まるで悪戯をたくらむ子供のようだ。
あ。あの空だ。
ステファンはオーリの背後に、父と居る時にいつもイメージした、広々とした青空を感じた――同じだ。この人は、大好きな父と同じ世界を持っている。
「はい、ぜひ!」
ステファンは、自分でも驚くほどはっきりと答えた。
これから、何かが始まるのだ。不思議な高揚感があった。
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この母親の元に置いておいたら、せっかく開花しかけたこの子の力をみすみす潰してしまうのは目に見えている。できればすぐ連れ帰りたいくらいだが、どうやってかっさらう?
他人の心を操作するのは本意ではないが、ひとつやってみるか。
「それで、どこの師匠に?」
「は?」
「弟子入りのことですよ。さっき教育のことをおっしゃっていたでしょう? これだけの才能があるんです、ゆくゆくはリーズ家の名を名乗るのですから、ふさわしい英才教育を受けなくては。ひょっとしてもう何かお考えがあるのでは?」
「あ、いいえ、それはその」
ミレイユは舞い上がった。英才――なんと魅惑的な響きだろう。密かなプライドが頭をもたげてきた。そうだ、自分達は選ばれた血統のはずなのに、こんな田舎でくすぶっているなんておかしい、何か特別なことがなくてはならない、とずっと思ってきたのだ。今まで息子の変な癖にいらついてきたが、これは本当に、類まれなる才能なのかもしれない―― 何の才能だかは知らないが。
「そ、そうですわね、来年は上の学校に行く年齢ですし、どうしようかと」
ミレイユは内心慌てながら、当たり障りのない言葉を選んだ。
「学校って普通の中等教育校、ですか? およしなさい、よき師匠を選んで預ける方がよっぽどいい。ちゃんとした所なら、一般教養も身につくはずです」
「はあ、でも、師匠と言われましても……学校の寮に入るのとはまた勝手が違いますわね? なにしろまだ息子は十歳ですし、誰にお任せしてよいやら……」
「まだ、では無いでしょう。十歳といえば、遅いくらいです。もっと幼い頃から、親元を離れて教えを乞う子もいますよ」
「そ、そんなに早くから、ですの?」
「ええ。このわたしも八歳の時に師匠の門を叩きました」
当たり前のことを言っているようなオーリの話しぶりに、ミレイユは焦った。
しまった、自分の認識不足だ。息子の才能とやらが何なのかは分からないが、そういう分野の教育があったのか。夫のオスカーが家に居た間に、息子の変な力について何も言ってくれなかったせいだ――
ミレイユの頭の中に、パチパチと火花が飛んだ。考えがまとまらないままうろたえていると、ふいに目の前の人物の名前が鮮明に浮かんできた。
ミレイユは身を乗り出した。
「そぉぉですわ、オーリ先生! 先生にお願いできませんこと?」
「は? わたしに、ですか? ステファンを弟子にしろと?」
オーリはなるべく意外そうに驚いて見せた。
「ええ! ええ! 先生なら安心ですわ! オスカーとも親しくしていただいてますし、ご身分もしっかりしてらっしゃるし」
ご身分ねぇ……やれやれこの人もか、とオーリは思った。
ミレイユの父が生活のために爵位を売ったという話は聞いていたが、彼女はまだ納得していないらしい。まったくこの国ときたら、二十世紀半ばになっても身分だ、血統だとくだらないことにプライドの基を置こうとする人の、なんと多いことか。まあそのぶん御しやすい相手ともいえるが。
オーリは内心笑いながら、さも困った、という顔をしてみせた。
「そんな、わたしのような若輩者に大事なご子息の教育なんて。それにわたしは弟子をとらない主義なんですよ」
「そうおっしゃらずに! ああ、お礼なら、いかほどでも! ステファン、ステファン、あなたも他の魔……お師匠より、オーリ先生のようなちゃんとした方のお弟子にさせていただいたほうがいいでしょう?」
「え? え? あのう、ぼく……」
ステファンは、さっきから大人達が勝手に話を進めていくのをおろおろしながら見ていた。
「ね? それがいいわ、そうしましょう。あなたからもちゃんとお願いするのです!」
こういう物言いをする時の母には、ステファンの意思を聞くつもりなど塵ほどもないのだ。なにしろ母はこの家のルールであり、自分の意見こそが正論と信じて疑わないのだから。ステファンは消え入りそうな声で「はい」という他なかった。
「さあ困ったな。ステファン、本当にわたしのような師匠でいいのかな?」
オーリはステファンのほうに向き直った。言葉とは裏腹に、ステファンにだけ見えるようにVサインをしている。水色の瞳が、まるで悪戯をたくらむ子供のようだ。
あ。あの空だ。
ステファンはオーリの背後に、父と居る時にいつもイメージした、広々とした青空を感じた――同じだ。この人は、大好きな父と同じ世界を持っている。
「はい、ぜひ!」
ステファンは、自分でも驚くほどはっきりと答えた。
これから、何かが始まるのだ。不思議な高揚感があった。
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